第20歩: 悪い噂
「へへへへへ。……にへへへへへへへー」
太鼓の音にまじって、背負い鞄の中から緩んだ笑い声が聞こえてくる。
「ヨゾラちゃん、だって! えへへへへ」
何がそんなに嬉しいのか。アルルはしばらく放っておいたが、頃合いをみてちょっと聞いてみる。
「ピファの『ちゃん』とかウーウィー『くん』とか、いつ覚えたんだ?」
お
ヨゾラが鞄から顔を出した。
「ドゥトーの所。なんとなく使ってみたけど、あってた?」
「まぁ、あってた」
「やったね」
仕立て屋を探しながら、そんな話をする。
「ドゥトーには『さん』をつけないのか?」
「『ドゥトー』でいいって言ってたし。アルルは喋り方変えてたよね。なんで?」
「それは……大人だからだよ」
これからもこんな質問が飛んでくるかと思うと、ちょっとしんどい。
「アルルくん」
「なんだよ急に」
くん付け?
「こっちの方がうれしいかなと思って。アルルくん」
「む。なんだかムズがゆい。アルルでいい」
「そうなの? むずかしいな」
「難しいかヨゾラちゃん」
「うへへへへへへへへ」
「……ちゃん付けしない。ヨゾラって呼ぶ」
「えー、なんで?」
「やりづらい」
「いいじゃん、あたし嬉しいのに」
ヨゾラがぶつくさ言っているので、別の話をする事にした。
「口が大きいのは良い事なのか?」
質問するとヨゾラは、単純と言ってもいいぐらいに素直に答える。
「うん。だって一度にたくさん食べられるし、いざという時、口が大きい方が強いよね」
わりと予想通りだった。
「それ、ピファちゃんに言うなよ」
「えー、なんでー?」
「年頃の女の子が、そんなこと言われて喜ぶもんか」
目当ての仕立て屋は、すぐに見つかった。扉に手をかけると、ヨゾラが引っ込んだ。
「いらっしゃい」
店に入り、店番の少年にジャケットを見せて事情を説明すると、少年は店の奥へ声をかけた。
「母ちゃん! 上着の直し、穴二つと裏地で明後日までだって!」
奥から声がかえってくる。
「何言ってんだい! 明後日は休みだよ!」
「だそうです。
「悪いけど、旅の者でね。
「月曜朝、
「四だね!」
「四なら明日夕方だ! ドゥトーさんから『ここなら』って聞いたんで来たのさ。ダメなら他をあたるよ!」
少年の頭越しに、アルルは直接奥へ声をかける。
少し間があって「三だ!」と帰ってきた。
「裏地は剥がしてくれるだけでいい! 二半だ!」
「はん! かなわないねぇ。いいよ、
声が帰ってきた。アルルは少年にジャケットを渡し、コートのポケットから銀貨を二枚渡した。
「釣りはいい。無理言って悪いな」
「まいど。換え札だすんで、待っててください」
少年が棚からてきぱきと木札を出す。札には番号と屋号が焼き付けてあった。
「じゃ、よろしく頼むよ」と、店の出口を開けた時、太鼓に混じってまた銃の音がした。
「すまない、ちょっと教えてくれないか」
アルルは扉を閉め、振り返る。少年は「何です?」と怪訝な顔をした。店番にしちゃ愛想のない坊主だな、と思った。
「銃の音が聞こえてくるんだけど、あっちの山の方には何があるんだ?」
「ああ、」と少年は不愉快そうな顔をした「ゴーガンさんのお屋敷と、狩り場ですよ」
ゴーガン。その名前を聞くのはこれが二回目だ。
「何者なんだい? その人は」
仕立て屋さんを出ても、お社からはまだ太鼓の音が聞こえてくる。アルルはなぜだかあんまり喋ってくれないので、ヨゾラはカバンから身を乗り出して道を眺めていた。
道行く人に混じって、黒い粉になる鳥やら鉄色のカナブンやらが目に付く。
お社の塀の所には「河の子」が二匹いたし、お社の屋根の上いっぱいに、のっぺりした巨大なオタマジャクシが寝そべっていた。
おっきいなー、あれ。
アルルは気づいた様子がないから、きっとあれも「不思議なものたち」なんだろう。
つんきき、つきんき、つんちきちん
どでんと、てどんど、どんてでどん
アーファーヤの太鼓が鳴ると、魔力が出るんだな、とヨゾラは感じた。ヒゲがビリビリする。それに、なんだか普通の魔力とは違って、文字通りに元気の出てくる魔力だと思った。
また見物の人たちがパラパラといるけれど、さっきほど多くない。
ピファがこちらに気付き、両手の
つきーん、きんきん。と
ばららん、どんどて、どん!
先ほどと同じように演奏が終わる。
「良いでしょう、今日はここまで! 片付けて解散です」
アルルは祭司さんに話しかけて、紙を見せて、なにか話をしている。
太鼓の人たちはといえば、ぞろぞろと本殿の方に向かっている所だった。ピファが手を振ってきたので、ヨゾラも振り返した。ヒトみたいに左右には振れないからにぎにぎを代わりにする。
さっき屋根にいたオタマジャクシは、いつの間にかいなくなっていた。
宿舎へと案内される。
アルルの頭の中で、仕立て屋の少年の話が繰り返される。
──ゴーガンさんはいい人です。父ちゃんも母ちゃんも言ってます。町の火薬工場をどんどん大きくして、学校も新しくして、町の人も増えて。うちの店もそれで助かってるって。でも──
ゴーガン家の息子には悪い噂があった。
まさかな、と思う。
狩り場で狩るのは動物だけではない。
人も狩っているというのだ。
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