第36歩: そうだったらいいと思う

 なんだかドゥトーに元気がない。

 アルルの鞄の上からヨゾラは、馬の上で丸まっている背中を見た。もともと丸っこい人だがさらに輪をかけて丸い。

 ドゥトーの前に座るヒゲのけい長がちらりと上を見て

「しかし皆さん、そろそろ耳を塞いだ方がいいですな」

 と言い、自らは手綱を持つ手に力をこめた。

 ドゥトーが耳をふさぎ、アルルも半信半疑で耳を塞ぎ、気づけばそのあたりの人も皆、立ち止まって耳を塞いでいる。

 ええと、何をやっているのかな?

 ヨゾラが不思議に思うや否や


 ずどん!!


 と轟音が走り抜けた。

 ヨゾラは自分が跳び上がっている事に気づく。足元に鞄はない。

 石畳が並んでいるのが見える。

 あ、落ちる。落ちる落ちる!

 と手足をバタつかせながら着地、同時に全力で加速。

 居並ぶ足をすりぬけ、手近な狭いところに潜り込み、呼吸を整えながら辺りを見回す。

 警邏長が、手綱をしっかり引いて馬が暴れないように抑え、アルルは耳を塞いだままきょろきょろと周りを見回している。

 他の人たちは何事もなかったかのように歩き出したり、話を続けたりしていた。

 アルルと目が合った。おいでおいでしている。

 ヨゾラはそろりそろりと這い出ると──止まっている手押し車の下だった──アルルに駆け寄り、跳び上がった。

 また拾ってくれた。

「なに、なに……今の?」

 腕の上からアルルを見上げて訊くと、アルルも首を傾げる。そして、

「正午の大砲?」

 と警邏長に問いかけていた。

 頷きが返ってくる。

「余所者の俺がいうのも何ですが」

 とアルルは前置きして続けた

「普通は町外れの丘とかじゃないでしょうか? 空砲でしょうけど、町の中心部でぶっ放しますか普通?」

「そこは、しかし、いろいろあったのだよ」

 警邏長は髭をしごいて、あんまり教えるつもりも無いようだった。

 

 仕事というのが何なのかヨゾラは知らない。が、土曜日ティエハの仕事はお昼まで、というのはファー夫人あの女の所でもそうだった。目の前の建物から、人がばらばらと外に出てくる。

 馬小屋に馬をつなぐと、アルルたちは人の流れに逆らうように建物の中に入っていく。

「アルル君と言ったかね? ここが我々警邏隊の詰め所だ。と言ってもしかし、お役所の一角を間借りしているだけなのだがね」

 そんな警邏長の話を聞きながら二階へ上がっていく。

「まぁ、取りあえず座って、何か腹に入れましょうやツェツェカフカさん」

 通された部屋は、ドゥトーの部屋と同じぐらいの大きさだ。

 机の前に、低めのテーブルを囲むように椅子が並んでいる。ヨゾラはアルルの背負い袋から飛び降りた。

 毛足の長い絨毯で、なんの音も立たなかった。

 さわり心地が面白くて、ヨゾラは絨毯に転がって背中を擦り付けてみたりする。

「可愛いもんですな」

 と警邏長が目を細めて言った。

 この髭おじさんは猫好きなのかな、とヨゾラは思った。そのおじさんが部下を呼びつけて、お茶と食べ物を申しつけた。

「……警邏長さん、面目ない。取り乱してしもうた」

 椅子に浅く腰掛けたドゥトーが口を開く。その左袖から、ラガルトがするりと這い出てきた。

「気に病まんでください。今度は強盗を捕まえて、そこからどうにか辿るまでです。盗品の回収のためとか何とか、なにかツェツェカフカさんが森に入るための理由を付けましょう」

 そう言われたドゥトーはため息をついて

「すまんの」

 と言った。

「すみません、聞いてもいいですか?」

 アルルが控えめに手を上げてそう言う。

 ヨゾラは仰向けになったままその顔を見る。

「魔法陣の中に追跡用のを一枚紛れ込ませて、誰が糸を引いているのかを探る。そういう話だと思ってましたが、それだけではないですね?」




「ウールク・ゴーガンは儂の幼なじみでの」

 そんなふうに、ドゥトーは話し始めた。


「儂らが子どもの頃はエレスクもせいぜい炭焼きぐらいしかない田舎町でな。ウールクは昔このあたりを収めていた領主の血筋だったが、よく屋敷を抜け出して儂らと河で遊んだり、こっそり屋敷の森に行ったりしたもんだ。木登りやら、洞穴探検やら、ウサギ追いやら、思いつく限りの遊びはなんでもやったの。夏の一晩をそこで過ごして、あとでこっぴどく叱られたりもした」


 子ども時代のドゥトーはアルルには想像もできないが、思い出話をするドゥトーは楽しそうに見えた。

 きっと、楽しかったのだろう。


「十五歳になった時に、あやつは河を下ってエレスクを出た。クホームオルムに国で初めての高等学院ができてな、そこで学ぶと言っていた」

 クホームオルム、たしか南半島の東の端にある大きな街だ。


「儂もその頃に弟子入りで町を出たから、再会したころには二十年かそこらの年月がたっとったよ。ウールクはもう火薬工場を建てておって、エレスク・ルーはすっかり様変わりしとったわ。二番橋が落ちて、三番橋ができたりしてな」

 

 ドゥトーは話を続ける。

「ちょうどそのころ、ウールクに子ができた。それはそれは喜んでおったよ。だが、奥方がお産で無くなってしもうて……。ただ一人残った息子を、ウールクはそれはそれは溺愛しておってなぁ。ユニオーも、小さい頃は可愛かったのだよ。本当に、可愛かった」


 その口調に、陰りが混ざった。

「だが、成長するにつれ、ユニオーには周りを見下すような態度が目立つようになった。自分は選ばれた血筋の人間で、他の人間よりも優れていると、そんなことを言い出すようになった。成人してから工場の役職についてはいたが、どちらかと言えば狩り場に閉じこもるか、ロクでもない連中とつるんで騒ぎを起こすか、そんなことばっかりしておった」


 ドゥトーの灰色の目は、ここではないどこかを見ているようだった。

「それだけならまだ良かったのだが……七年前にな」


 ──もしかしたらあの子は──


「十四歳の女の子が行方不明になった」


 ──あの森のどこかにいるのかなぁとね──


「必死に探したのだが、見つからずじまいでの」


 ──思い出さずにはいられないんですよ──


 アルルは言葉をはさんだ。

「灯り屋さんから……聞きました」


 ──あんな暗い森の中にはいません。いませんとも──


 そうだったらいいと思う。


 帰りの旅の途中で、下流のどこかの町で、酒場でも娼館でもどこでもいいから、自分と同じ年の娘が煙草でもふかして「貧乏がいやでさぁ」なんて言ってくれたらいいと思う。


「髪飾りが、落ちてたんですよね?」

 アルルがそう言うと、ドゥトーは首を横に振った。

「その髪飾りは、別の娘のものとわかった。青瑪瑙めのうではなく、月光石だったからの」

 ドゥトーの目は、過去を見ている。七年前を見て、悔いている。


「ウーウィーがな、見ていたのだよ」

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