第13歩: やってくれたな
アルルたちが席についた頃、ヨゾラは鼠を仕留めた。嫌な事の後には良いことがある。
不意に目の前に現れた野鼠を、前足で転がして首に牙をたてる。急所に食い込む確かな手応えがあった。
白羊夫人の床下に獲物を持ち込んで
「いただきます」
と誰に言うでもなく呟いて、食事を始める。
別に、なにも分けてもらえなくたって、とヨゾラは思う。
これはこれでちゃんと美味しいんだ。
床の上からは、人の声や沢山の足音に混じってアルルとドゥトーの声もかすかに聞こえる気がした。
床下には、のっぺりした巨大なオタマジャクシみたいなのが寝そべっていたが、こちらに興味はないようだった。
ヨゾラは熱心に食事を進める。そろそろ食べ終わるかというとき、馬車の音につづいて聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ」
という店の人の声ももちろん覚えているが
「あらぁ、まぁ! ここは食堂ですのね!?」
という声の方だ。
「いやだわ、あたくしてっきり服飾のお店とばっかり」
甲高く、まるで縄張りを主張しているような不必要に大きな声。その声に、ヨゾラは総毛立った。
あいつ! あいつがここに来てる!
たしか、パーとかワーとか、そんな名前の
「ファー夫人」
それ!
誰かの呼びかける声で、ヨゾラは女の名を思い出した。前歯のない男と犬どもに一晩中追い立てられ、袋に入れられ、檻に入れられた事を思い出した。檻のなかで「美しいわぁ。はやく大きくならないかしら」と、何度聞かされたかわからない。しばらく夢にまで見たのだ。
この近くに犬の気配はないけれど、この女の近くにはいたくない。
「さすがに、この町では夫人のお眼鏡にかなうような品は難しいのではと」
この疲れた男の声にも覚えがある。
「デノリス、どんな町でも、見てみるまではわからないものよ」
と、女は疲れた声の男を遮った。
店の人の声がする。
「申し訳ありません。たしかに、服や羊毛の店と間違える方もしばしばいらっしゃいます。なにせ白羊に夫人なもので。とはいえ、せっかくいらっしゃったのですから、もしよろしければお食事やお茶などいかがでしょう。本日は良い角鹿の肉が入ってますので、炙りや煮込みでお出しできますが」
ヨゾラは全力で願った。断れ、断れ、他へ行け。きっと他にもいいとこあるよ!
「そうね、たまにはこういう所もいいかも」
ファー夫人の言葉に、ヨゾラは歯噛みした。
口にくわえていた鼠の頭が、ばきばきばき、と音をたてた。
飲み込む。
とにかく、今のうちにここを離れておこう。
口の周りと前足を繕いながらそう決めた。アルルはこの
疲れた男が、誰かに馬車をみておくように指示しているのが聞こえた。
しばらく待って床下から這い出るなり、ヨゾラはさっさとドゥトーの家を目指した。
道の右側には柵で囲われた羊が、左側には畑が広がっていて、まばらに家と人影がみえる。畑のへりで、鉄色のカナブンが土に潜ったり出てきたりするのを横目に、みっつめの家を目指す。
ドゥトーの家の前にはヒトが四人いた。
一人は知っている。お茶をいれてくれた男の子だ。おっきなウーウィーくん。
そのウーウィーが知らない三人に囲まれて、家の裏手へ連れて行かれるようだった。
何してんだろ? とヨゾラは歩みを速める。家の裏手に回ると、木で出来た納屋の扉が閉まるところだった。
中から、とっとと出せ、とか、早くしろ、とか聞こえるのだが、中は見えないし何をしているのかもわからない。ただ、ウーウィーの仲間のようには思えなかった。
なんだか気分が落ち着かない。
ちょうど目の前に木の壁がある。
ヨゾラは後ろ足で立ち上がると、壁に爪をたてた。落ち着かない時は、毛繕いか爪とぎにかぎる。
中からの声が止まった。
気にせずにガリガリと続けていると、扉が開いた。ヨゾラのすぐ左だった。
鼻の曲がった男が忌々しそうにこちらを見下ろしている。目があった。直後、足が飛んできた。
痛い!
男は追って来ない。「なんだった?」「あんでもねぇ。野良猫だよ」と中から声が聞こえる。
ヨゾラは身体が震えて来るのを感じた。
同時に、頭の芯のあたりがすぅっと冷たくなっていく。
やってくれたな、痛かったぞ。
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