第44歩: うういをあえ
近い。
「こっち!」とヨゾラが駆け出す。
杖を取りアルルも駆け出す。
「アルル君!」
ドゥトーが制止する声が聞こえたが、もう止まれなかった。
木立を縫い、陽を左に受けながら斜面を駆ける。
もう少し登ったところ、背の高いアカマツが林立するなかに人影があった。何かを見下ろして、長い銃身に
そこにいたか。そこにいたか!
アルルは脚に力をこめる。
人影が見下ろす先では、墨のように真っ黒な塊が身をくねらせ、びしゃりびしゃりと長い尾を地面に打ち付けていた。
アルルはそれに見覚えがある。
ヤミモリだ。
白い体液を流して
遠くの方からなにか別の吠え声が聞こえた。
ボォォォオォオォオオォォウ
ボォォォオォオォオオォォウ
その音に人影が顔をあげる。こちらをみた。慌てて銃口から弾丸を突き込めながら、猟犬をけしかけてきた。
先を行くヨゾラが急いで木に登る。
アルルは首に下げた笛をくわえ、思いっきり吹いた。
びぃぃぃぃぃぃ!
小さな外観からは予想も着かないような大きな音だった。
笛を口から吐き出すようにし、なおも脚はとめない。猟犬が迫る。
アルルは魔力を吸いこんだ。
ユニオーは遠い。「糸」は届かない。
犬の足は速い。「糸」を当てるのは難しい。
アルルは杖を突き出すように構えた。狙いはユニオー。
行け!
魔力を力場に変えて杖を撃ち出す。
猟犬の頭上を飛び越え、びん! と空気を震わせて杖が矢のように飛ぶ。
二頭の猟犬が飛びかかる。
手を向ける。
体の先から肘一本分。それがフィジコの射程距離。
どぐっ!
嫌な音をたて、二頭の猟犬の身体がはじかれた。
地面に落ちて転がり、立ち上がれもせず甲高い悲鳴をあげている。その間を走り抜ける。
ユニオーは杖をどこかに食って転がっている。すぐ隣りのヤミモリと同じようにもんどりうっている。
アルルは魔力を吸った。あと十歩と少し。このまま銃もろとも抑え込んでやる。
「糸」を振りだそうと、右手をあげる。
ユニオーが顔だけ起こした。せき込みながら銃をとる。銃口がアルルを向く。
暗く、深く、死をもたらす人差し指ほどの穴。
足がもつれた。頭が望むことと、体が望むことが乖離する。
体の記憶が、頭の記憶の蓋をあけた。
体内で火球が炸裂したような感覚、そのままどこかへ落ちて、体を打ちつける衝撃。胃の奥からせり上がる血の臭い。
そうだ、そうだった。
斜面に派手に転びながら、アルルは思い出した。撃たれた時の感覚。遠のく意識。動かない体。死へ向かう絶望。
「お前……何だ?」
銃口をアルルに向けたまま、ユニオーがゆっくりと立ち上がる。
アルルは必死に顔だけをあげる。
違う。違う。いま撃たれた訳じゃない。と体に言い聞かせようとする。
「なんで死んでないんだ?」
ユニオーが顔をしかめているのは、痛みか、怖れか。
「今日は散々だ」
大げさなため息だった。
「親父には説教くらうし、狙った獲物はこの黒いのがかっさらおうとするし、黒いの撃ってみたら気色わるいヤツで、そこにお前だ」
魔力が
「お前、一昨日おれが撃ち殺したはずだろ? なんで生きてんだよ? あれか、双子の兄弟かなにかか?」
撃鉄が起こされた。人差し指が引き金の横に添えられている。
「まあいいや。こんどはちゃんと死ね」
アルルは動かない体に歯を食いしばる。引き金にユニオーの指がかかる。その指に上から黒い影が
「いてぇっ!」
食いついた。
「アウウ!」
食いついた指に首だけでぶら下がり、振り回されながらヨゾラがアルルの名を呼ぶ。
「アウウっ!」
黒猫を地面に叩きつけようと、ユニオーが大きく右腕を振り上げた。指に噛みついたまま、ヨゾラが必死に叫んだ。
「うういをあえっ!」
口が塞がっていて、まともに発音できるわけはない。しかし、ヨゾラの言葉はアルルに届いた。
ゆうきをだせ。
呼吸が戻る。手足を感じる。視界が広がる。魔力を感じる。
アルルは飛び起きた。「糸」を振り出し、ユニオーの右腕を抑える。
びぃぃぃぃぃぃ!
どこかで笛が聞こえた。
走る。緩やかな斜面を駆け上がる。
焦ったユニオーの顔が見える。
その左手に掴んだ銃がこちらを向く。
引き金も引かずに撃てるもんかよ!
構わず右腕を振り上げ、固く拳を握り、その横っ面めがけて渾身の力で真っ直ぐに。
ごっ!
振り下ろした。
ユニオーが倒れ込む。ヨゾラが指から飛び退き、着地する。そこにいたはずのヤミモリがいない。
いや、音はするのに見えない。
真っ暗な地面に紛れて見えない。その地面に、一本の裂け目が走ったような気がした。
狩りの時だけは目に見えるもの。
「ヨゾラ来い!」
転がっていた杖をつかみ、魔力を吸い、アルルはヨゾラに手を伸ばす。
伸ばした手に爪が食い込む痛み。それと同時に
闇色の地面を抜けた瞬間、その闇が吹き上がった。
ユニオーを飲み込んだ闇の塊は尾を引いて、また地上へ落ちてくる。
アルルも斜面を転がった。
ヨゾラはアルルの腕から離れ、同様に転がった。
「ぎゃっ」という悲鳴。
落雷のような音を立てて枝葉をなぎ倒し、地響きを伴って着地するお
扁平な楕円の胴体に太い四本の脚。縦にヒレのある長い尾。その両目の脇には、人が五指を広げたような肉質の角が生えていた。
アルルも話には聞いた事がある。
ヤミモリたちの母にして主。
ヤミヌシ。
「冗談だろ……」
再び這いつくばったまま、アルルは声をもらした。
ボォォォオォオォオオォォウ!!
ヤミヌシが上げた咆哮に、山が揺れた。
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