黒狼『フェンリル』の錬金術師2
「――と言う訳で彼が私と共にラトアの瞳を錬成してくれる事になった少年です」
次の日イブシェードが下宿している小屋からルーティスは町長の屋敷に出向いた。着いた屋敷は煉瓦造りの巨大な物で砦と言っても遜色は無い。
「この子供が……?」
ちょうど二十歳ぐらいの金髪碧眼の美貌を持つ少女が呆気に取られた顔で執務室に座っていた。彼女が町長なのだろう。
「あぁいえいえ。彼は腕の立つ白魔導士です。私は大丈夫だと思っております」
イブシェードの言を訊きながら、ルーティスは仕方ないよねと町長に同情していた。
見た目八歳ぐらいの白魔導士が、ラトアの瞳の材料を精製出来るとは思うまい。彼女の思いは至極真っ当な物だ。昨晩試しに力を見せてあげたのイブシェードとは状況が異なる。
「とにかく。彼なら大丈夫です。その証拠に少しだけ私に『光水』を精製してくださりましたから……」
そう言うと。イブシェードは白衣の下から小瓶を取り出す。中には淡い金色を溶かした半透明の液体が入っていた。
昨日ルーティスがちょっぴり精製した物だった。
ふとその時、町長の目の色が変わる。まるでアバスが意中の物だと言わんばかりだ。その輝きは捕食者のそれに類似していた。
「……なら、信じます」
でも次の瞬間には元に戻り、少し疑わし気に返す町長様だ。イブシェードは双眸を細めて少し間を置いて「ありがとうございます」と答えた。
(……ん?)
ふと、ルーティスの背後からこちらに向かってくる気配がした。
視線だけそちらに向かわせると、そこは扉で屈強な顎髭の青年が入ってくる処だった。
かなり鍛え上げているね。ルーティスは双眸を細めながら青年を見た。筋力の付き方は農作業や力仕事というよりは戦士のそれに近く目付きも天空を翔ぶ鷹のようだ。多分護衛の兵士なのだろう。ルーティスは当たりをつけた。
一瞬こちらと目が合った。彼の目の奥にある光が見えた。
何とも言えない光だ。まるでこちらの全てを覗き込もうとしているような雰囲気だ。もっとも町長の護衛兵だ。これぐらいしてくるだろう。むしろそれを怠るようなら護衛の意味がない。
ルーティスは不快感を与えぬように、視線を自然に逸らした。
◇◇◇
かつて虹を司る精霊に『 ラトア』という精霊がいた。ラトアは心優しい精霊であり、『不浄海』と呼ばれた海を救う為に命を全て使い果たして一本の大樹に変えたという伝説が今日まで伝わっている。
ラトアの瞳と呼ばれた義眼はその虹の精霊『ラトア』にちなんで付けられた名前で、七色の風景を鮮やかに観る事が出来る最高級の義眼であった。
「何とか説得は成功したよ」
拠点にしている小屋まで帰ってきたイブシェードは胸を撫で下ろしながら、ルーティスに呟いた。
「良かったですね」
ルーティスは満面の笑みでイブシェードに返す。
「……ルゥ君、少しいいかな?」
イブシェードはそう言うと、懐から紙巻き煙草をマッチと共に取り出した。昨日から知った事だが、イブシェードは愛煙家だ。大体いつも煙草を吸っている。
「いいですよ。……それに、これは薬用煙草じゃないですか」
「まぁそれでも、ね。子どもの身体の事は気使うべきだろう?」
イブシェードは煙草を食わえてマッチで火を点ける。
「さて。材料が入荷するのは明日ぐらいだ。方向性としては君が最初に『光水』を精製して欲しい」
「はい」
今からでも出来るから当然だ。イブシェードは紫煙をルーティスに当たらないように吐いた。
「俺はその間に図面を推敲しておこう」
ぱらりと巻かれた羊皮紙を蝋燭の明かりに照らす。
……ちょっとこのへんはまずいな。光が視神経に負担をかけそうだと、イブシェードは呻きながら羊皮紙を睨む。
ルーティスはそれを見ながら、そっと懐から盃を取り出し机の上に置く。
それは周りに幾重もの紐が絡み合い螺旋状に連なる模様が描かれた脚付きの盃で、とても古い魔法道具であった。
『還流の盃』。それがこの盃の古くから伝わる呼び名である。ちょうど昨日、オニヘビから借りてきたものだ。
「廻りゆく螺旋の円環、遥かなる高みへ流れ静かなる低地に落ちる」
ルーティスは双眸を閉じて、呪文を唱えた。
「平原に満ちる輝き、閉ざされない扉。アブサラストの光はこの中に」
蝋燭に照らされたほの暗い室内に静かに響く魔法の呪文。まるでその様子は創造主が新たな存在をこの世に産み出すようにもとれる。
「おいでおいで、螺旋の中に。おいでおいで円環超えて。あらゆる世界を飛び越え明日をその手に」
還流の盃に、変化が満ちる。淡い金色が液体が少しずつ器の中から湧き出てきていたのだ。蝋燭の光よりも優しく淡い、しかしはっきりと退ける程の輝きを解き放ちながら。還流の盃に水が満ちてゆく。
やがて器の縁を少し下回るぐらいまで水が溜まる。
「……ふぅ、終了だよ。イブ兄ちゃん」
ルーティスの呪文も、止んだ。昨日から呼び出した呼び名でイブシェードに言う。
「昔見た事があったが……魔法とは素晴らしいものだな、ルゥ君」
それを見ていたイブシェードは、感嘆の呟きを洩らした。ちなみに昨日一晩錬金術の話で盛り上がった二人は、すでに互いをあだ名で呼び合っていた。
「僕は科学技術も素晴らしいと思いますよ」
ルーティスは盃に満ちた光水を小瓶に移しながら答える。
「魔法はあくまで世界を覆す奇跡の力……。途中過程を完全無視して自身の祈りを世界に投影させてしまうから。出来る限り使わないほうが良いのですよ」
額の汗を拭いながら、ルーティスは返す。
「だから。少しずつでも前進してゆく科学技術も素晴らしいといつも思っているのです」
はい、とルーティスはイブシェードに小瓶を手渡す。金色の光を放つ光水はとても美しかった。
「すまない、ありがとう」
イブシェードは光水の小瓶を受け取りながらお礼を述べて。紫煙を吐きつつ煙草の灰を小皿に落とした。
「……ルゥ君。食事休憩にしないか?」
イブシェードは新しい煙草に火を点けながら呟いた。
「どの道明日まで材料は来ないんだ、急ぐ必要はないからな」
「そうですね」
ルーティスも同意する。
「よし、ポテトパイでも食べに行こう」
イブシェードは立ち上がり扉に手を掛けながら言った。
「馬鈴薯料理が好きなんですか?」
追いかけてきたルーティスの質問に、
「あぁ、俺の故郷じゃ馬鈴薯料理をいくつも作れる事が花嫁修行の条件になっているぐらいだからな。俺の好物も馬鈴薯料理だよ」
そう返してふと、視線が宙を向く。
「……しかし、ソーセージと黒ビールも捨てられないな。付け合わせでキャベツの酢漬けも乗せて欲しい」
「じゃあイブ兄ちゃん。もし、付けてくれなかったら?」
「おぉ坊や馬鹿な事を」
イブシェードは不満気に眉をしかめる。
「それなら自分で作るさ。嫁など貰わずにな」
嘆息しながら、カフェへと向かうのだった。
◇◇◇
月が沈みかける深夜。光水精製の疲れからか、ルーティスはすっかり眠りに就いていた。しかしイブシェードは蝋燭に火を灯したまま、更に図面を睨んでいた。
まだもう少し、身体に負担をかけないように出来る箇所がないか探していたのだ。
「――ん?」
煙草に火を点けたその時に。イブシェードは双眸を鋭くして扉を睨む。
何かの気配が感じられたのだ。イブシェードは足音一つ立てる事なく扉の死角に回り込んだ。
「……誰だ?」
白衣の左側に手を入れながら、イブシェードは小屋が軋む程の殺気を放ちながら呟く。
「ワタクシでございますぞ、イブシェード・バガー様!」
「オニヘビか、待ってろ今開けるから」
イブシェードはそう返して、扉を開く。
そこには確かに、唐草模様の風呂敷を背負ったグラサン装備の蛇。オニヘビがいた。
「頼まれた材料を入荷致しましたぞ!」
「早いな、さすがオニヘビだ」
イブシェードは広げられた風呂敷から材料を受け取りながら返した。
「これで全部でございますかな?」
ではこれでと立ち去ろうとしたオニヘビに、
「待ってくれオニヘビ」
イブシェードはオニヘビを呼び止めた。
「? なぁんでございますかな?」
怪訝な雰囲気のオニヘビに、
「……今度はこれを調べて来て欲しいんだよ」
一枚の紙を手渡した。
「……これは?」
「念のため、だ。ちょいと気になる事があるんだ」
「承知致しましたぞ! あ! ちょっと良いですかな?」
「? 何だ?」
今度はオニヘビに声を掛けられて、イブシェードは眉を曲げた。
「何か買ってゆきませんかな? 今なら我らの聖典『外道の誉れ』最新刊が発売中でございますぞ!」
「そんなもんはいらん。大体それは人を殴る物だろーが」
イブシェードは出された粘土板を見てぴしゃりと言い返す。
「殴るとは人聞きの悪い……これは足の小指に落とす事に特化した書籍でございますぞ!」
「そんな本があるか、阿呆」
イブシェードは煙草から煙を吐いて、嘆息混じりに呟く。
「……だが、そうだな。何かしら面白い物があったら売ってくれ」
「それではこれなんかどうでしょう? 『鉄パイプ』!」
「なんだそりゃ?」
出された穴の空いた金属の棒を見て呆れ顔のイブシェードに、
「昔々のタカマ国に伝わる鈍器の一つでございます」
胸を反らせて、オニヘビは答えた。
「……ますますいらん」
うんざりと二本目の煙草に火を点けて、イブシェードは呻く。
「……なら、代わりに『延命草の薬用煙草』とマッチ、それから『鉛』と『真鍮』、それから『火薬』も大量に頼む。礼なら弾むから」
イブシェードは懐から前に渡した時より多く金貨の入った袋を手渡して、要求した。
「承知致しましたぞ!」
「頼むぞ」
オニヘビを見送った後、イブシェードは扉をゆっくり閉じた。
◇◇◇
日が昇る少し前にルーティスは起きた。どうやら光水の精製に疲れて眠っていたらしい。イブ兄ちゃんのお手伝いをしないといけないのにと、ルーティスは頭を左右に振って眠気を覚ます。
「……起きたかい?」
イブシェードは煙草を片手に何やら硝子を組み合わせながら答えた。ルーティスを振り返らないのは、多分手を休めている暇が無いからだろう。ラトアの瞳の錬成過程で一番難しいのは、視神経を傷つけたり負担がかからないようにするところだ。
「はい、僕は何をすれば……?」
「すまない、食事を買って来てくれないか?」
財布から銀貨一枚と銅貨を四枚、さらにブリキの手提げ容器をルーティスに手渡すイブシェード。
「はい、判りました」
「確か近所に職人達の為に茹で肉団子を売っている店があったらはずだから、そこで頼む」
「はい」
ルーティスは扉を開いて外に出た。
静かな朝だ。音があまり立たない、物思いに耽るには良い朝だった。
(……そう言えば、水も汲んで来ておこう。必要そうだし。白魔法で浄化しておいたら役に立つはずだからね)
ルーティスはうんと小さく頷くと、まずは食事を買いに出かけてゆく。
本当に静かな朝だと街の中を歩きながらルーティスは思う。路地裏を右に折れて、大通りに進む。確かに、そこには行列の出来た店があった。ギルドの関係者の為に弁当を売っているのだろう。ルーティスは並んで待った。
「すみません、茹で肉団子を四つください」
やがてルーティスの番になったので。手提げ容器を出して店主に注文した。確かこれだけあったらそれぐらいは買えたはず。いざとなったら自分の手持ちも少しあるから。
「あいよ」
しかしそれは杞憂に終わる。足りたどころかお釣まであったから。
さて、帰って水汲みだよ。ルーティスは手提げ容器を片手に一人足早に帰路につく。
「……ん?」
ふと、何かの気配を感じた。ルーティスが辺りを見回すが何も無かった。
しかし。何らかの気配があったのは事実だ。
「まぁ、いいか」
ルーティスは誰ともなく呟いて、警戒心皆無でまた走り始めた。
来た道を迷わず戻り、小屋に帰りつく。
「ただいま帰りました」
「あぁ、ご苦労様」
イブシェードは振り返れずに返事をする。ラトアの瞳で一番難しいのは光の透過率や屈折率などだ。無理なく義眼として着けていられるよう、配慮が必要なのだ。
「どうしたんだい? ちょっと不審げな顔つきで?」
イブシェードは少し手を休めて話しかけてきた。
「……さっきこの辺りに気配を感じまして」
「野良猫か……もしくはラトアの瞳を狙っている他の連中かもしれないな」
それを訊いたルーティス、神妙に頷く。ラトアの瞳は錬金術道具の中でもかなり軍事転用したら凄まじい威力を発揮する道具だ。もしこの情報が洩れていたら。自分達を狙ってくる奴等がいるかもなのだ。
「ルゥ君、割り増し代金を払うから、見張りもお願いしていいかな?」
「はい」
「後、今度からはオニヘビに食料を運んで貰おう」
「……ですね」
ルーティスはそう返しつつ、小さく呪文を唱える。
「異なる世界、異なる者。互いの意志を互いの内に。開け扉よ」
構成した魔法はルーティスの得意魔法の一つである『魔力と対話する魔法』だ。これを利用して辺り一帯を探索する事にした。この魔法は魔力やエネルギーの偏向を言語化する便利な魔法で、ルーティス双璧のお気に入り魔法だった。
『ねぇルゥ。オニヘビがやって来てるよ』
ふわりと。あだ名で自分を呼んでくる風の魔力。この風の魔力は広域を探索するのに良く話しかける為、仲がとても良い。
「オニヘビ、が?」
怪訝そうにルーティスはイブシェードを見やると、
「あぁ。オニヘビには追加注文していたんだよ」
彼はちゃんと答えてくれた。
刹那、扉を尻尾で叩くような小さい音がした。
「やぁやぁイブシェード・バガー様! 追加の素材を持って来ましたぞ!!」
ちゃんと名乗りをして、オニヘビが扉を叩いている。
「ルゥ君、ちょっと頼む」
「はい」
ルーティスは扉を開いてあげる。
「イブシェード・バガー様! お荷物の『薬用煙草』とマッチ。それから『鉛』と『真鍮』と火薬でございますぞ!」
入っていきなり風呂敷を開くオニヘビ君。
「オニヘビ、他のはどうした?」
イブシェードの質問に、
「現在調査中でございますぞ! 少々お待ちくださいませ! 」
オニヘビ。尻尾で敬礼する。
「そりゃあすまない。ルーティス君受け取ってくれ」
「はい」
ルーティスはしっかりオニヘビから荷物を受け取った。
(……あれ? これって……!)
ふと、眉根が寄るルーティス。
「? どうしました?」
「いや、何でもないよ」
ありがとうと言って、ルーティスはオニヘビを返してあげたのだった。
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