東篠久遠は礼を言う。(後編)

    4


「――…」

 食事を終えた後、心地よさそうに眠ってしまった、彼の身体を揺り起こす。

 時刻は既に21時48分38秒。今、あまり眠ってしまっては。明日に差し支えることになる時間帯だからだ。

「おはよう、賀古」

「ああ、おはよう。久遠」 

「魘されていたようだけれど、大丈夫?」

「ああ。ちょっとな。昔の夢を見てて」

 賀古はそう言うと、頭を掻いた。嫌なことがあった後の、いつもの癖だ。

「……そう。それじゃ。夢を忘れられるくらい、今からの時間を素敵にしないとね?」

 私はそう言うと、彼の代わりにその頭を撫でてやる。

 夕食の前に、彼が私にしてくれたことだ。

「ん、ん……」

 彼は一瞬困ったような表情をしたが、すぐに満足げに目を閉じ、小さく頷いた。

「あのさ、久遠」

「なあに?」

「ちょっと、渡したいものがあって」

「あら、珍しい。何かしら?」

 彼は私に“ちょっと待ってて”と手で示すと、部屋を出ていった。

 私は彼がいなくなったので、その間目を閉じている。

 3分26秒の後、彼が部屋に戻ってきたので、私も双眸を開いて彼と視線を重ねた。

「久遠」

 彼は後ろ手に何かを持って、私に言葉を投げかける。

「……? どうかしたの?」

 短い割に、気持ちの篭った言葉。少し戸惑いながら私は言葉を返す。

 彼の手には、赤いチューリップが握られていた。

「これ。……ほら、久遠が家に来て、丁度今日で一年だろ?」

「そういえばそうね」

「だから、さ。お祝い。変な意味じゃなくって。一年間、ありがとな」

「んー……そっか。なら有り難く受け取るといたしましょー!」

「喜んで貰えたなら良かった」

「まー、どーせなら花とかより美味しい物とか役立つ物が良かった気はしなくもないけどね!」

 あっけらかんと言う私に――彼は胸を撫で下ろす。

「おいおい、貰った側からそれかよー。……ま、次からはそーするよ」

「あ、嬉しいのは勿論だけど、別に気ぃ使わないで良いからね? 記念日がどーとか、築一覚えるようなガラでもないし」

「俺は覚えるガラなんだよ。久遠と違って、な」 

「なんか小馬鹿にされた気がするっ!」

「はは。……な、久遠。チューリップの花言葉、知ってるか?」

「なーに?」

「――……『愛してる。』」

 瞬間。

 久遠の瞳は虚ろになり、部屋の隅へと歩き出す。壁際に設置された、専用の充電台の上に座る為に。電源が停止する直前の、自動的なシステムである。


     5


 男は梱包された段ボール製の箱に手をかけ、その封を解く。

 中身を覗く。

 棺桶を彩る菊の花ように、衝撃を吸収する為の発泡スチロールが添えられている。どちらかと言えば、菊ではなくスターチスの花ではあるのだが。

 男は一瞬躊躇う様子を見せるが――意を決したように、目当ての物へと、その指を進めた。

【彼女は永遠に貴方の物にはなりません。ですが貴方が望まぬ限り、永遠に貴方の元からは消えません。そして何よりも――永遠に、貴方の好きな彼女である事を維持してくれます。】

 箱の中には、そう書かれた紙が入っていた。

 そしてその下には、アンドロイド『東條久遠』の姿が。



     6


「ん……寝ちゃってたみたいね」

 久遠は先程と何ら変わらぬ、いつもの笑みで賀古に微笑む。

「おはよ、久遠」

「はいはい、おはよー」

 賀古は頭を掻きながら、再起動した久遠に挨拶を告げた。

 ――罪悪感。久遠が愛情を受け入れてはくれないと、そう分かっていたはずなのに。またこうして、口にしてしまった。

「あ、そだ、賀古ー」

「ん、どしたよ?」

 久遠は瞼をぐしぐしと擦りながら、声のトーンを変えずに言う。

「今年一年、ありがとう。これからも、よろしくね?」

「――ぁ」

 多幸感が、広がる。

 賀古はこのたった一言だけで、久遠を愛おしいと思った。

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どちらかと言えばそれは、スターチスの花で。 An/餡戸 @o1o

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