第6歩: 朝食
んぎゃっ、という声と、肩の下で暴れる何かでアルルは目を覚ます。二つ折りの毛皮をはねのけると、杖を手に転がるようにたちあがる。
黒い影が視界の端を駆け上がっていった。
そこか! と魔力を吸い、指先から「糸」を──
「お前、なにやってる?」
黒猫だった。
高い木の上でこちらを見下ろし、緑の目を見開いて荒く息をついている。
「びっくりしたよ! 痛いじゃないかー!」
と文句が降ってきた。
どうやら寝返りで潰してしまったらしいが、勝手に寝床に入ってきて文句を言われるのもかなわない。
「メシにするぞ。とりあえず降りてこいよ!」
と木の上に叫ぶが、ヨゾラが動かないのでアルルは朝食の支度をすることにした。寝床の毛皮を丸め、獣よけを片付け、水くみ鍋をつかんで河へとむかう。
念のために辺りを見回し、誰もいないことを確認して堤防を降りた。
朝もやの立つ河を舟が下っていく。上流の町、いま目指している町からの一番舟だろう。さほど大きくない船体に荷物を満載にして、それぞれ船頭と荷役の二人で操っていた。
手を振られたので振り返す。
朝日を背後に隠して山かげが、空に浮き立って見えた。白い
一昨日の鉄砲水が嘘のように河は穏やかで、上流には小さく町の影が見えていた。
汲んできた水は、木製の
たん、たん、たん、とゆっくりした拍取りで水が落ちるのを確認して、かまど作りに取りかかった。
手頃な大きさの石を五つほど見繕うと魔力を吸い込み、それぞれに「糸」をとばす。そして魔力を注ぐ。イメージは「力」。それぞれの石に、どの方向から、どれぐらいの力を加えるか。慎重に操り、焚き火跡の周りへ並べていく。
「なんでさー?」
樹上からの声に、一つバランスが狂った。大きめの石がはじかれたようにキリ揉み回転しながら飛び、ズトっと地面に転がった。
「なんでそこは魔法使うのー?」
「──練習だよ」
残りの四つを並べつつ答える。魔力を
さっき飛ばしてしまった石へもう一度「糸」を投げる。一つだけなら余裕、と思ったら、石がまっすぐ上に打ちあがった。「糸」が切れそうになり、慌てて繰り伸ばす。
「あらら」
と木の上でヨゾラが声を漏らすのはアルルには聞こえない。アルルは「糸」を残して魔法を止めた。石が落下を始める。
一呼吸。今度は集中して、石を柔らかく受け止める。そのままかまどへ。成功。
「まだ調子良すぎるみたいだねー」
「うっさい」
樹上へ叫び返す。
昨日の火付けにしろ、今の石上げにしろ、どうもおかしい。妙に魔法の効きが良い。原因があるとしたら、やっぱり頭上の猫なんだろうが、それを責めた所でどうにかなるとは思えない。
町中で事故にでもなったら目もあてられないのだ。
水の濾過にはまだ時間がかかるので、アルルはもう少し練習しておく事にした。
ヨゾラは木の上から眺める。
アルルは色んな大きさの石を持ち上げたり、上に投げたり、魔力を思いっきりスーハーしたり、「糸」を出来るだけ遠くに飛ばしたり、拾った枝に火をつけてみたり、指を光らせたり、いろいろやっていた。
やがて水の入った小さな鍋をかまどにかけると薪に魔法で火を付け、鞄から小袋をだして茶色い塊を鍋の中に放りこんだ。
あれも魔法の練習かな? 朝ごはんにするって言っていたけど、あたしの分もあったりするかな。あ、あそこリスがいる。捕りたい。
「アルルー、お願いがあるんだけどー」
黒猫は眼下の魔法使いに声をかけた。
「降ろしてくれないかなー」
アルルがめいいっぱい高く伸ばした杖は、ちょうどヨゾラの鼻先ぐらいに来た。右前足の爪で捕まえて、両前脚で抱えて、乗り移る。
杖は重みで大きく揺れた。
「怖い、ゆらすな!」
必死にしがみつく。
アルルがなんとか揺れをおさえて、杖をそろそろと降ろしていく。
ヨゾラの視界もゆっくり下がっていき、最後にはアルルの顔とならんだ。
「おとといみたいに魔法使えばいいのに」
「別にこれでいいだろ」
間近でみると、アルルは意外と睫毛が長かった。ざっくり切られた黒い髪、浅黒い肌に大きな目、黒目がちな瞳にぺたんこの鼻。
夢に出てきた人たちと似ているな、とヨゾラは思った。ぺたんこ鼻じゃなかったら、びだんしと言っていいかもしれない。しらないけど。
そのアルルの襟ぐりからもわっと湯気が上がっていた。
こんなに寒いのに、汗をかいたらしい。
ヘンなヒト、と思いながらも耳を四方へ巡らせて、ヨゾラはさっきのリスを探す。
左後ろ、さっきより近寄ってる。あたしには気づいてないかな。ここから飛びかかれば上から抑えられる。
ヨゾラは杖の先端に四つ足で乗り、狙う。
猫が跳ぶ。
「そう言えばさ、キミはこれからどうするの?」
生の腸詰めを真ん中からかじり取り、ヨゾラが問いかけてきた。
狩りは失敗。原因は、アルルが杖をしっかり持っていなかったため、となった。蹴り脚の反動が逃げて、ヨゾラは獲物にさっぱり届かなかったのである。
ひと悶着ののち、結局アルル虎の子の腸詰めが「お詫びの品」となった。
「この先に、エレスク・ルーっていう町がある。そこの魔法使いに売り物渡したら帰る予定だよ」
小振りのナイフに刺した堅い干し肉を炙りながらアルルが答えた。反対の手にもった木のカップで、地面に降ろした鍋からお茶をすくう。
「お前はどうなんだ? 行くところあるのか?」
アルルは問い返した。腸詰めから肉をなめ取りながら、ヨゾラがこたえる。
「これ、匂いは好きだけどちょっとしょっぱいね」
「文句言うなよ、最後の一本だったんだぞ。で?」
「んー」
ヨゾラは腸詰めの反対側にかぶりついた。
「考えたんだけど、キミには河で助けてもらった借りもあるんだ。だからそれを返すまでは付いてくことにするよ」
アルルは干し肉をかじりとり、お茶を一口飲んだ。
「そんなの、俺も助けてもらった」
「それは名前でおあいこ」
「命と名前じゃ釣り合わないんじゃないか?」
「大事だよ、名前」
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ」
ヨゾラは腸詰めの最後の塊をごくんと丸呑みした。
アルルは考える。
ヨゾラは前足から毛繕いを始めていた。
さしあたって危険な生き物ではないようだし、追い払う理由もない。話し相手がいるのも悪くない。何より、この奇妙な猫がどういうものなのか興味があった。
「わかった。まぁ、気が済むまで付いてくるといいよ」
そう言うと、アルルは残りの干し肉を口に押し込んだ。
「えも、やわわしあいえくえおあ」
「うん、邪魔はしない」
背中を舐めながら、ヨゾラが答えた。
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