第26歩: 洗濯

 ヨゾラもついていった。

 洗濯は服をきれいにすること。アルルが教えてくれたが、それは知っている。

 どうやるのかは見たことがない。

 まつりを先頭にして階段を降り、入ってきたのとは反対側へ廊下を行き、突き当たりの扉をあけて厨房を抜ける。

 厨房にいた祭子はヨゾラを見ると露骨に嫌な顔をしたが、無視して通り抜けた。

 通り抜けるとおやしろの裏手で、ウーウィーぐらいの年の祭子が、大きな丸くて浅い桶──と言うのだと、あとでアルルが教えてくれた──に井戸水を張っている所だった。

 たらいの近くには、洗濯物の山が入った木編み籠がおいてある。

 まだ日は山陰から出ておらず、吐く息も白かった

「これで洗濯するの?」

「そうだよ。石鹸ってのを使ってな。石鹸は?」

「知ってる。する苦いやつでしょ」

 ヨゾラがそう答えると、アルルは笑った。

「そう。苦い。お前も舐めたことあるんだな」

「じゃ、アルルも」

「石けんの泡は虹色できれいだったからな。どんな味がするのかと思ってさ」

 祭子が、その石けんを鉄の板みたいなものでガリガリと削っている。

 アルルは、大きくて浅い丸桶に何本かの「糸」をほうった。


「ニジイロってどんな色?」

 とヨゾラは尋ねる。

「そりゃ虹の色……石けんのをよく見ると、色がついてるだろ? その色だよ」

 アルルが魔力を吸い始めた。

「あーね、あれかぁ。石けん色じゃだめなの? ぶくぶく色とかは?」

「む……」

 「糸」へ流れる魔力が一瞬だけ途切れる。

「ええとだ」

 魔法をたて直しながら、アルルは考える。

「石けんはつい最近できたけど、虹の方が昔からある。だから、先に虹色って名前がついた。石けん水の色は、虹と同じだから、石けん水は虹色。これでどうだ?」

「わかったかも」

 ずーっと前にも石けんはあったと思ったけれど、虹はそれよりも前、と言うのは、納得できた。

 たらいの水から、湯気が立ち始めていた。

 子どもの祭子がに手を入れて、目をまん丸にしている。

 削った石けんの山を手に、大人の祭子が

「それは、お湯ですか? すごいですね魔法というのは」

 と言ったあと、苦い顔でつづけた。

「それで、とても言いにくいのですが、水で洗うのも修練の決まりでして」

「え……」

 言葉につまったアルルへ、大人の祭子はさらに続けた。

「ですので、この事はご内密ということでひとつ」

「良いのですかあにさま!?」

 子どもの祭子が言うと、大人は咳払いをして

「これもファヤ様のお引き合わせだ」

 ととぼけた顔で言い、聞いた子どもはシシシ、と悪い顔で笑った。


 に削った石けんが投げ込まれる。

 かき混ぜて、祭子たちが洗濯物をたらいに投げ込み、靴を脱いで裾をまくって、最後にたらいに入る。

「お、ほ、ほーう!」

 子どもの祭子が変な声を出した。大人の方が慌てて人差し指を口に当てた。

 あれは見たことあるな、とヨゾラは思う。「しーっ」てやつだ。

 見ると、アルルも靴を脱いでいる。

 男三人が大きなたらいに入って、ざぶざぶと洗濯物を踏んづけている。

 が立ち始めた。ヨゾラは虹色を見ようとして近づき

「ぷ!」

 顔に湯が跳ねて全力で離れる。顔を振ってヌルヌルした水を払うと、今度は注意ぶかく近寄った。

 いくつかのの中に、何かいる。透き通った、小さな魚みたいなものが、くるりくるりと回っている。そして、の殻をやぶって宙へと泳ぎ出ては、朝日に透き通って見えなくなる。

「アルル、の中に何かいるよ?」

 ヨゾラが訊くと、アルルは洗濯の足を止めずに応じた。

「何かっていうのは、魚みたいなやつか?」

「そう。アルルにも見えるの?」

 子どもの祭子が口を挟んだ。

「僕にも見えますよ」

 大人の方がまた「しーっ」とした。

「見えない。けど、知ってる」

 とアルルが言った。

「そいつはたぶん『ペシェプマ』だ。『泡魚アワウオ』とも呼ばれるよ」

「アワゥオゥ」

東部諸国語リンガデレステみたいに言うな。あと、このは『泡』って呼ぶから、覚えときな」

「へーい。もしかして、アワでウオで泡魚なの? けっこう単純だねアルル」

「俺が単純みたいに言うな」


 大人の祭子がニヤニヤしながら洗濯をつづける。

 目の前に飛んできた泡にも、泡魚がいた。泡がはじけて出てきた所を反射的にパクッと行き、反射的に吐き出した。

 口からは石けん水が出てきただけだった。

 ヌルヌルぴりぴりとした違和感に、たまらず舌を出して前足でしごく。

「ヨゾラなにやってんだ?」

「アワゥオ苦い。おいしくない」

「へえ。そうなのか。そりゃいいことを聞いた」

 アルルは見当外れな感想をもらした。

「苦いですよね」

 子どもの祭子がヨゾラに同調し、大人の方はその頭をぺしっとはたいた。

 本当はしゃべっちゃいけないらしかった。



 石畳に杖を鳴らし、荷物を背にアルルが目抜き通り歩いていく。コートの前をしっかり閉じて、手袋と、もこっとした暖かそうな帽子も鞄から出してかぶっていた。

「今日もドゥトーさんのとこ行くぞ。またお茶もらえるかもな」

 とアルルは言っていた。

 昨日よりも人が多いなと、鞄から覗いてヨゾラは思う。ほとんどの人は、おやしろの方へ向かっているみたいだった。

 ガラガラガラと騒々しい音をたてて、二頭建て馬車が追い抜いて行く。その中に黒く艶やかな毛皮を纏った夫人の姿がみえた。


 ウァナなんとかって所へ行くとか言ってたな。そこでずっと探してろ。

 心中で毒づき、ヨゾラは中から這い出て鞄の上に乗る。

「大丈夫なのか?」

 とアルルに訊かれたので、ヤなやつはもう行っちゃったと教えてやった。関心事はもう一つあった。

「アルルー、お腹すいたよ。ちょっとひと狩り行ってくる」

 口をへの字にして振り向きアルルが言う。

「それはちょっと困る。お前がドゥトーさんの目当てなんだ。俺も朝メシ食うから、その時にお前のも買ってやるよ」

「昨日のみたいにかったいのはヤだよ。あと、あんまりしょっぱいのも」

「贅沢だなお前」

 眉根を寄せてアルルが振り向く。

「いいだろ? こっちにだって好みはあるんだから」

 すれ違う町の人たちは相変わらずぎょっとしたり、足早に通り過ぎたり、中には何かを納得したような顔をする人もいたけれど、なんだか急いでいるみたいであんまり話しかけて来る人はいなかった。

 アルルはヨゾラを乗せたままもう少し歩くと

「今日はこれかな」

 と羊串の店で足を止めた。

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