第17歩: 目抜き通りにて

 目抜き通りは鮮やかだ。漆喰しっくい壁の建物が左右を隙間鳴く埋めて、思い思いの色に塗られている。

 通りの上には何本ものロープが渡されて、三番橋と同じような青と黄色の菱形がいくつも揺れていた。

「アルル、いい匂いがするよ」

 声に振り返ると、かぶせの隙間からヨゾラが顔を覗かせている。

「お前、隠れたいんじゃなかったか?」

 歩くたびに杖が石畳でカツカツと音を立てた。

「ヤな奴のにおいがしたらすぐ隠れるよ」

 と、ヨゾラは調子のいい事を言う。


 金曜日オロの昼下がりでそんなに人も多くない。が、アルルは目立つ。

「そこのあんさん。南部からかい? お土産に青瑪瑙めのうの飾り物なんてどうだい?」

「お兄さんお兄さん、大丈夫かい? 猫が喋ってるよ」

「旅の人、疲れた顔してるなー。ひつじくしどうだい? あんたんとこみたいに辛くはないけど、エレスクの塩は一味ちがうよ」

「あんた、さっき空をぴゅーっと飛んでった人だろ!? あれもう一度見せてくれよ?」

「南部の旦那、宿はお決まりですかい?」

「猫かわいー!」

「魔法使いさんかね? ドゥトーさんの所にはもういったかね?」

「母さまー、猫さんおひげー」

「春分祭の飾り紐だよぅ! せっかく遠くからきたんだ、一つ持っていきなよぅ!」

「ここは、エレスク・ルーの町だよ! ルーは『市』って意味だよ!」

「おうお兄さん、旅の人かい? エレスクに来たなら湯に浸かっていきない」

「おにーちゃん、茶色い猫ちゃん見てなーい? タマって言うの」

「噂の鳥人間ってのは、あんたの事だね。はー、やっぱ南部人は魔法使いもやることが違うわ」

「あんた、言葉に訛りがないな。本当に南部の人なのかい?」

「ファヤ様のおやしろにはこれから?」

「鉛筆ならあるけど、西部銀貨か銅貨はあるのかい? うちは砂金だとちょっと困るなー」

 などなど。

 雑貨屋で買った鉛筆七十二本を抱えて店をでると、アルルは一度大きく溜め息をついた。おやしろまで、まだ半分か。

「アルルー、って何?」

 鞄の中からくぐもった声がする。店に入ったから隠れたらしかった。

「鉛筆っていうのは」

 説明しかけて、いったん止める

「その前に顔、だしてくれ」

 そうしないと、鞄と会話する魔法使いとして噂になる気がした。ヨゾラが顔を覗かせる。

「鉛筆っていうのは」

「あっらー! かわいい猫ちゃん!」

 邪魔がはいった。甲高い声がした瞬間、ヨゾラがゴソッと引っ込んだのがわかった。

 もしや、この人か? と勘ぐりながら声の主と向き合う。四十代も後半ぐらいの、身なりのいい女性が道の反対側から小走りに近づいて来ていた。通りを行く人とはだいぶ雰囲気が違う。端的に言って金持ちだ。

「こんにちは」

 ぐったりしそうになるのをこらえて、それなりに愛想良くする。

「ごめんなさいねぇ急にぃ」

 近寄ってきてなお、声が大きい。鮮やかな赤の毛皮を首に巻き、上着には黒い艶やかな毛皮でしつらえたコートを着ていた。帽子からは何か尻尾のようなものが生えている。

 このおばさん、とアルルは思った。

 白羊夫人に居たなぁ。

「何かご用でしょうか?」

「それがね、ちょっと前に逃げ出した猫ちゃんに似てるような気がしましたの。申し訳ないのですけれど、ちょっと見せて下さらない?」

 背負い鞄にちらちらと視線を投げながらぶりぶりとお願いしてくる。

「いやぁ、恐れ入りますが、この猫はララカウァラの田舎からずっと一緒の相棒でして。けちな旅人の連れにすぎません。貴女さまの大事になさっていた猫様とは違いますよ。知らない人がいるとすぐに隠れてしまう臆病者で、ずっと鞄の中に入りっぱなしなんです」

 嘘をついた。金持ちにはちょっと卑屈なぐらいがちょうど良い。

「そうなんですの……」

 ご婦人は心から気落ちしたような声をだす。人を疑わない性質たちなのかな、とアルルは思った。ご婦人は諦めきれないのか、その黒猫について語り出した。

「もう、本当に、ほんっとぉぉに、美しい黒猫ちゃんでしたのよ。ときどき毛並みが光に滲んで、紫色や藍色に見えますの。旅人さん、どこかで見かけたことありません?」

 ああ、ヨゾラだ。間違いなくそれはヨゾラだ。こんな金持ちに飼われてたのか。

「いやー、どうでしょう」

 額を押さえて考えるフリをしながら、適当な嘘をひねる。

「黒猫なら、来る途中の河沿いで一匹みかけま」「どこですの!?」

 婦人が鋭く食いついてきた。

「ここから下流へ歩いて三日ほど行ったところですかね。たしか、ウァナアスって村の近くです。小さな中洲があるので、すぐにわかりますよ」

 実際、ヨゾラに最初に会ったのはそこだった。

 ご婦人は「あらぁ! まぁ! ありがとう。すぐに人をやって探させるわ!」と目をキラキラさせて言う。

 乗り切れそうだ、と思ったとき、背負い鞄の中で何かが動いた。


 


 あ、まずい。非常にまずい。

 ここでヨゾラが出てきたら、猫泥棒にされかねない。嘘までついておいて、いまさら「拾いました」ってわけにはいかない。

 アルルはとっさに魔力を吸った。

 発動。鞄を上から押さえる。

「ぎゅ!」

 と中からヨゾラの悲鳴がした。肩にぐいっと重みがかかり、後ろによろけそうになる。

「あら、何ですの?」

「あぁ、いや、はははー」

 適当な話を振ってごまかす。

「しかし、随分と大事にされていらっしゃったんですね、その黒猫さんを」

「ええ、ええ。そうなんですのよ。大きくなるのを楽しみにしておりましたわ」

「そうすると、子猫だった」

「いえ、そうではなくて。太らせようとしてましたの」

 ……太らせる?

「太らせてしばらくすると、毛に艶がでてきますの。毛皮もちょっとだけ大きくなりますしね」

 アルルは察した。毛皮用かよ。

「なるほどー」

 と相槌をうつ。そろそろ切り上げようと思ったとき、今度は疲れた男の声がした。

「ふじーん!」

 と、痩せた男が小走りでやってくる。

「ファー夫人。お願いですからお一人で勝手に出歩かないでください」

 かちっとした服装をしているが、随分と老けてみえた。声と見た目がそのまま一致している。

「今夜はゴーガン様とのご会食でございます。そろそろお支度にお戻りいただかないと」

「あら、まだ良いじゃないデノリス。この方、探していた猫ちゃんを見たそうなのよ」

「えぇ。それはあとで人をやりますから、とにかくお戻りいただかないと」

「はいはい、わかりましたわデノリス。明日朝、出発したら、ウァナアスに寄るから。そこで人を集めて猫ちゃんを探すわよ」

 そんなやりとりをしながら、疲れた声の男がご婦人を引き取っていく。

 アルルはそっと脇の小路にはいり、魔法を解いた。

「ぶはっ」

 ヨゾラが顔をだして息をつく。

「苦しいじゃないかー、急に何するんだよ。ひっかけてやろうと思ったのに」

「ごめん。ちょっと強すぎたかも。それに、さっきは出てこない方が良かったんだ」

「なんで?」

「まぁ、いろいろとな」

 はぐらかした。

 しかしあのおばさん、ファー夫人とは出来すぎだ。

 東部諸国語リンガデレステにしたらそのまま毛皮ファー夫人じゃないか。

「たしかに、あれに捕まったらマズいか」

 ヨゾラはこれには答えずにこう言った。

「アルル、アルル、降ろして。おしっこ」

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