第42歩: 幽霊の姿は

 空っぽの暖炉の燃えさしが熱をもって、赤く熾き火になっていた。暖炉を囲む煉瓦にも熱が移って、けいの人はそこから離れた。

「慣れたと思ったのに、まだ出過ぎる」

 眉根をよせて、ぼそっとアルルが呟く。

 なんでそんなことをするのか尋ねてみたら、

「奪った魔力を使い切らないと、結局また幽霊に吸われちまうんだってさ」

 と答えてくれた。

 幽霊と呼ばれた女の子は屋根裏を足元にして逆さまになり、まるでこちらを見上げるように見下ろしていた。

 ときどき首を傾げるようにする。

 浅葱色のスカートの裾も、背中まである金色の髪も、屋根裏に向けていた。

「ゆ、ゆうれいというのは、あの幽霊ですか?」

 青ざめた顔でけいの人がドゥトーに問いかける。

「巷で言う所の『亡霊』とはちと違うがの」

 女の子を見上げながら、ドゥトーが答えた。

「死者が火葬にされないと、稀に周囲の魔力から生まれる事がある」

「幽霊がとはまた……」

 警邏の人が指で胸を三度叩いてファヤに祈った。

「死者の姿を模してはいるが、本人とは別物と言うのが通説ではあるよ」

 女の子の幽霊から目を離さず説明するドゥトーの体にラガルトがよじ登る。ドゥトーがその背中を指先で軽く叩いた。

 女の子は、何をするでもなくこちらを見ている。なんの表情も浮かべず、何を考えているかもわからなかった。

「見えない人には、向こうも何もできないです」

 暖炉に熱をそそぎながらアルルがそう言う。

「魔力を根こそぎ吸い取ってやったから、当分のあいだは見えてる人にも何もできない。はずだ」

「言い切ってよアルル」

「俺も見えないんだ。対処法からなにから、人に教わっただけなんだよ」

 肩にしがみつくヨゾラを支えながらアルルは「糸」を切る。魔力を使い切ったようだった。

 警邏は壁際に寄り、二人の魔法使いとその連れを気味の悪いもののように見ていたが、開き直って壁から離れてひとつ咳払いをした。

「君、それは何だ?」

「これは……そこの中で見つけました」

 布仕切りを視線で指して答えるアルルの右手には、黄ばんだ紙の包みが握られていた。

「七九八年、四月アブリゥの十二日とありますが、なんの日付ですかね」

 包みを手渡しながらアルルが発した言葉に、警邏の顔から表情が消えた。

「あの日だ、それは」

 ずっと屋根裏を見上げていたドゥトーがゆっくりと顔を下ろす。

「すまん、すこし座らせてもらうわ」

 そして、緩慢な動きで小屋に唯一の椅子に腰をおろした。

 その間に包みを開いた警邏は、中身を見て、息を飲み、震える手でそれをテーブルに置いた。紙ずれの音に混じって、かたかたと、枯れ木がぶつかるような音がした。


 屋根裏から幽霊の女の子がと降りてきた。


 今度はテーブルを足元にして、紙の上のものに手を伸ばし、手がすり抜けて、また手を伸ばして、片手で、両手で、表情を変えることなく、それを何度も何度も繰り返している。

 紙の上の、くすんだ土気色の、細い三本の

「指の……骨」

 アルルが低く呟いた。

 女の子の幽霊が下に降りてきて、ヨゾラにその全身が見える。

 ドゥトーが女の子の首の後ろあたり、金髪の緩くまとめられたあたりを見て、

「おお……」

 と顔を両手で覆った。

「やはり、ったんだな。ずっと、ここに居ったのだな」

 女の子は古びたのケープを羽織っていて、骨をつかもうと腕を伸ばすたび、その隙間から血で黒く汚れたブラウスが見えた。




「探させてくれ」

 とドゥトーは言った。

「幽霊は、死んだ場所から遠くへは行けない。もしかしたら、遺体も近くにあるかもしれん。勝手な事ばかり言って済まないが、探させてくれ」

 と、顔を覆った両手の向こうから言った。

「私は……」

 警邏が震える息を吐く。

「申し訳ないが、私は一刻も早く、ユニオーを捕まえに行きたい」

 警邏が平静になろうとして、必死に押さえているのがアルルにもわかった。

「この指の骨は、殺された娘のものなのでしょう。なんのつもりか知らないが、日付まで付けて仕舞ってやがった。年端の行かない娘を……! まだ十四だったって言うじゃないですか。殺して、指切って、自分はのうのうと生きてやがった。せめて、せめてこの手でとっ捕まえたい!」

 そして、平静にはなれなかった。最後の言葉と共にテーブルを拳で叩いた。テーブルの上の弾丸が幾つか倒れ、転がって落ちた。

 ドゥトーは顔を覆う手を外して、灰色の、疲れの滲む目でアルルを見た。

 アルルは迷う。

 今すぐ飛び出して、ユニオーの金色の長髪をひっつかみ、あの端正な顔が歪むまで殴りつけてやりたかった。

 そして、目の前で悲嘆にくれる老いた男の力にもなりたかった。

 決めるには、情報が足りない。もう一人の当事者の事が知りたい。

「ヨゾラ」

「ん?」

 胸元から、緑の瞳が見上げてくる。

「教えてくれ。女の子の幽霊は、今何をしてる?」

 ヨゾラは後ろを振り向いた。

「テーブルの上に浮かんで、その、指の骨を取ろうとしてる。でも、さわれないみたい。骨も紙もテーブルもすり抜けちゃってる。さっきから、ずーっとやってるよ。あとね、あの女の子、指が一本たりない」

 ああ、とアルルは思う。


 幽霊の姿は、死ぬ直前に認識していた自分の姿だ、と言われている。炭坑の爆発跡に出た幽霊は、生前そのままの姿でツルハシを振るっていたという事例もある。

 この女の子の幽霊に指がないというのなら、それは、そういう事なのだ。


 生きているうちに、だったのだ。

 

 悔しかった。

「ドゥトーさん」

 まともに発音できなかった。顔を上に向けて、それでも一筋だけ涙が出た。七年前のことに、何かできたはずもない。それでも、悔しかった。そして、可哀想でならなかった。

「せめて、指を、返してやりましょう。今、そこにいる子だけでも」

 そして、警邏に向き直る。

「同じ物が……あと五つありました」

 警邏が僅かに目を見開いた。

「ドゥトーさんは俺が手伝います。警邏さんは、犯人ユニオーを、捕まえてください」

 警邏は頷き、アルルの肩に手を置いた。

「頼まれた。君も、もしユニオーにあったら無理をするな。奴は銃を持っている。私には魔法の事はわからないが、それでも無理はするな」

 アルルは頷いた。

 遭わないほうが身のためだ。

 ユニオーの身のためだ。

 いま遭ったら、きっとなんの手加減もしない。

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