第29歩: あのとき殺さなかったから

 真っ先にウーウィーが走り出した。続いて走り出したアルルとぐんぐん距離が開いていく。

「なに? なに!?」

 と耳元でヨゾラの声がした。

 アルルは必死に追いかける。

 窓が割れてるだけだ。たまにはそういうことだってあるだろ? 玄関の扉が開いてるのだって不思議な事なんかない。窓が割れたから、片付けに出て、それで開いてるんだろ?

 自分に言い聞かせる。あんな三人組が、魔法使いをどうにかできるわけない。

 開きっぱなしの扉から誰かがこちらへ飛び出してきた。

 あいつ、昨日の湯屋にいた──

「ギデさん!」

 ウーウィーが叫んだ。

「ウーウィー! せっ、せ、先生が!」

 真っ青な顔をしたギデが転びそうになりながら足を止める。ウーウィーが石段を一足飛びに飛び越え、ドゥトーの家に飛び込む。それに続いてギデが再び入った。

「アルルはやく!」

「重いんだよ!」

 荷物を盛大に鳴らしてアルルも戸口へ差し掛かる。

「せんせぇぇー!!」

 ウーウィーの絶叫が聞こえた。石段を駆け上がり、内扉を抜けると、へたりこんだウーウィーが、ドゥトーにすがりついていた。

 廊下に仰向けになり、灰色の目は濁ったまま宙を見て、濃紺の服には黒く染みが広がっている。

 その傍らにギデがしゃがみ込んで頭を抱えている。

 ドゥトーの鳩尾みぞおちのあたりに見覚えのある棒が突き出ていた。

 時代錯誤な飾り柄。昨日、納屋のはりに刺しっぱなしにした短剣の柄だ。

「あ…………」

 アルルの耳許で声がする。ウーウィーが嗚咽を漏らすのも、ギデが悔恨の言葉をうめくのも、遠くの事に感じた。耳の中で、血流の音がする。


 あのとき、殺さなかったからか。


「アルル、聞いて。なんかヘンだ」

 あのとき、殺さなかったからか。

「聞いてよアルル。ヘンなんだってば」

 あのとき、殺さなかったからか。

「ねぇ、アルル」

 あのとき、殺さなかったからか。

「アルル、聞いて」

 だからドゥトーが殺されたのか。

「アルル……」

 俺が殺さなかったから。

「アルルってば!」

 杖を放り、背負い鞄を落とした。

「うわっ!」

 とヨゾラが驚く声がする。

 振り返り、黒猫を睨んだ。

「うるさいよ」

「聞けよ!」

 緑の瞳が睨み返していた。

 心が引っ張られる。話を聞こうとしてしまう。

「俺に、命令するな……!」

 歯を食いしばるように言葉を絞り出す。

「そんな事いってる場合じゃないだろ!? 声がしてるんだよさっきから!」

 ウーウィーの嗚咽と、ギデの呻きが止まった。

「ドゥトーの下から、小さいけど、声がしてる。それににおいだってヘンだ。キミたちの臭いじゃない」

「何が言いたいんだよ」

 ヨゾラを睨んだままアルルが問う。

「ドゥトーはヒトなんだよね?」

「当たり前だ」

 三人が注目する中、ヨゾラはつづけた。

「臭いが、ヒトの血の臭いじゃない。あと、背中の下に何かいる」

 三人のヒトがドゥトーの体を振り返った。その背中にいる

 あの白いトカゲ。ラガルトしかいない。


「ギデさん!」

「おう」

 ドゥトーの弟子二人が、血に汚れるのもかまわず師匠の体を横向きにしようとするが、意志のないからだはとして、うまく動いてくれない。

 ラガルトが生きている。

 三人の魔法使いには、その意味する所がよくわかっていた。

 アルルが「糸」を繰り出して、ドゥトーの上体を起こす。その背中から、カランと硬い音をたてて白いトカゲが床に落ちた。

 逆さまになって、石のように動かなかったのが、不意に柔らかさを取り戻して動き出す。

 するすると壁をのぼり、少し高いところでノドを不規則にヒクヒクさせた。

「ラガルトさんが、生きてる……」

 ギデの両腕がへなへなと床へ垂れた。

 ウーウィーは言葉がうまく出ないようだった。

 アルルはドゥトーの体をゆっくりと再び寝かせる。

「『二階についてきてください』って言ってる」

 背後でヨゾラの声がした。

 ラガルトのノドがまた不規則にヒクヒクした。

「塩もって、急いでって」

 先導するラガルトの尾は、途中で切れていた。




 二階の一室、インクと植物の匂いのする部屋のベッドにいたのは、塩切れを起こしたドゥトーだった。夜着のままで、枕元には杖が立てかけてあった。

「ベッドで、塩切れになると、寝とるか、起きとるか、わからんようになるの」

 ひとかけらの塩をなめた後ベッドに体を起こし、弟子の作った白湯をゆっくり飲みながらドゥトーが言った。

「面倒をかけてしまって面目ないわ。お前さんたち、驚かせてしまって悪かったの」

 目を真っ赤にしてベッド脇に立つ二人の弟子と、その後ろに立つアルル、そして、ベッドの足元側にいるヨゾラに向けて、ドゥトーは声をかけた。

「ラガルトも、よく頑張ってくれた」

 ベッド脇の壁に張り付いた白トカゲが喉を不規則にひくつかせる。ご無事で何よりです、とヨゾラの耳には聞こえた。

「皆、見ての通り、儂は大丈夫だよ」

 その言葉をきっかけにして、ウーウィーが泣き出した。まさに「うええええん」と声を上げて、幼い子に戻ったかのように泣いた。

 ギデは黙ったまま、何度も拳で涙を拭っていた。

 アルルもなぜか、しきりに鼻をすすっていた。

 ヨゾラは鼻の上がムズムズとして、でも周りのヒトたちのようにはならなかった。

 お腹のあたりがキュウウとなった。

「すまんかった」

 白湯のカップを手に、ドゥトーが少しうなだれる。

「まさか、ああもなりふり構わずに来るとは思っておらんかったよ。儂の見立てが甘かったわ」

 ギデが涙を拭いながら、声を震わせてドゥトーに尋ねた。

「先生、あの、下にあったあれは、なんだったんす? おれ、あんなの知らないす。知ってたら、こんな、こんなには驚かないすのに」

 ウーウィーもしゃくりあげながらドゥトーに何度も頷いた。

「あれはの」

 ドゥトーは白湯をもう一口飲んで、長く息を吐き出した。

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