おまつりの日、おわかれの日
第52歩: でもねアルル
東向きの窓から、明るく陽が射している。
「起きた」
胸の上で声がした。
「起きたよ」
けだるい気分でアルルは返した。木組みの石天井が、黒猫の形に切り取られて見えた。
「アルルおはよ」
「おはようヨゾラ。そしておやすみ」
そう答えて目をつぶる。一晩の間に体が木偶人形にでもなったかのようだ。
「起きろよー。今日はしゅんぶんさいなんでしょ? 外、にぎやかになってきてるよ。たのしそうだよ? 行こうよー」
片目だけ開けた。
胸の上から降りて枕元へ歩いてくるヨゾラは、まだひょこひょこと歩いている。
「……痛いか? 脚」
「ん? ううん。あんまり動いてくれないだけ」
それはそれで大変じゃないか。
ヤミヌシの初撃をかわしたときに、どこかにぶつけたのか、それとも自分の体で潰してしまったのか。
「ごめんな」
「アルルのせいじゃないよ」
こともなげにヨゾラは言った。
「こんなの、おとなしくしてれば治るって」
お祭りに行きたいって奴がよく言うよ。
アルルは体を起こした。ひとがんばり必要だった。
「着替える。待ってろ」
あのあと。
銃は暴発して、ユニオーは捕まった。
火薬が炸裂する力に、アルルの魔法は負けなかった。行き場を失った力は次に弱い所、銃の発射機構と、そこに添えられたユニオーの右手を半分吹き飛ばした。
灯り屋さんも捕まった。
手の痛みに悶えるユニオーを押し倒し、襟首をつかんでひたすらに、お前か、お前かと叫んでいるところを
一晩詰め所に留め置いて、今朝には出られると警邏さんが言っていたから、もう出ている頃だろう。
ウールク・ゴーガンは屋敷に戻った。
戻された、と言うのが正しいのだろう。取り乱していた。これ以上ないほどに取り乱していた。しばらくの間、屋敷の前には警邏を一人つけると聞いた。
あの工場は、これからどうなるのだろうか。そんな、考えても仕方のないことを事を考えた。
ドゥトーは、家に帰った。
何も話さなかったし、何も話せなかった。
ウーウィーは使い魔を得た。
あの傷ついたヤミモリは血の交換を経て身体が作り替わり、なんと薄紅色になった。
薄紅色の体につぶらな黒い瞳は、愛くるしいと言えなくもなかった。名前はもう付けてもらっただろうか。
人がもみくちゃになる広場入り口をかいくぐって、ピファがウーウィーに駆け寄っていくのを見た。飛びつかれたりとか、したかもしれない。
あの大騒ぎのなかで、これだけが明るい話題だ。
夜着を脱ぎ、洗濯あがりの肌着に袖を通す。
「……俺、昨日どこまで話したっけ?」
ゆうべは詰め所で報告書作りに付き合わされ、ようやくベッドにたどり着いた所で、ヨゾラが目を覚ましたのだ。
「ウーウィーくんが指切ったところ」
つまり、ほとんど何も話していない。
「アルル、すぐ寝ちゃうんだもん」
「お前はそれまでずっと寝てたろうが。魔法ってのは──」
ズボンを穿く。
「疲れるんだよ」
「うん。それはよくわかった」
そもそも昨日のお前の言葉だしな、とアルルは思う。
「あれは何だったんだ? わかる範囲で」
座るのが難しいのか、ヨゾラはベッドの上で横向きに寝転がっている。その口からは
「あー、んー」
と声がするばかりだ。まぁ、そうだろうな、と思った。こいつは、自分に何ができるのか、自分でわかっていない。
そして、いつのまにか変な事をおぼえてくる。
「へへへへへ」
笑って誤魔化す、とか。
どこで覚えたんだ。
「でもねアルル」
尻尾で枕をぱすんぱすん叩きながら、ヨゾラが言った。
「あたしは、キミを助けられて良かった」
シャツのボタンを留める手が止まった。裾がだらしなく開いたままアルルはベッドに近寄って、寝っ転がるヨゾラの首の後ろをわしわしと撫でた。
「うきゃはははは」
ヨゾラが首をすくめて、素っ頓狂な笑い声をたてる。
「なにこれ、なにこれ、ぞ、ぞわぞわする。あははははは! や、やだやだ。きゃはははは!」
あんまりくすぐったがるのが面白くて、散々くすぐってやった。
「ありがとな」
まだひーひー言ってる黒猫に声をかける。
「ふぇ?」
「貸しは確かに返してもらったよ」
人の心を引っ張るこの黒いものは、しかし人の背中を押すものでもあったのだ。そして、とんでもない魔法を使った。魔力を発する魔法なんて聞いたこともない。
森で二回、お
そんな気持ちで発した言葉に、ヨゾラは急に真顔になって口をむぐむぐとさせ、
「うん」
と言った。
着替えを終え、アルルがコートを着た。
「あれ?」
とヨゾラは違いに気が付く。
「服、昨日と違くない?」
「今までのが、返り血だなんだで汚れてるのをみて、警邏長がくれた」
「髭おじさんの服?」
そんな服は着てなかったと思ったけれど。
「いや、誰のだったかは知らない。どうだ?」
ちょっと得意げにアルルが言う。
「どうって?」
「いいコートだろ?」
着ないのに、服のことなんてわかるわけがない。これも頑丈そうな服だ。薄い茶色で、アルルの肌の色とよく似ていた。
前のと違うのは、腰の所に帯があって、ボタンも二列で、袖の所にも短いベルトみたいなものがあって、全体的に少し
「大きくない?」
「ほっとけ。ポケットも大きいし、たくさんあるし、ボタンと帯しめるとだいぶあったかいんだぞ」
言いながら、アルルは腰帯を締めた。
「あと、帯を締めれば、お前を落とさなくて済む」
それで、今日はアルルの新しいコートに収まる事になった。
荷物も杖も持たないアルルと外にでると、春の陽にエレスク・ルーが華やいでいた。
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