第10歩: もしもし
アルルの知らないお茶だった。薄い黄緑色で、上品な香りがして、熱いのにほんのり甘い。
暖炉の方からは「あちっ」と声がする。
そういう教えを受けているのか、ウーウィーはヨゾラの分もカップを用意してきたのだった。アルルは遠慮したが、ドゥトーは構わなかった。ウーウィーはいっそ優雅とも思える手際でポットからお茶を入れ、配り、出て行こうとした。
「ありがとうウーウィーくん!」
その背中にヨゾラが弾んだ声をかけると、ウーウィーはちょっと驚いたように振り向き、次いではにかんだ笑みを浮かべた。
ちょっとびっくりするぐらい可愛らしい笑顔だった。
これは年上にモテるだろうな、と平凡な感想を抱いてふとヨゾラを見ると、にっ、と牙を見せて目を細めている。つまり、笑っている。
ゆらゆら揺れる黒猫の尻尾にアルルは思う。
通じ合った?
そして今、ヨゾラは果敢にお茶に挑んでは「熱っ。あち。あっち」と繰り返していた。
猫舌なのは見た目通りか、とアルルは腰を浮かせる。
「ツェツェカフカさん、ちょっと失礼します」
ドゥトーに断りをいれると、アルルは長椅子を立って暖炉のそばにしゃがみ、ヨゾラのカップを持ち上げた。
「ちょっと! もしもーし。あたし飲んでるんだけど?」
ヨゾラが文句をつけてくる。
アルルの背後でドゥトーが声を出さずに「ほっ」と笑っていたのには、二人とも気づかない。
「取り上げやしないよ。冷ましてやるからちょっと待ってな」
と、お茶を少し下皿へ移し、吹いて冷ました。
「ほい」
と下皿を置く。ヨゾラはほんの少しお茶を舐めて
「あれ、熱くない」
と言った。
「カップのもそのうち冷めるだろ。うっかり割るなよ」
「へーい」
アルルが席に戻る。ドゥトーは自らのカップに二杯目を注いでいた。
あんなに熱かったのにもう飲んだのか、と内心驚きながら座ったアルルに、ドゥトーが言った。
「やはり面白い嬢ちゃんだの。ところでアルル君、『もしもし』とは何のことか、知っとるかね?」
二杯目に口をつけながら訊いてくる。
「いや……」
聞いたこともない。
「さっぱりです。昨日も今日もその、『もしもし』っていうのを言ってましたが、何かご存知なんですか?」
「おうとも。昔、南の方で働いとった事があってな。その頃にとある文献で読んだことがある。『申し上げる、申し上げる』を短く縮めた形だそうじゃよ」
「そうそう。そうらしいよ」
ヨゾラが口を挟んだ。
「申し上げる、ですか?」
アルルも口を挟んだ。どんな時にこの黒猫が「もしもし」を言っていたか思い出そうとしたが、それより早くドゥトーが続けた。
「さよう。かの
アルルの口から、はぁ! とも、へぇ! とも取れる声が漏れる。アルルは仮説をたててみた。
「『木霊』の魔法に声を大きくするのがあったはずですが、それの凄いのですか? 冬だと雪崩が起きそうですが……」
「いや、そうではなかったようだがのー」
「魔力線を使うんだって」
再び口を挟んだヨゾラに、二人が注目する。
「声の振動を魔力に変えて、魔力線を通して送って、また反対側で声に戻すんだって。デンソウチエンの問題は解消してないけど、タジュウカは上手くいったそうだよ。でも、ホントに遠いところだと、『もしもし』って言ってから『はいはい』って返ってくるまでにお昼寝できちゃうぐらい時間がかかって、あんまり流行らなかったみたい」
二人の魔法使いはあんぐりと口を開けて、ヨゾラを凝視したまま動かない。
「……どうしたの?」
ヨゾラが声をかけると、思い出したようにアルルが口を開いた。
「えっと? で、でん? なんだって?」
「デンソウチエン。つまり……」
魔法使いたちが見守る中、ヨゾラは宙の一点を見つめている。何かを思い出そうとしているようだった。
が、不意に後ろ足で耳の後ろを掻き、
「出てこないや」
と言った。
「あーーーー」
魔法使いたちは長いため息をついて背もたれにもたれる。
「俺、お前がちょっと怖くなってきたよ」
「っはー、嬢ちゃん、うちの子にならんかね」
正反対の感想をもらす。
ヨゾラは、今度はカップのお茶を二、三度舐めた。
「アルルには借りがあるんだよドゥトー。それを返したらまた来るね。これ、とっても美味しい」
ドゥトーは「はっ」と短く笑って、アルルに視線を戻した。
「さて、アルル君。ペブルに頼んだ品はそれかね?」
ドゥトーが先ほどの木箱を指していう。
「ええ、そうです。アラモント墨が八本。ご存知と思いますけど、水か油でよく溶いて使ってください」
アルルはそっと木箱を開けて差し出した。黒光りする直方体が丁寧に詰められていた。
ドゥトーはそのうちの一本をつまみ、窓からの光に透かすようにする。黒い直方体は、光の加減で藍にも紫にもみえた。
「これは良い出来だ。急な依頼で悪かったと、あ奴に礼を言っておいてくれんか。アルル君も遠い所をわざわざありがとう」
「いえ。ツェツェカフカさんには俺も親父もお世話になりましたし」
「ははー。アルル君はともかく、ペブルのやつには確かに面倒かけられたわ。あと、儂のことは『ドゥトー』で構わんよ。で、支払いは手紙の通りかね?」
「ええ。西部金貨でお願いします」
テーブルの上で続くやり取りに混じって、ヨゾラの耳にさくさくと、外からの足音が聞こえていた。
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