第45歩: ヤミヌシ

 びぃぃぃぃぃぃ!

 びぃぃぃぃぃぃ!


 森に散った仲間を集めるべく、けいの笛がけたたましく鳴る。

 ヤミヌシと相対して、アルルは動けずにいた。

 ユニオーが飲み込まれた。その近くにいたヤミモリもおそらく飲まれている。

 この身体の大きさ、たとえ獲物が灰色熊でも容易たやすく飲み込むだろう。そのヤミヌシと目があってしまっている。下手に動くべきではない、とアルルの直感が告げていた。

「警邏長殿は!?」

「森の入り口です、間に合いません!」

「密集しろ! 撃ち方用意!」

 警邏たちが怒号を飛ばしている。

 アルルは体のすぐ脇でモゾモゾ動くものを感じた。

「ヨゾラ」

 体を動かさずに、小声で話しかける。

「痛ってぇ……クラクラする」

 腹ばいでへたっているヨゾラが情けない声をだした。

「黙って聞いてくれ。なるべく静かに、ここを離れろ。アレはやばい。まともにぶつかったら勝てない」

「キミはどうするのさ?」

「なんとかする。先に逃げろ」

 

 ボォウフっ、ボォウフっ


 ヤミヌシは警邏の笛には目もくれず、アルルの目を見て荒く息を吐いている。

 目を逸らしたら、やられる。派手に動いても、やられる。あれも生き物なら、気迫負けしちゃだめだ。

 ヨゾラは身を伏せたまま動かない。

「何やってんだ、行けよ」

「やだ」

 黒猫め!

「行けっての……!」

「い、や、だ。なんとかするんだろ? アルル」

 アルルは歯噛みした。


 まったく。


 簡単に言ってくれるよ、まったく。本当に、簡単に言ってくれる。

 それでも、ヨゾラの言葉が後押ししてくれる。

 そうだ。別に諦めたわけじゃない。なんとかするのは嘘じゃない。つきあってもらうぞ、ヨゾラ。

 ヤミヌシと目を合わせたまま、指先から「球」をだす。地面を這わせ、そろそろと忍び寄らせる。「球」の行方を目で追うわけには行かない。場所も距離もカン頼みだ。外れたら、あとはもう「ただ走る」しかない。

 警邏たちは隊列を組みしだい撃つだろう。密集するのが射撃の定石だとペブルが言っていた。

 それに先んじなければならない。この大きさの生き物が、銃で仕留めきれるとは思えない。撃ち終わったところに怒り狂ったヤミヌシが突っ込めば全滅だ。

 気取られないように、できるだけ素早く、彼らの反対側へ「球」を到達させる。全力で炸裂させて、隙をつくる。

「アルル、石あるよ。もうちょっとだけ右にずらして」

 ヨゾラの囁き声がした。

「もう少し、もう少し……そこ。そこからまっすぐ前、少し上げて」

 心強い。自分でも気づかない内に、アルルは歯をむき出していた。魔力を取り込み、出来るだけ体に溜めながら「球」を這わせて行く。

「もう少し前、もう少し……」

 ヤミヌシが四つ脚をバタつかせ、尾を斜面に打ち付けた。どずん! と音がして土埃が舞う。ヤミヌシの背中が盛り上がり、五指の角がウネウネと動く。

「構え、つつ!」

 号令が聞こえた。まだかヨゾラ、まだ届かないのか、と焦る。

「撃てぇぇぇ!」

 ずばばばばばばばばばん! 

 九発の銃声。びしびしびし、と言う着弾音。わずかに身をよじったヤミヌシが、警邏たちに顔を向ける。

「いま!!」

 ヨゾラの声。溜めた魔力を一気に力場に変える。


 ぶばん!


 力場が炸裂した。

 ヤミヌシの左前足がガクンと落ちて、その身体がかしいだ。ヤミヌシが衝撃の来た方に鋭く身体を向け、敵を探して吠える。

「逃げろ!」

 立ち上がり、怒鳴り、アルルも走る。

「さ、散開!」

 警邏に号令がかかり、密集隊形から一斉にちらばる。

 浅かった、とアルルは思った。脚の一本ぐらいはと思っていたが。

 

 ボォオォォウ!!

 ボォォォオォオォオオォォウ!!


 咆哮に振り返る暇はない。あとはもう逃げ切るしかない。

 

 だずん、だずん、だずん、だずだずだずだず……

 

 背後から悪い冗談のような音が聞こえる。

「ア、アルルっ、来てる来てる来てる!」

 いつの間にかヨゾラが肩にしがみついていた。

「木の間をすり抜けてる! すごいすごい!」

 なに感心してんだ馬鹿猫!

 音がみるみる近づいてくる。

 何で俺を狙うんだよ、と悪態をつく余裕もない。

 アルルは、肩にしがみつくヨゾラの背の皮を掴んだ。

「痛ぁいっ!」

 ヨゾラが悲鳴をあげるのも構わなかった。

 共倒れになるまえに、こいつは放り投げて逃がす。こいつだけは逃がさなけりゃならない。そうアルルが決めたとき、斜面の向こうに人が見えた。

 不安定な足場に馬を走らせ、右肩に銃床をあてて狙いを定める口髭のおじさん。

「止まるな走れ!」


 バゥっ!


 警邏長が発砲した。

 ボオオオゥっ!! という悲鳴が聞こえた。ついで、地響き。

 警邏長が、ふん! と鼻息を吹くのが見えた気がした。馬の脚を止めないまま、銃を放り投げてアルルへ右手を伸ばした。

「掴まりなさい!」

 アルルはたたらを踏んで脚を止め、右腕を伸ばす。杖をもった左手でヨゾラを押さえる。

 警邏長が、アルルをすり抜けながらかっさらった。掴まれた右腕が潰れるんじゃないかと思うほどの力だった。

 そのまま、悶えるヤミヌシの脇を駆け抜ける。

 駆け抜ける時に、ヤミヌシの左目から乳白色の体液が流れているのが見えた。


 あの状態で、当てた? 目に? 狙って?

 信じられないものを見た気がした。心臓が早鐘を打っているのは、走ったからに決まっている。

 女だったらこのおじさんに惚れてたろうな、とアルルが馬上で思った時、首筋に鋭い痛みが走った。

「いっ!」

 見ると、ヨゾラが牙を立てていた。

「なに、すんだ!」

「おかえいあ」

 お返しだ。

 ヨゾラが牙を離す。

 反射的に押さえると、わずかに血がついた。

 ヨゾラは牙を剥き、怒りに瞳を輝かせて

「すんごい、すーんごい痛かった! でもお返ししたからおあいこ!」

 と一方的に告げてくる。

「お前な」

 とアルルが言い返すよりも早く、ヨゾラが傷を舐めとった。

 治せばいいってもんじゃないだろう。そう言おうとして、ヨゾラの右後ろ脚が不自然にと震えているのに気がつく。

 お前、脚──

 アルルの言葉は、今度は警邏長に遮られた。

「あれは何だ!? ユニオーはどうした!?」

「──ユニオーは、あれに飲まれました。ユニオーがあれの子を撃って、あれは怒っています」

 警邏長がうなった。

「退治できるものなのかね?」

「すみません、やってみないとわかりません」

 アルルは振り返った。ヤミヌシは片目を失ってもなお、体勢を立て直してこちらを追い始めている。


 アルル君!


 森に声がこだました。ドゥトーの声だった。

 木霊の魔法か。


「アルル君!」


 地声だった。

 どういう声してんだあの人。

 夕陽に青いローブで杖をつき、大鷲のような目を細めたヴィリェルム・"ドゥトー" = ツェツェカフカが立っていた。

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