第5歩: おあいこ

 反射的にヒゲがピクッと動く。

 ヨゾラは、アルルが魔力を吸い込んでいくのを感じた。

 魔力の流れがヒゲをなでていく。

 魔法使いの黒い瞳がまっすぐヨゾラを見据え、答を待っている。

 ヨゾラは少し戸惑って、なるべく普通に答えた。

「捕っては、食べないよ。キミたちはあたしには大きすぎる」

身体からだを小さくする蛙を知ってる。大きくなる猫がいても不思議はない」

 アルルはさらに問いつめてきた。体に魔力を溜めてヨゾラから視線を外さない。

 ヨゾラは目を見開き、鼻をならした。

 知るかそんなの。しつこい。

 警戒されている事が妙に不愉快だった。

「あたしは」

 尻尾がせわしなく左右に振れる。

「キミを助けようと思った。それは本当。どうして助けることができたのかは知らない。あたしは『舐めて傷を治せる何か』なのかも知れない。ただ、キミを食べるつもりなら、あの時そのまま食べてたよ。わざわざ治して、もう一度大変な思いをして狩るの? ムダだよ、そんなの」


 苛立つ。口調が、速く、硬くなっていく。


「わかんないと思うけど、あたしはこの身体のせいで危ない目にもあう。大きくなれたらワシもタカもヤマネコも怖くないけど、残念だよね、あたしは小さい。あと、肉が転がってて、お腹がすいていたら、それが何であれあたしは食べる。お腹がすいてるんだもん。でもキミたちは大きすぎて狩れないし、食べきれないし、仲良くする方があたしには得だから牙を剥くつもりはない。これでいいかな?」

 ヨゾラは畳みかけた。

「これでダメなら、あたしはあきらめる。これでいいなら、その魔力をスーハーするのをやめろよ!」

 地面に尻尾をぴしゃりとうちつけた。

 アルルの肩がびくっとした。魔力の呼吸が止まり、溜まった魔力が体から抜けていく。

 ぽかんとしているのか、唖然としているのか、アルルはヨゾラを凝視したままだ。

 ヨゾラはヨゾラで、自分の感情に戸惑っていた。

 ヒトに怖がられたり、追いたてられたりなんて、今までもたくさんあった。なのに、なんでこんな事に今さら腹が立ったのか。うちつけた尻尾がじんじん痛かった。

 ややあって、ようやくアルルが口をひらく。

「……悪かった」

 ヨゾラは言葉をかえさない。謝られた事がないので、どうしていいかわからなかった。アルルが重ねて言った。

「わかったよ。その……ヨゾラ」

 鼻の先からしっぽの先まで、びりりとするのをヨゾラは感じた。

 生まれて初めて、名前を呼ばれた。

「これでいいなら……」

 どうしていいかわからないので、ヨゾラは思った事をそのまま言った。

「うれしい」




 その後、会話も途絶えてアルルはあくびをした。ヨゾラも火の近くで丸くなった。アルルは背負い鞄の底にくくりつけてあった雨除け布とツギハギの毛皮を広げ、加えて複雑な模様の入った布切れを四枚、自分たちの周りにならべた。

 そのうちの一枚に手をふれ、魔力を吸って流し込む。四枚の布切れをまるく繋いで、碧い光が走って消えた。

「今のなーにー?」

 目を閉じたまま、眠たげにヨゾラが問いかけてくる。

「獣けだよ。寝ている間に襲われちゃかなわないからね」

 ツギハギ毛皮を二つ折りにして、無理やり中に潜り込む。

「あたしには効かないんだね、それ」

「内側には効かないんだ」

「ふーん」

 ヨゾラもあくびをした。

「ヨゾラ」

 藍にも紫にも見える背中に、アルルは声をかける。

「ん?」

「お前のおかげで、死なずに済んだ。礼をしてもしきれないけど、本当にありがとう」

 ヨゾラが顔を上げ「にっ」と笑った。牙がむき出しになった。

「キミは名前を付けてくれたから、おあいこ」

 しばらくして、どちらも眠りに落ちた。




 黒猫は夢を見た。

 男に抱き上げられている。男は、やったぞ、とかなんとか、そんな事を言って喜んでいる。他に何人もいて、みんな黒い瞳に黒い髪で、日焼けしていたり、そうでもなかったりした。

 黒猫は声を出そうとしたが、男の顔は蛙だった。蛙たちが立ち上がって、手に手に木の寸胴杯ジョッキを持って、河の水を飲んでは騒いでいる。向こうで大きな蛙と小さな蛙が組み合っているのを、他の蛙たちが輪になってはやし立てている。大蛙が小蛙を潰そうとするのを、子蛙はすり抜け、いなし、大蛙を投げ飛ばした。


 ざぶん。


 河の水は冷たい。流木に爪をたててのぼろうとするのに、木はくるくると回ってのぼれない。苦しい。声がする。逆さまに引きあげられる。空をすべる。春先の河は急に増水するんだと、ぺたんこ鼻が言う。胸の中で何かが「いた!」と言う。いた! いた! いた! いた! いた! いた──



 寒くて目が覚めた。



 変な夢みたな、と思った。おととい、河で溺れた時の夢だろうか。

 ごくわずかに光の気配はあるけれど、まだ夜。焚き火は消えて煙だけがのぼっている。

 アルルはツギハギの毛皮にくるまって眠っていて、黒髪の頭が見えた。

 寒い。

 ヨゾラはその毛皮の中にもぞもぞと潜り込んで、もう一度寝た。

 今度は夢はみなかった。

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