第24歩: ビスケットと白い服

 壁に煙熱管が通っているのだろう。部屋はじんわり暖かくなっていた。壁際の燭台にも火が灯っている。

「俺が出かけてる間に、誰か来たのか?」

 毛布の上に置かれた、暖かそうな夜着に目を止めてアルルはヨゾラへ訊いてみた。

「ん。見てないけど、来たみたい」

「そうか」

 いそいそとさっそく着替える。ドゥトーのローブに似た、帯つき夜着だった。ありがたい。明日にでもちゃんとお礼をしておこう。

「ヨゾラ、『おかえり』ってのはどこで覚えたんだ? あのファー夫人のところか?」

 すっかり着替えて夜着以外は全部脱ぎ、アルルはベッドに腰掛ける。

「ちがうよ。もっとずーっと前だよ」

「ずーっと前ねぇ」

 どれぐらい前なんだろうか。

「お前、俺に会う前はどうしてたんだ?」  

 毛布の膨らみがもぞもぞ動いて、ひょっこりとヨゾラの頭が出てくる。

「どうって、林にいたり、道にいたり。町とか村ってとこにもいたよ。ヒトにも会ったけど、話しかけると逃げちゃったり、石ぶつけられたり、ひどい目にあった」

 ありがちな反応だとアルルは思う。

 魔法使いだって百年も遡れば、忌み嫌われた時代があったのだ。いわんや喋る黒猫をや。今でも、魔法そのものについてはよく誤解される。

「だから猫のフリしてたんだけど、そしたら犬に追いかけられて、あの女の所に連れてかれたの。ホント犬ってしつこくてやだ」

 いささか脈絡がないが、アルルは気にしない事にした。

「そのあとはどうしたんだ?」

「逃げ出した。歯のない奴が檻を見ててね。あたしを猫だと思って鍵をその辺に置いとくから、それで開けてやった」

「へぇ、やるなぁ」

 ヨゾラはとした。

「そのあと逃げて逃げて、何か大きな箱の中に隠れたらまた閉じこめられたよ」

「ついてないなお前」

「めちゃくちゃ揺れるし、あちこちに頭ぶつけたし、何も食べられないし、死ぬかと思った。出られたら出られたで、棒もった奴らが追っかけてくるし、散々だよ。あたし何もしてないのにさ」

「ついてないなぁ、お前」

「ぜんぶあの女のせい」

 話を聞きながらアルルは鞄を引き寄せて、中からごそごそと紙包みを出した。ヨゾラが毛布からススっと出てきて、包みを興味深そうに見つめた。

「たべもの?」

 さすがのカンだった。

「ビスケットだ」

「ビスケット!」

 ピっ! と耳がたつ。

「ビスケット好きなのか?」

 意外に思ってそう聞くと、ヨゾラは顔に疑問符を浮かべてアルルをみた。

「食べたことないよ?」

 じゃ何でその反応だよ、と思ったが、ヨゾラの次の言葉で理解した。

「ドゥトーの所にピファちゃんが持ってきてたよね? 食べてみたい!」

 なるほど。

 欠片くずが落ちないように膝の上で注意深く紙包みを広げる。小麦を焼き固めた四角いビスケットが三枚残っていた。

「ピファちゃんが持ってきたのとは、ちょっと違うかもしれないけどな」

 一枚を奥歯ではさんで、割った。

「ほい」

 小さい方の欠片をてのひらに乗せて差し出すと、ヨゾラはクンクンと匂いを嗅いだ。

「いただきます」

 そしてかじりついた。

 かじりついたまま、固まる。

 もう一度かじりつく。

「んぎっ!」

 変なかけ声とともに、ぱきっと音がしてビスケットが割れた。

「こえ、かっあいよ」

 これ、かったいよ。口の中をバキボキいわせながら、ヨゾラが言う。毛繕いしながらは喋れても、食べながらだと無理なようだった。

 アルルはコツを教えてやった。

「くいんああえうやあいえくうんあよ」

 口ん中でふやかして食うんだよ。

 二口目をふやかしながらヨゾラが突っ込んだ。

「おーゆーこおああやくいえよ」

 

 食べ終えて、ロウソクを消し、アルルも毛布の中に滑り込む。間髪を入れずに眠気が襲ってくる。

 ベッドだ。

「おやすみ」

 と毛布の中のヨゾラに声をかける。

「おやすみなさー」

 微妙に違う返事がきた。直そう、と思う間もなくアルルはするりと眠りに落ちた。

 

 


 固くてツルツルとした床、自分の影がうつって見えるのが面白いけど、すごく歩きづらい。

 長く、ながーく続く廊下を、時々滑りながらトコトコと歩いていく。

 白い壁に四角く線が引かれていて、教えてもらったとおりに爪の先で三回叩くと線の内側で壁が消える。白い服を着た、アルルみたいな色の人が「おかえり」と言ってくれる。

 口を開く。言葉がでる。

 ──今日はテットウを見たよ。あれ登りたい。

 ──マホウってなに? あたしもやりたい。

 ──ユキ? ユキってなに? 見に行きたい。

 ──ヒジコ? ピジコ? ふぃ? フィジコ!

 ──もしもしってなに? いつ使うの?

 ──地面の下ってビリビリするんだね!

 ──あしたは何のジッケンするの?

 ──あさってはどこ行くの?

 ──しあさっては何するの?

 しゃべるたびに喜んでくれるのが、とてもうれしい。毎日、どこかへ行ったり、何かを教えてくれたりする。白い服の人は、時々抱っこしてくれる。

 ──お前はね、人を助けるために生まれたんだ。そのうちお前の妹たちや、弟たちが生まれて、世界のあちこちに旅立つ事になるよ──

 碧くて濃い光が見える。身体からだ全体がビリビリする。

 ──わたしは、あたしで──

 ぱん、ぱぱん、と、みたいな音がする。碧い人たちがたくさん踊っている。


 いなくなる。いなくなった。

 だいすきなのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る