どちらかと言えばそれは、スターチスの花で。

An/餡戸

伊伏賀古は夢を見る。(前編)


      1


 男は梱包された段ボール製の箱に手をかけ、その封を解く。

 中身を覗く。

 棺桶を彩る菊の花ように、衝撃を吸収する為の発泡スチロールが添えられている。どちらかと言えば、菊ではなくスターチスの花ではあるのだが。

 男は一瞬躊躇う様子を見せるが――意を決したように、目当ての物へと、その指を進めた。


      2


「なー久遠ー」

 彼はホットカーペットの上でごろごろと寝転がりながら、私――東篠久遠ひがしの くおんに言葉を放り投げる。私はコップに水を注ぎながら、放られた分だけの強さを持って、言葉を投げ返した。

「どーしたのよ、賀古」

「何か頭良い感じの物が食べたい」

「その発言が既に頭悪いわよ」

 サプリメントを口に含み、水で流し込む。彼――伊伏賀古いぶせ かこは再び目を伏せると、ごろりごろりと転がって暇を潰し始める。別段、深い意図あっての発言でもなかったのだろう。

 ……何となく、距離を保ちながら、彼の隣に仰向けで転がってみる。

「ん……」

 彼はころんと転がりながら、開いている距離を詰めようとする。別段距離を開ける理由はないので、「なんか耳鳴りがするなあ」なんて思いながら、私はぼうっとする。していると、髪に何か、温かい物が触れる感覚を覚えた。

「何よ」

 私の髪を撫でながら、彼は少しだけはにかんだ。

「や、別に。なんとなく」

「そ」

 彼はたまに、こういう変な事をする。ま、そのくらいは構わないのだけど。嫌いじゃないし。

「…………」

「……、…………」

 心地の良い沈黙。彼は尚も私の髪を弄り続け、くったりと横になっている。

 とはいえ。このゆっくりと流れる時間も、ずっと続ける訳にはいかないだろう。

 時刻は既に18時31分12秒。夕食の準備を始める予定時間だ。

「晩ご飯何にしよっか。頭良さそうな物だっけ」

「久遠は何食べたいとかある?」

「んー? なんでもいーわよ。賀古の食べたい物が無いなら適当に適当を適当で煮込むけど」

「何だよその不安しか感じない調理方法は」

「ま、なんとかなるし、なんとでもなるわよ。ソースカツ丼でいいわね?」

「最高に頭が悪そうだ。サイドメニューにうどんも付けてくれ。炭水化物に、炭水化物を重ねて行こう」

「もう。了解よ」

 私はゆっくり体を起こそうとする――が、未だ彼は、私の髪を撫でていた。

「あ、ごめん」

 慌てて手を引っ込める彼。私は浅く溜息を吐いて、言葉を返した。

 食事の時間、なのだけど。

「今日、店屋物にする?」

 縦に振られた首と、満面の笑みを確認すると、私は再び寝転ぶ。彼はどうやら、私の髪を触るのが気に入ったらしい。


      3


 ――俺は、夢を見ている。

 夢の中の俺は“彼女”と共に、海の見える小高い丘の上にいた。

 “彼女”は特別美しい女性ではなかったが、特別尊敬の出来る人だった。

 なんでも出来る人ではなかったが、なんでも出来るようになろうと、努力する人だった。

 “彼女”のことを尊敬していた。そんな気持ちを彼女に向けることが、幸せで。そんな“彼女”が俺の恋人として隣にいてくれることが、誇らしかった。

「これ」

 俺はそう言うと、彼女に花束を差し出した。

「愛してる」

 それは、胡蝶蘭こちょうらん――愛を示す花言葉のものだったのだが。

 どちらかと言えばそれは、スターチスの花である方が適切であったのではないか、と、今なら思う。

 彼女は少し困った顔をすると、花束を受け取った上で、こう俺に告げた。

「私達、別れましょう」

 ――呆然とした。

 しかし同時に、納得している自分がいた。

「なんで」

 そう聞かざるを得なかったんだ。理由なんて、分かっていたのに。

「私、あなたとは一緒にいられない。だって、あなた。私のことが、好き過ぎるんだもの」

「なんで、なんで、そんなこと」

 たまに、感じることがあった。

 本当は薄々、分かっていた。

「疲れちゃった。あなたに尊敬される私でいるのが。あなたの為の私でいるのが」

 彼女は俺の想っていたほど、尊敬出来る人ではないのだと。





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