第46歩: 厄災の虫

「お前さんはいつも儂を置いていくな?」

 馬上のアルルに向け、ドゥトーは開口一番そう言った。

「すみません」

 アルルとしてはそう言うしかない。

「あれはヤミヌシだの」

「はい。ユニオーがヤミモリを撃って、あれを怒らせました」

「ユニオーは」

「撃ったヤミモリごと飲まれました」

「そうか……」

 アルルは馬から降りる。着地の衝撃か、肩の上のヨゾラがうめいた。

「ヨゾラ──」

「へーき! あとで!」

 ヨゾラはそう言うが、怪我した脚の震えは止まっていない。

「あとヨゾラが怪我を!」

 思いがけず大きな声をだしてしまう。

「あとでちゃんと診てやるからの」

 ドゥトーはヨゾラへ向けて優しげな声をだし、

「『あとで』がちゃんと来れば良いが」

 不吉な事を言った。

 ヤミヌシは足音に似合わず、木々の隙間をぬるりとすり抜けてくる。ホネないのかよ、とアルルは思わずつぶやく。

 もう十数える間もないだろう。

 ドゥトーはすでに魔力の呼吸を始めている。

 アルルも魔力を溜め始めた。

 火トカゲで止められなければ、なりふり考えず押しとどめるしかない。

「おいでませい」

 ドゥトーはひざまずき、土の上に両手を添える。

 呼びかけたのは、火トカゲではなかった。

「ハガネムシ」

 なんてを呼び出すんだ。


 もぞり。

 土の中から鋼色の甲虫が三匹。

「カナブン?」

 ヨゾラが言うとおり、見た目はごく普通のカナブンの類だ。

 しかしアルルは知っている。もし普段の生活でこの虫の姿を見たら、それは災厄の前触れ。家に居るなら外へ逃げろ。外に居るなら走って逃げろ。

 そういうだ。

 ドゥトーの体を通って、魔力が三匹の虫に流れ込んでいく。

 アルルが二歩さがる。その様子に何かを察したのか警邏長が馬の頭を背けさせた。

 だずん、だずだず! と地響きをあげてヤミヌシが迫る。

 三匹のハガネムシはとヤミヌシへ尻を向け、一番後の脚を土へ挿した。

 片目から白い血を流す闇でできた楕円が、眼前にみるみると迫ってくる。その楕円に一本の筋が入り、闇の中に闇の底が開く。

「お、お、おおおおお!」

 警邏長が思わず声をあげた。

 ドゥトーは一言、

「すまんの」

 と呟いた。

 ハガネムシが前四つで踏ん張り、後脚を蹴りあげた。



 視界一杯に土壁が生えた、ように見えた。

 その土壁が空に昇りながら遠ざかっていく、ように見えた。

 すぐ目の前の地面がごっそりとえぐれている。

 ハガネムシのひと蹴りが、森の一部を、深く、ヤミヌシごとひっくり返した。土と石と樹木の塊がその巨体を押しつぶしにかかる。

 上下に向かい合う針葉樹の森は、この世ならざる獣の牙のようだった。黒い塊を牙に捉え、凶悪な顎が容赦なく閉じる。

 轟音とともに押し出された空気が、分厚い質量を伴ってかけ抜けて行った。

 警邏長が必死に馬を抑え宥める。

 アルルはとっさに身をかがめ背を向ける。土くれのつぶてがコートの背を叩く音が聞こえた。

「いてててててっ」

 アルルが背を向けたので、ヨゾラは顔に土くれを食う羽目になった。

 突風が収まり、土煙が舞う中で最初に声をあげたのはヨゾラだった。

「ドゥトー……?」

 ドゥトーはひざまづいたまま、うなだれるようにして動かない。青いローブが土で汚れていた。

「ドゥトーさん……?」

 アルルも異変に気付き、ドゥトーの前に回る。

 白い顔に土埃をかぶり、灰色の目は虚ろに開かれたまま──その手が震えながらさまよって──塩干しを出してかじった。

「死んどりゃせんわ」

 カラカラ胡桃をボリボリ言わせながらそう言うが、顔色が真っ白なのは事実だった。単純な塩切れではないだろう。体力的に限界なのだ。

「やだよー。びっくりしたよー」

 ヨゾラが、アルルが知る限り初めて、泣きそうな声をだした。

「はは……すまんの。ハガネムシなんぞ久し振りでな。参ったわ。魔力も体力もごっそり持って行きおって」

 ローブの首元からラガルトが顔をだす。

「が、さすがは厄災の虫、というべきか」

 目の前に広がる光景は、さながら山崩れの跡だった。抉られた地面には、おやしろが広場ごとすっぽりと屋根まで収まりそうな大きさがあった。

 その窪地の向こうに、黒々とした小山ができている。方々に樹木の幹や根が乱雑に覗いて、森の斜面に流れる小川をせき止めていた。

「……恐ろしい力ですな。実に恐ろしい……しかし」

 馬を降り、その首を叩いてやりながら警邏長が言う。

「この状況をどうしたものか」

 苦り切った声で続けると、口髭をしごきながらため息をついた。


 捕まえるべきユニオーは化け物に食われ、その化け物は魔法による山崩れで埋まりました。


 それで話が通るかどうか。そもそも、山を派手に掘り返した事をどう処理するか。

 そんな事を考えているのだろうかとアルルは思う。


「アルル君。嬢ちゃんの脚をちょっとみせてくれんかね」

 座り込んだままのドゥトーが言った。

「それは良いですが……」

 ドゥトーの方がよほどまずい状態であるように思えた。

「なに、儂なら大丈夫だ。それとも、年寄り扱いするつもりかね?」

 すごんでいるつもりらしいが、アルルには正直ドゥトーが今朝よりも老けて見えた。とはいえ、何かをしてやれるわけでもない。

 アルルはしゃがんで杖を置き、肩につかまるヨゾラに手を伸ばした。

「そっとだよアルル。そっと」

 慌ててヨゾラが牽制してくる。その胴体をつかんで、そろそろとドゥトーの顔の先に持って行った。

「どうすると痛むかね?」

「伸ばすと痛い。縮めてるとまだマシ」

「ふむ」

 ドゥトーがヨゾラの膝、と呼んでいいのか、前に屈曲しているところをごく軽く触れた。ヨゾラの身体がびくんとなるのが、アルルの手に伝わってきた。

「ここだの」

 その声を受けて、するするとラガルトが腕を伝って這い寄ってくる。

「火トカゲには、火を起こす力と、火を喰う力があってな」

 ラガルトが大きく口をあけ、かぷっ、とヨゾラの膝を噛んだ。

「ひゃ」

 とヨゾラが軽く声をあげる。

「ひゃっこい」

 冷たいのか、とアルルは思った。火を喰うってことは、熱も喰うってことか。

「ラガルトも、元は火トカゲだったのだよ」

「色、全然ちがうのに?」

「使い魔になるとな、身体が作り替わる。仕組みはよくわからんし、見た目が変わらん場合もある。まぁ、言葉を話すようになるだけでも、信じられん変化ではあるな」

 ヨゾラの耳が鋭く動いた。それには気づかず、ドゥトーは話を続けている。

「で、ラガルトの場合は、ようになった」

 ヨゾラの耳が向いているのは窪地の向こう、出来たばかりの黒々とした小山。

「だめだ……」

 ヨゾラが呟く。ラガルトが口を離す。

「まだ痛むかね?」

「そうじゃなくて」

 アルルは察した。ヨゾラを左肩に戻す。

「掴まってろ」

 ぎゅっと、服越しに爪が立つ気配を感じた。ヨゾラはもう痛がらなかった。つづいてドゥトーを抱えるようにすると、魔法フィジコの力場を作る。

「なんと!?」

 ドゥトーが驚いた。その丸い体は苦もなく持ち上がりすぎて、アルルは後ろに倒れかけた。

 それをどうにかこらえて、若干のきまり悪さもこらえて、馬のところまで下がる。

「ええと、ドゥトーさんを連れて逃げてください」

「なんだと?」

 突然の事に声を上げた警邏長に構わず、アルルはドゥトーを馬の背まで持ち上げた。

「ヨゾラがなにかを聞いています」

「うん。あの山から音がした。あのでっかいの、まだ生きてる」

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