第9歩: ヴィリェルム・"ドゥトー" = ツェツェカフカ
橋を渡って右、次を左。なだらかな坂を上って三つ目の、白い壁の家だった。
石段を三段上った扉にはトカゲの形の
扉を開けた男の子がつっかえつっかえ「登録証」を見せてくれと言ってきて、今にいたる。男の子はアルルよりも頭一つ背が高く、しかし、アルルよりもずいぶん幼く見えた。
細くて長い子どもだな、とヨゾラは思う。
その男の子はぺこんとお辞儀をして、渡された紙をアルルに返すと、つっかえつっかえ挨拶をした。
「は、はるばるようこそ、ララカウァラさん。お、お、お茶、お茶を、お入れするので、中でお待ちください。お連れ様も」
しゃべるのは苦手みたい、とヨゾラは思う。お連れ様っていうのは、あたし? ララカウァラさんって誰だ?
男の子は色白で、顔にぽつぽつニキビが吹き、頬に黒くこすったような跡があった。生地の厚い濃紺の服を着て、こちらも所々に黒く汚れが浮いている。
家の中はいろいろと嗅ぎなれない匂いがした。またくしゃみが出そうになる。
入り口を入るとまたすぐ扉。それを開けると廊下。廊下に入ってすぐ右の部屋に通される。
目に付いたのは木の棒がたくさん。見上げると、長椅子とテーブルと、また別の椅子の足だとわかった。正面の暖炉に火がはいっていて、ヨゾラは迷わずその前に陣取った。
「お、おす、お座りください、ララカウァラさん。コ、コ、コートはこちらへ」
おっきな男の子が、アルルにコート掛けを示す。
ララカウァラさんってアルルのことか。
「ありがとう。俺の事は、アルルでいいよ。ララカウァラは登録証用の地名姓で、あんまりしっくり来ないんだ」
「わ、わかりましたアルルさん。ぼぼ僕、わっ私はウーウィーって言います。せ、先生を呼んできます。し、しし、し失礼します!」
ウーウィー、と名乗った男の子がまたお辞儀して、部屋を出て行った。足音が家の奥の方に向かうのが聞こえた。
アルルは鞄を降ろすとコートのボタンを外して脱ごうとし、一瞬手をとめてジャケットもろとも脱いで掛けた。
ヨゾラは丸まる。暖炉の炎のまわりを、時には炎そのものの上を、小さなトカゲが這い回っているのが見えた。
こいつらは、何だろう?
銅貨みたいな色をしたのが三匹、細い舌をチロチロと覗かせている。
「ヨゾラ、来る途中で話した事、覚えてるか?」
ヨゾラはぱっと振り向いた。アルルは背負い鞄から、手のひらほどの木箱を取り出すところだった。
「うん、覚えてるよー。おギョーギよくするし、余計な事は言わない。今から会う人は、すごい魔法使いの人」
「そ。お行儀よく。せめて丸くなるのはちょっと我慢してくれ」
「えー。ここ暖かいし、いま寝ないでどうするのさ」
「お前ね……」
アルルが何か言おうとした時、だす、だす、だす、と重い足音がきこえてきた。
アルルは木箱をテーブルの上に置いて、足音の主が入ってくるのを待つ。
戸が開く。ウーウィー少年と同じ格好をした、初老の男が立っていた。
垂れた頬に白い口髭、つるんとした頭、全体的にまるっこい印象をうける。
第一声。
「はっはー!」
ばすん!
アルルが挨拶するより早く、初老の男は、アルルの両肩を叩いた。ばすん! ばすん! さらに二度。しゃがれ、野太く、大きな声だった。
「ペブルのノッポが使いを寄越すというから誰が来るのかと思っとったが、お前さん、あれ、あれ、あれだの? あん時の、おチビさんじゃないかね!? まあぁぁ大きくなってほれ、儂を覚えとるかね!?」
ヨゾラは思う。アルルに、ララカウァラさんに、オチビさん。ずいぶん名前がたくさんあるんだな。
「あー……」
探り探り、アルルが言葉を返した。
「今ので思い出しました。お久しぶりです。アルルと言います。『おチビさん』はやめてください」
「ほほぉう、自己紹介できるようになったかおチビさん!」
「アルルです。確かあの時も自己紹介はしたつもりなんですが?」
「そうだったかね、おチビ……」
「アルルです。ちょっと本当にお願いします」
「お……」
「アルル、です」
「わーかったわかった、アルル君。まぁ座ってくれぃ」
促されて、アルルは長椅子に腰掛ける。初老の男ももう一つの椅子に座った。
「ペブルの様子はどうかね?」
「寒いと膝が痛むようですが、元気にしています。そろそろ向こうでも雪解けなので、今頃は忙しくしているのじゃないかと」
「なるほどの。まぁ元気なら何より」
ヨゾラは思う。このヒト、たしか来る途中でアルルが名前を言ってた。ええと、ツェツェなんとか。
「で、そっちの黒いのはお前さんのツレかね」
そのツェツェなんとか氏とヨゾラは目があった。濁った灰色の目だが、どこか大鷲みたいだとも思った。大きな鉤鼻が余計にそう思わせる。
「はい。ヨゾラと言います」
アルルが紹介してくれた。
「ええと、こんにちわ」
ヨゾラも身を起こし、おギョーギよくぺこりと頭をさげた。
「っはー、これは丁寧にどうも嬢ちゃん──アルル君、この子は嬢ちゃんで良いのかね?」
訊かれてアルルが頷いた。
「では、嬢ちゃん。儂はヴィリェルム・"ドゥトー" = ツェツェカフカ」
そうそうそんな名前、とヨゾラは思い出す。
「まわりからはドゥトーと呼ばれとるよ」
さらにもう一つ思い出した。
「ドゥトーってさ、名誉称号? だったっけ?」
少しの間。
ドゥトーが爆笑した。
「ぬははははははっはー! よーく知っとるな嬢ちゃん。ま、こりゃアダ名だわ」
「そうなの?」
「五百年前ならともかく、今時こんな称号、誰もくれんて。いや、これは驚きだぞアルル君。その子はいったい何者かね?」
アルルの方へ少し身を乗り出して、ドゥトーが尋ねる。濁った目が鋭くなったように見えた。
「昨日、いや、一昨日に下流で溺れていたのを助けて、それからです。実は俺も、その黒猫が何なのかよくわかりません」
「一昨日というと、鉄砲水があった日だの」
「はい。河の中洲に取り残されたみたいで」
ヨゾラが話に割り込んだ。
「ごはん食べながら蛙が遊んでるのを見てたら、急に水が増えるんだもん」
「それで、ヨゾラと言う名は?」
「アルルにもらったよ」
「なるほど」
と言ってドゥトーはアルルに向き直る。
「大胆な事をしたもんだのー」
片眉だけ器用に吊り上げてそう言った所に、こつこつとドアが叩かれてウーウィーがお茶というものを運んできた。
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