第12歩: 白羊夫人にて

 昼時で、白羊はくようじんは混んでいた。注文係が飛ぶように客席と厨房とを行き交っている。

「コートを脱がんのかね?」

 フエルトのローブを椅子の背にかけながらドゥトーがアルルに問いかけてきた。

 ローブの下も着替えたのか、濃紺の仕事着ではなく、茶色い毛糸の服に替わっている。

「来る途中でいろいろありまして、ジャケットが人に見せられない有り様なんですよ」

 アルルがそう伝えると、ドゥトーは「なるほど」と仕立て屋の場所を教えてくれた。

「目抜き通りにも一軒あるが、おやしろの前を左に行った所がお勧めだの。儂のもそこで作ってもらった」

 と、ローブを手で軽くたたく。それに驚いたのか、白いトカゲが顔を出した。

「おっと、すまんラガルト」

 ラガルト、と呼ばれたトカゲがローブの中に引っ込む。ドゥトーは係を呼んで、なにか魚の薫製はないかと尋ねた。


 薫製はなかった。

 角鹿の炙りがあった。

 ドゥトーはオゥル酒を頼んだが、アルルは勧めを固辞してお茶を頼む。

「酒は飲まんのか? オゥルなんぞ水みたいなもんで、酔っぱらったりゃせんだろうに」

 大抵の人はそう言うのだが、アルルはそうもいかないのだ。

「なぜかひどく酔っぱらうんですよ、俺は。南部の血のせいでしょうかね」

 西部半島まで来る南部人はあまりいない。なので、普段はこう言い訳をすればなんとなく納得してもらえるのだが、

「南部人も飲む奴は浴びるように飲むがの」

 ドゥトーには通じなかった。

「すみません」

 決まり悪い。

「いや、ま、気にせんでくれ」

 とドゥトーは制して、話題を変えてくれた。

「ところで、ここにはいつまでいる予定かね?」

「ちょっと買い物をしたら、明日には出るつもりでいます。鉛筆も買って行きたいんですが、お店の場所をご存知ですか?」

「ペブルにかね?」

「ええ。エレスク・ルーの鉛筆は安くて物がいいから沢山買ってこい、だそうです」

「あいかわらずだのー」

「暇さえあれば描いてますよ」

「それなら、目抜き通りの真ん中あたりに雑貨屋がある。小人の看板がでとるから、すぐわかるわ」

「ありがとうございます」


 やりとりをする間にオゥルとお茶が来て、ドゥトーは陶器の寸胴杯ジョッキを持ち上げた。アルルも同じようにした。

「このあたりのがみさまは?」

 とアルルが尋ねる。

「ファヤ様だの」

「では、ファヤ様に」

「ファヤ様に」

 それぞれの飲み物に口をつける。

 ごくり、とドゥトーの喉が鳴った。

「ところで滞在の件なんだが、もう少し延ばせんかね?」

 言われてアルルは少し考えた。路銀にはまだ余裕があるが、

「どうしてですか?」

「いやー、明後日には春分祭だしの。せっかく来たんだから、楽しんで行きなさい。あの嬢ちゃんとも、もうちっと話をしてみたい」

 なるほど、お目当てはヨゾラかな、とアルルは勘ぐる。

 驚くような知識を口にするかと思えば、簡単な言葉を知らず、流れ星や橋からの眺めに驚いていたりする黒猫のような何か。

 人の言葉を使い、猫の鳴き声が下手くそな何か。

 アルルもヨゾラがどういうなのか興味はあるのだ。他の魔法使いが興味を持っても不思議はない。

「わかりました。では、そうします」

 それに、せっかく来たのだ。ドゥトーから学べる事は学んで行くことにしよう。

 それとは別に、アルルには気になっている事があった。

「ドゥトーさん、先ほど『大胆な事をした』とおっしゃったのは、やはり名付けについてですか?」

「ああ、その事か」

 ドゥトーはオゥルで唇を湿らせる。

「いやなに、素性のよくわからない『もの』に名前をつけたというのは、ずいぶん大胆と思ったまでだわ。お前さんも知っている通り、名前をつける事は支配をする事に通ずるが、だからといって支配者が影響を受けないわけではない。『不思議なもの』という割に奴らはありふれておるが、深入りしすぎて帰ってこんかった者もおるしの」

「そこは……気をつけるようにします」

 そういった話には事欠かない。例えば「穴の目」というにまつわる男の話だ。

 白目に黒子ほくろのような斑点のある男がいた。男は穴を探してはふらふらと歩き回り、穴を覗き込んではが見えるが見えると言って回ったらしい。いつしか穴に名前を付け、穴と会話をするようになり、そしてある日、自らも穴の中へ消えてしまったと。以来、斑点のある「穴の目」がどこかで覗いているのだと。

 小さい頃に父からこの話を聞かされて、ひどく恐ろしかった覚えがある。

 自分に「不思議なものたち」が見えないと知ったときには落胆したが、この「穴の目」についてはホっとしたものだ。

 そう言えば、この事をドゥトーに伝えていなかったな、とアルルは思う。

「実はですね、ドゥトーさん」

「何かね?」

「俺は、『不思議なものたち』が見えないんです」

「なんと?」

「普通の人に見えるなら見えますよ。でも、その他はまったく」

 ドゥトーは、奇妙なものを見るような目でアルルを見やりながらジョッキに口をつけた。

 その出っ張った喉仏がゴクリと上下した。

「そうすると、お前さんは魔法使いでは、あ、いや、マジコではないのだな」

 アルルは頷いて、答えた。

「はい。俺はフィジコです」


 ドゥトーは残りのオゥルを飲み干した。

「おかわり!」

 二杯目に行くらしい。

「ほーう、ほうほう。フィジコか。嬢ちゃんも珍種なら、お前さんも珍種なんだの!」

 空いたジョッキに追加のオゥルを注がれながら、ドゥトーは興奮気味にそう言った。

 珍種ってドゥトー、動物じゃないんだから。

 心中でぼやく。

「やはり、是非に滞在を延ばしてくれ。で、お前さんの魔法も見せてくれい。おやしろの祭司さんに泊めてくれるよう一筆書くから宿泊の事は心配せんでよし。はっは、長年魔法使いをやっとるが、フィジコにはまだ会ったことがないのだよ」

 予想外にドゥトーが盛り上がるので、アルルは気後れしてしまう。

「いや、ですが、フィジコってとても地味ですよ。ご期待に添えるかどうか」

「いやいやいやそう言わず、まずは明日、じっくり見せてくれ。代わりと言ってはなんだが、お前さんには儂の工房を見せよう」

 そこに、角鹿肉の炙りと湯気の立つスープがやってくる。

「さぁ、食べようか!」

 上機嫌にドゥトーが言った。

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