第48歩: 邪魔者
「お
襟元でヨゾラが叫んでいる。
「太鼓だ! あの太鼓は元気になるんだ。あいつはそれがほしいんだ!」
アルルは答えられない。「翼」を形作る羽の一枚一枚に気を配り、風を打って速度を維持するので精一杯なのだ。
答えるかわりに、背中の翼を風に打ち、速さを上げる。突然速さを増した闇とは、また距離を離されていた。
心臓が早鐘をうち、呼吸が苦しい。魔力ではなく、普通の呼吸が苦しい。
池状の闇は既にお社裏手、南側の市街地を抜けた。
雲の影が屋根を走るように、闇も屋根の上を乗り越える。青瓦の、山の稜線を模したようななだらかな屋根。
アルルの耳にも、アーファーヤの音が届いていた。
お社の広場で、祭司は満足だった。
いい音が出ている。明日の本番を前に、気持ちの乗ったいい音が出ている。
明日の支度は終わり、今日の練習もこれが最後の一回し。祭司は太鼓に
いいですね、とてもいいです。
祭司は鉦を高く掲げた。ここらでひとつ、変化を入れて……
その手がとまる。目を疑う。一瞬、本殿が見えなくなった。
来るはずの合図が来ず、楽隊の面々が叩きながら怪訝な顔をする。
楽隊の後ろに、真っ暗闇の小山のようなものが盛り上がった。小山のあちこちに、大小様々の白い筋が流れ、動くたびに白い液が吹き出していた。小山は身をよじり、脇の地面にぬるりと何かを吐き出した。
祭司の背後で見物人たちが騒然とする。
何だあれは! 怪物が! 祭司さん! お姉ちゃん! 逃げろ!
祭司は両腕を頭上で交差させた。演奏が駄目なときに中断する合図。それを出しながら、怒鳴った。
「皆さん逃げて!」
楽隊が祭司の視線を追って振り返る。ちょっとした家よりも大きな、白黒の楕円に悲鳴があがる。
誰もが太鼓を抱えたまま、もつれ合って北側の出口へ駆け出した。隊列の前列、一番小柄な女の子が後ろから押されて転んだ。吊した太鼓が派手な響きをたて、二本の
ボゥっ、ボゥっ、ボォオオォォォウ!
闇色の楕円が身体を震わせ、遠吠えのような声をあげた。体を突き抜けるような響きに祭司は足が竦む。
「お姉ちゃん!」
背後から声変わり前の悲鳴があがる。
闇色の生き物が、ずりずりと身体を押し出すように一歩せまった。女の子は、太鼓を抱えて立ち上がろうとしている。
太鼓なんか、と祭司が声をあげようとする横を、濃紺の、細長い人影がすり抜けて行った。
「ピピピピピファっ!」
女の子を抱え起こし、その背中にかばって、濃紺の上下を来た少年が闇の塊に向かって両腕を広げる。
「止まれぇっ!」
闇の塊が、その頭を傾げたように見えた。
何度目かに聞くヤミヌシの咆哮は、ひどく悲しげに聞こえた。
「アルルあそこ!」
「見えてる……!」
北側の正門から人が逃げ、その動揺が周りの通りにも広がっている。
広場にまだ残っているのは、五、六人。本殿やその脇の宿舎棟からも人が逃げている。闇から身体を出したヤミヌシの、すぐ脇で横たわる人影がある。
あの
吐き出したのか。なんでだ?
ヤミヌシの鼻先にはウーウィーとピファ。後ろに祭司さん、さらに後ろに小さい子が一人。
宙を滑りながら、アルルは着地点を決めた。西側の一角、人も建物もないのはあそこだけだ。
お社の屋根すれすれを飛び越え、迂回をかける。身体が遠心力でたわみそうになるのをこらえ、そこからヤミヌシの鼻先めがけて加速する。
翼をたたむ。
ウーウィーとヤミヌシの間をすり抜ける。
翼を開き、体をたてて急減速。
「ぎゅ!」
ヨゾラが潰れたような悲鳴をあげた。風が渦を巻いて、そこらの菱形飾りが暴れる。
「アルルさん!」
ウーウィーの叫び声が聞こえる。
着地で足がふらつく。無理やり振り向いて、尻餅をつく。木組み屋台に手ひどく背中をぶつける。ヨゾラがコートの中で落ちたのがわかった。
「逃げろ!」
荒れる呼吸をこらえて、アルルは必死に叫んだ。酸欠でめまいがした。コートの裾からヨゾラがもぞもぞと出てくる。怪我がぶり返したのか、歩き方が不自然だ。
思惑通りヤミヌシはこちらに目を向けていた。その目に、再び怒りが宿ったように見える。
そうだ、こっちにこい。お前は俺にも怒ってるんだろ? 他の連中に手を出すな。
「あたしだけ逃げろって、ヤだからね」
ひょこひょこ歩きながら、ヨゾラが釘を刺してくる。
「あたしは、借りはかえすんだ」
ヘンなやつだ。本当にヘンなやつだお前は。
「だめですアルルさん! 怒らせちゃだめなんです! 僕が止めます!」
両腕を広げたままウーウィーが言う。
いいから逃げろよ。好きな子つれて逃げろよ。
アルルは尻餅を突いたまま、呼吸をあきらめない。お社の広場には魔力が濃く漂っていた。
揺らぐもの、波打つものから魔力は生まれる。
アーファーヤさまさま、ファヤ様さまさまだ。
立ち上がりもせず、魔法使いが魔力を集める。
気づくのが遅すぎたよな、と思った。
逆だったのだ。
ヤミヌシは憎い相手を子ごと喰ったのではないのだ。傷ついた子を、ここに連れてきたかったのだ。ユニオーはその巻き添えをくったに過ぎなかった。
魔法使いにとって、魔力は魔力でしかない。幽霊から吸い取ったものも、祭りで発生したものも、等しく同じ魔力だ。しかし「不思議なものたち」にとってはそうじゃない。もっと違いのあるものだったはずだ。祭りにあれらが寄ってくると言うのは、そういう事だった。太鼓で元気になるとヨゾラが言うのは、ヒトが言うのと意味が違うのだ。
知ってたはずだったのにな。
ヤミヌシ。お前の邪魔をしたのは、俺だ。
白い血に染まる闇色の生き物が、ずりっと
ユニオーもヤミモリも、ヤミヌシの向こうで様子はわからない。
ピファが動いた。祭司さんもだ。まだ広場に残っていた小さな男の子が一人、ピファに飛びついた。
「ばか、逃げるの!」
と声が聞こえた。
アルルは「球」を繰り出した。
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