第14歩: フィジコ
「や、や、やっぱり、こんなの、だだ駄目です」とウーウィーの声がした直後、中でガタンと大きな音がした。
「黙ってろよ、ボケ」と蹴った奴の声がした。
「いいから早く渡せよ」とまた別の声がした。
やっぱり、これは普通じゃない。
ヨゾラは辺りを見回した。壁の上の方に明かり取りの穴がある。その下には、
「聞けよガキ。ごちゃごちゃ抜かすと、お前じゃないやつが痛い目にあうぞ」
また別の声がした。
「ここのジジイとか、舟屋のボンクラとかな。あー、あとあいつもいたな。あのチビガキ、なんだっけ、ピファちゃんだっけ? 可愛いよな? ちょっと遊んでみたいよなぁ?」
ヨゾラは納屋の正面に戻る。また大きな音がした。
「ピファに手を出すな!」
鈍い音がした。何かが地面に落ちた音や、うめき声や「顔はやめとけよ」と言う声がする。
ヨゾラは扉の前で大きく息を吸い込むと、できる限り大きな声で叫んだ。
「おい!!!」
叫ぶと同時に素早く明かり取りの下へ駆け、薪の山へ飛び乗る。再び助走をつける。
「誰だォラぁ!!」
さっき蹴った男が扉の方で怒鳴るのを聞きながら、ヨゾラは明かり取りへ跳んだ。
中が見える。
外へ身を乗り出してる奴、木箱に座ってる奴、ウーウィーを踏んづけてる奴。
ウーウィーが地面に倒れて、呻いている。
「ピファに……!」
ヨゾラの全身の毛という毛が逆立った。
全速力で跳ぶ。ウーウィーを踏んでいる太い男めがけて。そいつも扉の方を見ていた。横面がはっきり見える。その耳に小さな牙を立てた。
次!
「ぃ痛ぇぇっ!」
という悲鳴は後ろで聞こえた。ヨゾラは最初の男の肩を蹴り、木箱の男へ飛びかかっていた。こちらを振り向こうとしているのが見える。迷わず目を狙って爪を振る。
外れた。右頬に両の爪がたつ。構わず引き下ろした。
次!
「がっ!」
箱の男が顔を背ける。その膝の上に着地する。蹴った男がこちらに向かってきている。伸びてくる腕を飛び越えて、その鼻、左側にまがった鼻に力いっぱいかじりついた。
「ぎゃぁぁぁ!」
ざまぁみろ! と横面を蹴って右へ跳ぶ。包みやら壺やらが並ぶ棚に飛び乗り、そこから開きっぱなしの扉に飛び乗り、天井をわたる
「クソが!」
蹴った男が何かを投げつけてくるのが見えた。
梁を奥へと走ってかわす。当たるもんかノロマ!
うずくまるウーウィーが顔を上げてこちらを見ているのがみえた。
お茶をくれた子。アルルやドゥトーにするのと同じように、あたしに接してくれた子。
よくもやってくれたな!
ヨゾラは怒っていた。昨日アルルに感じたのとは全く違う感情だった。
おまえら、耳の一つも食いちぎってやる。
何か木の音がした。太い男が納屋にあった草刈り鎌を投げる。ヨゾラは梁から飛び降りた。鎌が梁に刺さる。
着地の直前、箱の男が迫ってきているのが見えた。
着地。同時に全力で加速。しかし蹴られた所が痛んだ。加速が鈍る。上から押さえこまれる。
胴にかかる圧力に、息が押し出された。
こ、のぉっ!
全力でもがき、身体をひねり、指に噛みついた。箱の男は呻くが手を離さず押し込んでくる。息が出来ない。ヨゾラは苦しさに牙を放した。箱の男が右手を腰の後ろにまわして、何かを抜いた。
明かり取りからの陽に鈍く光る、時代錯誤な飾り柄の短剣。
濃紺の人影がその右腕に組み付いた。ウーウィーが喚きながら、短剣をもぎ取ろうとしている。太い男と、蹴った男が、二人がかりでウーウィーを引き剥がして、床に引き倒した。
箱の男が短剣を握り直すのが見えた。
「前足からだ、クソ猫」
刃先が降りてくる。左の前足に冷たいものが触れる。ヨゾラは身体が冷たくこわばるのを感じた。
くそっ、くそっ、動けよからだ!
そして
刃先が跳ね上がった。
男の右腕が、見えない何かに捻りあげられている。ヨゾラから手を離し、何かを喚きながら左手で右腕を引っ張ったり叩いたりして、男は見えない何かから逃れようとしている。
その腕に、仄かに光る碧い糸が伸びているのが見えた。
「お前らぁぁ!」
聞き覚えのある声、聞いたことのない口調。
「何やってやがんだ!!!!」
こんな大きな声も出すんだ、と思った。
残りの二人が納屋の奥へ吹っ飛んでくる。
ヨゾラは慌てて身をかわす。
ばぐん! と音を立てて、三人は納屋の壁に重なって張り付いた。短剣が床に落ちる音がした。
「アルル!」
入り口の人影へ、ヨゾラは叫ぶ。
「こいつらひどい奴だ!」
蹴った男が喚く。
「なんなんだよ! これなんなんだよ!?」
「こっちの台詞だ馬鹿野郎!」
アルルが怒鳴り返した。アルルが息をつくたびに周りから魔力が流れ込み、「糸」を伝って走るのがわかった。
「ウーウィー、だったよな。大丈夫か?」
魔法を緩めず、視線をウーウィーに向けてアルルが訊いた。ウーウィーは頷きながら、ヨロヨロと立ち上がり、納屋の壁にもたれる。
「ヨゾラ、こっちへ」
言われた通りにした。
「無事か? なんともないか?」
「うん。ちょっと蹴られただけ。なんともないよ」
声が震えるのは止められなかった。
アルルの足下から壁に張り付いた三人を見ると、それぞれ自由になろうともがいている。その顔に恐怖が浮かんでいた。
「なんだ、その猫! お前何なん……」
太い男は言葉の途中で息を詰まらせた。ヨゾラがよく注意すると、男たちの喉のあたりをアルルの魔法が押し込んでいるのがわかった。
容赦、ないな。とヨゾラは思う。アルルの指先から全部で六本の「糸」が出ていた。
アルルが口を開く。
「魔法使いの連れだ。言葉ぐらい喋るよ」
蹴った男の右手が、ポケットをまさぐっている。次の瞬間、何かをアルルに投げつけた。
その何かはアルルの眼前で見えない壁に弾かれ、屋根にぶつかって転がった。なにか金属の球だった。
いっそ憎らしく思えるほど、アルルは動じない。三人にゆっくり近寄っていく。近寄りながら、もう一本「糸」をとばした。床に転がった短剣に「糸」が貼りつき、梁へすっ飛んでいって刺さった。
「いいか、お前ら」
三人の手前で歩みを止め、アルルが平坦な声で言う。
「次に、俺たちに手を出したら、こんなもんじゃ済まさない。そこのお前、前足からだったか? 魔法使いに喧嘩を売ったらどうなるか、その時はじっくり教えてやる」
三人の顔から血の気が引いていくのがヨゾラにもわかった。
「わかったか?」
とアルルが念を押す。
三人は動かない。アルルが喉を押す魔法を強めた。首を折るんじゃないかという力だった。
「わかったかと訊いている」
三人が青ざめた顔で必死に頷いた。
アルルが納屋の外に出る。その後ろを三人が「糸」に引きずられていく。そして、アルルは彼らを適当に草っ原に放り投げた。
あっちは、羊がいた方だな、とヨゾラは思う。三人は低い放物線を描いてだいぶ離れた所に落ち、なだらかな坂を転がった。
そのまま、振り返りもせずに逃げ去っていく。
途中、羊の群れを掻き分け、群れを見ていた男に追いかけ回されていた。
「ア、ア、アルルさん、だっ、大丈夫ですか?」
ウーウィーの声にアルルを見ると、その場にへたり込んでいる。
肩を大きく上下させて息をしていた。汗をかいて、なんだか目の焦点もあっていない。
「アルル大丈夫?」
さすがにヨゾラも心配になった。
「ま、魔法を」
とアルルがつっかえながら言う。
「魔法を、いっぺんに、使いすぎた。し、しお。塩を、少しだけ、わけてくれないか」
さっきとはうってかわって、力のない声だった。
「は、はい! すぐに!」
と、ウーウィーが歩き出そうとして、痛そうにお腹を押さえた。それでも家の中へと入っていく。その様子を見送るヨゾラの背中に、アルルの手が触れた。
「わ」
と驚いて声をだしてしまう。
「ヨゾラ、無事、か?」
とアルルが訊いてくる。
「うん。あたしは、何ともないってば」
「そうか。間に、間に合って、良かった」
アルルが手をはなした。
ヨゾラの耳に、道の向こうから近づく足音が届く。とん、ざっざっ、とん、ざっざっ。
杖をついた青い人影が坂を上ってくるのが見えた。
「アルル君!」
さすがに声が大きい。
「いったいどうしたのかね!?」
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