第21歩: 少年と少女
「湯屋があるんだってさ。行くか?」
二階の一室に通されるなりベッドにひっくり返っていたアルルが、妙に明るい口調で訊いてきた。
が、ヨゾラはゆやが何なのかわからなかったので、教えてもらった。
「でも、お湯って熱い水でしょ? 水に入るのきらい」
それに
「そこ、あたしみたいのも入れるの?」
ベッドの上に飛び乗って、アルルの顔を見下ろしながら言う。お昼ごはんの時みたいな思いをするのはイヤだった。
アルルはちょっと考えると、「あー、そうか」と残念そうに起き上がった。
「じゃ、ちょっと行ってくるよ」
と部屋から出ていく。がちゃり、と鍵のかかる音がした。
ベッドだ、とヨゾラは足下を見る。歩くと何だかふにゃふにゃしていて頼りない。白っぽい布の中からは、羊か山羊か、かすかに獣の
ベッドを見たことはあっても、乗ってみるのは初めてだ。前に見たのは、あの女の所にあった屋根付きのベッドだった。
ここのは屋根が無い。
家の中なのに、なんで屋根なんかつけてたんだろ、あの女。
身を低くしてモゾモゾと、毛布の中へ潜り込みながらヨゾラは思った。
毛布の中の暗闇に、ギョロンとした目玉がいる。
そこで何してんだよっ、と牙をむき出して脅したらいなくなった。
ナワバリって、こういうことかも。
ジャケットがないと、やっぱり寒いな。帽子を出してくれば良かった。
コートの前をかき合わせ、アルルが宿舎の外に出ると広場に見なれた人影があった。細長いのと、丸っこいのと、すこし小さいのと三人分。
こちらに気づくと、細長いのはお辞儀をし、少し小さいのは大きく手を振り、丸っこいのは両腕を軽く広げ、声をあげた。
「アルル君!」
ドゥトーだ。
アルルは近づきながら声に答える。
「ドゥトーさん、ウーウィーも。どうしたんですか? お
「いやなに、昼間の一件で──」
と、ドゥトーは視線で広場の出口の方を指した。仕立て屋とは反対の方だ。
「すぐそこのお役所の方まで行っとってな。ついでに、祭司さんにも挨拶してきたとこだわ」
「そうでしたか」
相づちをうちながら見ると、ドゥトーはまた濃紺の上下に着がえていた。
「アルルさんは、これからお夕食ですか?」
とピファが訊いてくる。
「いや、温泉が湧いてるって聞いて、ちょっと湯屋までね」
「ヨゾラちゃんは?」
「水に入りたくないっていうから、置いてきたよ。ピファちゃんは帰るところかな?」
少女はこくんと頷き、アルルと眼があって、あわてて目をそらした。口がきゅっと引き結ばれている。
「ウーウィーも?」
大きな少年は「は、はい」と返事をした。
「気をつけてな」
と声をかけて、送って行ってやった方が良いかな、と思い直した。が、先にウーウィーが口を開いた。
「ゆ、夕暮れから、なら、僕も、す、すこしだけ魔法が使えるから、大丈夫です」
緊張した面持ちで、しかしその青い瞳にはある種の決意のような物がみえた。
おや? とアルルは思った。
陽が西の山々に掛かって、本殿の屋根に影を落としている。
「俺はそろそろ行きますけど、ドゥトーさんたちはどうします?」
「儂も帰るよ。まだ少しやることがあっての」
「ぼ、僕は、ピ、ピファを、送って行きます」
ウーウィーがそう言うと、ピファはほんの一瞬だけ大きな少年をにらんだように見えた。
「では、ま、行くかの」
とドゥトーが最初に広場を出る。その背中では、ラガルトが白い
「アルルさんは、北の半島のどこから来たんですか?」
とピファが言う。
広場を出て、ドゥトーは目抜き通りを真っ直ぐ帰って行った。アルルたちは右へと曲がった。仕事を終えて家路につく人、湯屋へ向かうらしい人、お社沿いの道にはそれなりに人通りがあった。
祭司さんから教わった湯屋への道は、途中までピファの家への道と同じらしい。
「ララカウァラっていう田舎だよ」
アルルは答える。
「どんなところですか?」
「どんなところ、か。ここよりはもう少し寒いけど、今頃はユキカラシの新芽を取りに山に入ったり、畑の準備を始めたり、かな。小さいけど、春分祭もやるよ」
「春分祭!」
顔を、ぱっ、と明るくして訊いてくる。
目と口が大きいから、表情も大きいんだな、とアルルは気がついた。そういう事なら、口が大きいのも良いことかもしれない。
「あっちでは、火太鼓っていって、大きなやぐらを組んで燃やすんだ。その周りを吊り太鼓を打ちながら回ってく。やぐらの炭や灰は持って帰って、畑に撒いたり、一年間しまっておいたりする。
「へぇぇ!」
と少女と少年が同時に声を上げた。
話しながら、今年は手伝えなかったなと少し残念に思う。
「アルルさんも叩くの?」
「俺は、あんまり上手じゃなくってね」
やってみたことはあるが、適切な「
今度はアルルが質問を返した。
「エレスク・ルーの太鼓は、変わった叩き方をするんだな」
ピファは、にっ、と笑って胸をはる。
誰かさんみたいだ。
「うちの太鼓はトクベツなんです。右の
それにウーウィーが続いた。
「ピピピ、ピファは、す、凄いんです。まだ十四歳なのに、がく、楽隊に選ばれて」
「ウー! 私が言おうと思ったのに!」
ピファがじろっとウーウィーを睨むと、
「ご、ごめん……」
と少年は大きいなりに小さくなった。
そうこうするうちに仕立て屋を過ぎて、次の路地にさしかかる。
「私の家、こっちだから、これで」
とピファが足を止めた。
さらに少女は少年に言い放つ。
「ウーの家はあっちでしょ? 送ってくれなくったって私へーきよ!」
と、強い口調で湯屋の方を指差した。
陽が山に隠れて、あたりは急に暗くなった。
「だ、だめだよ、ピファ。あ、危ないよ」
ウーウィーはつっかえながら反論する。
「へーきだって言ってるじゃない」
「だめだ!」
周りの人が一瞬足を止めてウーウィーを見る。アルルも驚いた。
「だめだ。せ、せめて、今日だけ。あ、明日からは、きっと、だ、大丈夫」
ピファは困惑に口を尖らせて、必死に説得しようとするウーウィーを見る。
「……ウー、なんかちょっと変だよ。何なの?」
「そ、それは……」
とウーウィーがくちごもる。
ウーウィーがピファを送っていく理由はアルルにもわかる。ヨゾラの話を聞いたからだ。そして、ウーウィーがくちごもる理由も何となくわかる。
好きな女の子に、殴られた話なんてしたくないよな。
「ピファ」
ウーウィーが口を開く。続く言葉はしかし、予想とは違ってた。
「動かないで」
動かないで?
ウーウィーをみると、ピファの足元あたりをじっと見ている。アルルも違和感に気が付いた。
薄暗い中、そこだけ影が濃い。墨で丁寧に塗りつぶしたようだった。魔力視をすると、不自然な魔力の塊がそのあたりにある。
ウーウィーはしゃがんで──もう痛そうにはしていなかった──その影に手を伸ばす。その両手に、何か魔法の気配がした。
「もう、何なの!」
うんざりしたようにピファが足元のウーウィーの頭に喚く。それに構わず、ウーウィーは影の中に両手を差し入れて、何かを引きずり出した。
影が水面のように波打つ。
「えっ?」
とピファが後ずさる。
アルルにも、ウーウィーが引きずり出したものが見えた。目が釘付けになった。
丸い身体に短い手足と長い尾のついた、巨大なオタマジャクシのようなものを、ウーウィーが両手に抱えている。
「ヤミモリ、だめだよ。お前の食べ物は山にたくさんあるから、そっちに行きな」
ウーウィーはつっかえなかった。
「ウー、何……それ」
ピファが少し離れた所から、眉間にしわをつくって問いかける。
「ヤ、ヤミモリって言うんだ。たまに、間違って、ひ、人を噛むことがあるから」
ヤミモリ。アルルも名前は聞いたことがあった。影に潜み、小動物を影の中に引きずり込むものだ。たまに、家畜がやられる所が目撃される。
見たのは初めてだった。
捕まったヤミモリは、暴れるでもなくだらんと尾を垂らしている。
「退治するの?」
「う、ううん。ヤミモリは、おとなしいけど、か、家畜も食べるし、お、怒らせると危ないから、や、山に、返すよ」
そう言うと、ウーウィーは小さな声で何かをヤミモリに語りかけ、そのまま地面に降ろそうとした。
「ウーウィー待った!」
それをアルルは制止する。
きょとんとして自分をみつめるウーウィーに、アルルはなるべく冷静を装って、言った。
「もし良ければ、だけど、それ、その、ちょっと触ってみてもいいかな?」
ピファの口がいぃぃーっと左右に長く引きつった。
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