黒狼『フェンリル』の錬金術師
黒狼『フェンリル』の錬金術師1
「ラトアの瞳?」
燈色のランプが照らすカフェの奥まった一画。そこに座る少年『ルーティス・アブサラスト』が目の前にいる者に問いかけた。光を溶かしたような白髪に、夜空より深い闇色の双眸を持つまだ八歳ぐらいの少年で、髪色と同じように白いマントを着ている。本来こんなカフェに出入りするような年頃には見えないが。彼は旅人、あちこち流浪の綿毛の根なし草。時折こうしたカフェに食事をしに訪れる訳だ。
しかし今日は違う。
何と少年。路銀が底を尽きかけて、仕方なしにギルドが経営するカフェにやって来て仕事を斡旋してもらおうという考えがあったのだ。
まさか不作に悩む農村を通る羽目になるとはね……ルーティスは天使のように中性的な顔を曇らせる。
ここに来る中途で通過した農村……天災と土壌の養分が枯渇していたのが原因で、凶作に見舞われていたのだ。見捨てては置けなかったルーティスは、ありったけの所持金と白魔法を縦横に駆使して土地を復活させたのだ。お礼を払えなかった農民達から感謝の言葉だけ受け取って別れ、懐が寂しくなったルーティスは大きな街で路銀を稼ごうと思い至ったのだ。ギルドから斡旋してもらおうとしたものの中々見合う報酬の仕事が無くて困っていた所、とある『生命体』に話しかけられた。
彼の話しかけたテーブルの先に小さな影がいる。
蛇だった。頭部のすぐ下が平たい蛇で何故か黒い色つき眼鏡、古代のお洒落アイテムと謂われた『グラサン』を着けた柄の悪い蛇だ。何やら怪しげな唐草模様の巨大な風呂敷――どうやって持ち運んでいるのか永遠の謎だが――を傍らに置いた胡散臭い生き物である。
「えぇ、そうでございますぞ。ルーティス・アブサラスト様」
耳朶を打たれたら一週間はしつこく残りそうな粘り気のある腐敗したパンのような声音で、蛇は眼だけ真剣という気持ちの悪すぎる笑顔を浮かべてルーティスに答えた。
彼らは『オニヘビ』と呼ばれた生き物で、かなりしぶとい生命力を有している。多分世界が滅んでも、こいつらだけは生き延びれそうな気がしてならない。
「この街に滞在している若い錬金術師の方がかの有名な『ラトアの瞳』を錬成したい為に腕の良い白魔導士を捜しているらしいのですぞ。どうです御仁? 行ってみられては? 今なら紹介してあげますぞ?」
器用に尻尾で揉み手のような仕草をしながら、さらに気持ち悪い笑みを浮かべるオニヘビ。彼らはかなり嫌な生物ではあるが、こうした時は信用がおける。
「ふぅん……なら、行ってみようかな? ラトアの瞳なんて並の白魔導士じゃ手伝えないもんね?」
ルーティスはあごに手を当てて面白そうに呟く。
「……どんな人?」
身を乗り出して、ルーティス少年。
「今年で二十歳のお兄さんでございます。半年前からこの街に滞在しているらしいのでございます」
オニヘビはにまにまと答える。
「腕は確かなの?」
「凄腕らしいですぞ」
耳打ちするように、そっと囁くオニヘビ。
「なら紹介してよ」
「オォッッケェェでございますぞ! 何せルーティス・アブサラスト様は超一流でございますからね!」
そう返すとオニヘビは、水晶の結晶石を風呂敷の中から取り出して連絡を取る。これは魔法技術で作り出した通信装置だ。オニヘビは何やらうむうむ頷いて、
「明日のこの時間に会ってみたいとの事でありますぞ! 報酬は日当十万リークでどうでしょうか?」
水晶をしまいながら、ルーティスに返す。
「破格の待遇だね♪ 文句無いよ!」
ルーティスは大喜びだった。
◇◇◇
次の日、ルーティスはオニヘビから紹介された時刻に奥のテーブルに座って待っていた。オレンジジュースが半分入った木のカップを指先で玩びながら、オニヘビの来訪を待つ。
後もう少しのはずだとルーティスは待つ。オニヘビは確かに厭らしい生き物だけど、こうした契約は信頼できる。彼らは行商人として生計を立てる者が大半だから。
「おォルーティスさまぁ。本日も良い外道日和ですな。元気ですか!? 相変わらず手足長いですか?!」
ひょっこりテーブルの下からオニヘビが現れる。
「僕は人間だから手足は長いよ? それに元気だけど外道日和ってなんだい?」
「一日百外道を実行したくなる日和ですな」
「それいつもの君たちじゃん」
ルーティスは苦笑する。
「そんな事より錬金術師さんは?」
「あァそれならあちらに。どうぞ、イブシェード・バガー様!」
オニヘビの声を受けて、一人の青年が現れる。
光を閉じ込めるような艶の無い癖がある黒髪に白衣、襟をリボンタイで結んだシャツ姿の精悍な顔立ちの青年だった。身体つきも普通の錬金術師より筋力が配分良くついており、おそらく街角では幾人ものご婦人を悩ませているに違いない。
「やぁ、君が俺と『ラトアの瞳』を創ってくれる白魔導士さんかい?
錬金術師のイブシェード・バガーだ。よろしくな」
片手を挙げながら、イブシェード青年。野生の狼みたいな鋭い雰囲気があるものの、気さくな性格らしい。
「こんばんは、イブシェード・バガーさん。僕はルーティス・アブサラストと申します」
立ち上がってルーティスはイブシェードに手を差し出す。
「アブサラスト……あの『アブサラストの平原』にちなんだファーストネームか。確かに腕の立つ白魔導士さんらしいな」
手を握りながら、イブシェードは返す。
『アブサラストの平原』とは、伝説に伝わる平原の名前だ。見渡す限り草が繁り、時が止まっているかのような静けさに満ち。そこにたどり着き願いを捧げた者に神の力を授けてくれるという伝説がある。
「さっそく仕事の話に入りたいのだが、良いかな?」
イブシェードは席に着きながら尋ねる。ついでにカフェの娘さんに食事の注文。
「ルーティス君は何を食べるかな?」
「肉類じゃなければ何でも良いですよ」
白魔導士は生命に根差した魔法を行使するため、生命の力を得やすい。よって肉みたいに強い栄養を摂らなくても生きていけるので肉を食べるのはあまり無い。
「ならポテトパイにしよう。お嬢さん、よろしくお願い」
「はい」
イブシェードの注文を受ける娘さん。
「後ソーセージと黒ビールもお願い」
「かしこまりました」
さらに注文を承るお嬢さん。奥の厨房へと向かって消えてゆく。
「まずはラトアの瞳の錬成を頼んだ依頼者さんは街を治めている町長、今年で二十歳の娘さんだよ」
「ずいぶんお若いのですね?」
ルーティスは不思議そうに返す。
「あぁ。町長だった父親を早くに亡くして就任したとか……。
その方の妹が、最近片目を患って光が消えたらしい……。それでちょうど街で市民権が欲しかった錬金術師の俺に依頼してきたのさ。ラトアの瞳は技術自体が楽なのだが……」
「最後に使う『
「あぁ、そうだ」とイブシェードは頷く。同時に湯気を立ち昇らせるポテトパイと焼いてソースに絡ませたソーセージと黒ビールが運ばれてきた。
ありがとうとイブシェードはお礼を娘に述べた。
「俺は魔法がうまく使えなくてね……。それに、こうした精密な装置にはしっかりと専門の白魔導士の力を借りたかったんだよ」
ポテトパイを切り分けて、ルーティスの木皿に手渡す。肉類は入っていない普通のポテトパイだ。
「一応訊いておきたいが……君の白魔法の力量はどれぐらいかな?」
鞄から取り出した金属製フォークとナイフでソーセージを食べながら、イブシェードは質問した。
「『廻る円環の螺旋に生命を還す』領域までです」
「『還流の領域』、か……。オニヘビ達は中々破格の白魔導士を紹介してくれたな」
感慨深く、イブシェード青年。
『還流の領域』。それは白魔法の最終領域と謂われており、生命を自在に操る領域とされている。世界に白魔導士は数が少ないが、この領域にたどり着ける術者はさらに少ない。
イブシェードはちらりとルーティスを見る。彼はオニヘビが紹介してくれた魔法使い。普通の白魔導士でないのは明らかだ。
「よし。君は明日から『光水』の精製をして貰いたい。俺は材料を注文して作業に取りかかるよ」
そう言ってイブシェードは何か羊皮紙に書き込むと、再度オニヘビを呼び出す。
「なァんでございましょうか?」
またしても厭らしい声音で、オニヘビが出現する。
「オニヘビ、ここに書かれた材料を集めて来てくれ」
彼はオニヘビに羊皮紙を手渡した。
「どりゃどりゃ? ……これはかなり手間が掛かりそうですな?」
「……これぐらいで足りるか?」
白衣の下から、イブシェードは林檎大の膨らみがある袋を差し出す。
「これは全部金貨ですな! 大丈夫、問題無しですぞ!
ではお任せあれ!」
そう言い残して、オニヘビは風呂敷を背負ってすたこら消えた。
「……さて、明後日には揃うだろうから。明日一緒に町長様に報告しに向かわないか?」
「そうですね。判りました」
ルーティスはパイをかじりながら返した。
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