2手 王都「旅路に揺れる」

「お前。本当に才能ねえな」


 ライアスから剣術のイロハを習い始めて、最初に言われた感想がそれだった。

なんでも、どれだけ修正を促しても、体に染みついた悪い癖が直らないのだとか。体を意識通りに動かす「調整力」に乏しいとも言われた。


 それを聞いた俺は、憤りながら絶望する。

 だってそうだろう。要するに彼は、俺の運動能力が悪いと言っているのだ。一体どうしろというのか。生まれつきを否定されても、俺にはどうしようもなく、だからそうして項垂れるしかなかった。


 しかし、ライアスはそんな俺に一向に構わず、菓子を食べ続ける。

 そして言った。


「そうか。・・・いや、それでもいい」


 それから行った鍛錬はというと、剣術を極めるものではなかった。

 人がその身に宿す奇跡。つまり「魔素」に関するものだった。


 魔素とは、人族と魔族が持つもので、主に「魔法」を発動させるためのエネルギーという認識である。


 最初こそ、そのあまりに抽象的な鍛錬に苛立ちを覚えたものだが、やがて自分の中にその存在を認めると、夢中になって鍛錬に励んだ。ライアスが昼夜を問わずに菓子を食べれば、俺は昼夜を問わずに自身の魔素をこねくり回したという訳だった。


 そうして、気づけば3年が経っている。毎日毎日剣を振って、自身の魔素を研究し続けて、16歳を迎えたのだった。


 それはつまり、それ以外を何も習得できなかったということでもある。

確かに、ライアスから基本的な剣術は教えてもらった。

 しかしながら、俺の腕はというと、平均的なものだろう。魔素の研究にばかりにかまけていたからだ。仕方がない。


 そしてその分を、魔素の応用である『剣技』で補うというのが、俺の特有の戦術だった。


 それがこの先、一体どれだけ通用するのか。

 そもそも、入学試験を合格できるのか。


 そうした不安を抱えながら、俺は今、古びた荷物車に揺られていた。


 空は青く晴れ渡っていて、その端を、傾いた太陽が黄土色に染めていた。所々に浮かぶ雲も仄かに赤い。

 上体を起こして周囲を見渡すと、何処までも平坦な土地が広がっているだけだ。丈の低い草原は、眩しいほどに生き生きしていた。時折視界を遮る小さな林は、どれも隙間なく立ち並んでいて、窮屈そうだった。

 男が俺に声をかける。


「乗り心地はどうだよ?あんちゃん」

「・・・良くないね。良くないよ、まったく。『あんちゃん』は、うっ、そろぞろ吐きそう」


 胸をさすって俯く俺に声をかけたのは、前方で馬を操る行商人だ。その名をフィンという。

 彼は茶色い地味なチョッキの下に、えんじ色の衣服を着ている。身長は俺よりも低く、ふくよかなその体型からは、裕福な生活が伺えた。


 ライアスの小屋を出た後の俺は、無事に行商人であるフィンとの待ち合わせを果たした。ライアスが言っていたように、男は派手な格好をしていたので、遠目からでも見つけやすく、助かった。

 こちらから声をかけると、彼はライアスの名を口に出した。ライアスの甘いもの好きが相変わらずであることを教えると、彼は大口を開けて笑った。

 どうやらフィンは豪快な性格だと、そう思った。


 そうして、俺が彼の分厚い手を強く握り、現在に至る。


「がっはっはっ。遠くを眺めな、あんちゃん。荷物に吐き散らしでもしたら、ただじゃおかねえ!」

「・・・ならせめて、あんたにぶちまけよう」

「そうしてくれ!がっはっはっは!」


 この禿げじじい。本当に吐き散らしてやろうか。

 そんなことを考えて、俺は首を強く横に振る。続いて、この奇妙な感覚を払拭しようと、額に手を当てた。

 出会ったばかりの彼にここまでの親近感を覚えるというのは、どうやら彼の術中にはまってしまっているからだそうだ。それがどうにも気に食わなかった。

 フィンが言うには。


「商人ってーのは、如何に交渉を上手く進めるかが命でな。そしてその為には、信用を得ることが大切なわけよ。そこで俺ぁ、相手に親近感を抱かせる。するとな、どんな野郎もコロッといっちまうって寸法よ」


 確かに俺は、彼に対して既に幾許かの好感を抱いていて、だからその技術は認めるべきものである。流石は、ライアスの知り合いとでも言うべきか。

 とはいえ勿論、こんなおっさんにコロッといきたくはなく、俺は溜息を吐きながら空を見上げていた。


「にしても、あんちゃん。そんな様子で大丈夫かよ?心配になってくるぜ」

「・・・ああ。大丈夫さ。いざという時は任せておけ」

「はっ、どうだかなあ」


 フィンは、急に俺の頼りなさを指摘する。次いで不安そうに肩を竦めるので、そんな彼を安心させるように、俺は腰の短剣に手を添えた。

 それは、刃渡りが17センチほどのダガーナイフである。数週間前に購入したばかりのものなので、柄の部分までもが光沢を放っている。ライアスからの小遣いをためて買ったので、少々の思い入れもあった。


 そしてまた、金にうるさいという商人は、俺をただでは同乗させてくれなかった。

事前にライアスと話を付けていたそうだが、そうして俺は彼の護衛を担っているのだった。


 確かに、護衛は必要である。荷物を運ぶ商人が魔物、盗賊に襲われるというのは、よく聞く話であるからだ。

また今回の場合は、遭遇の可能性が特に高くもある。というのも、王都に到着するのは明日の午前であり、つまり今夜は野宿をする必要があるからだった。


 俺抜きで決められたことに不満があったが、妥当な取引ではあったので、こうして護衛を引き受けたのだった。


「うう。やっぱり気分が悪い。俺は寝る」

「ああそうかい、あんちゃん。いざとなったら起こすぞ?」

「へいへい」


 護衛を怠けている訳ではない。

 野宿の際、フィンが寝る時には俺は起きていなければならず、だからここで睡眠をとっておくことにしたのだ。


 フィンの手綱さばきが悪いのか、はたまた道が険しいのか。

 男二人を乗せた荷物車は、不定期に跳ねる。小刻みに上下するベッドはというと、大層寝心地が悪かった。

 到底いい夢は見られそうにないなと、そう思いながら、俺は目を瞑った。


 ♯


「おい起きろ!・・・起きろって!」


 遠くから聞こえてくる男の声は、次第に近づいてくる。

 ふと今の状況を思い出した俺は、勢いよく跳ね起きる。すると、何者かに頭頂部をぶつけてしまったようで、相手の低いうめき声が暗闇に響いた。


「うっぐう。痛ってえええ!何しやがる!」

「誰だ、お前は!」

「うわっナイフを抜くな!俺だよ、フィンだ!」

「・・・誰だ、お前は?」

「・・・そろそろ怒るぞ?」


 次第に頭がさえて来たので、次いで暗がりに目を慣らしていく。フィンが地面にうずくまり顎を抑えているので、頭を下げて謝った。そうして荷物車を下りる。


 辺りは既に暗闇に支配されていて、風に揺れる草木をやけに騒がしく感じる。気温も大分下がっていて、俺は身震いをしてしまう。痛みから回復したフィンが俺に毛布を渡してくれた。


 そのままフィンについていくと、やがて焚火が見えてくる。その弱々しい火に彼が息を吹きかけると、そばの大樹がぼんやりと浮かび上がるので、俺は驚く。

 だだっ広い草原に、まるで場違いのように立つ樹木だった。口を開けてそれ見上げる俺は、きっと間抜けな顔をしている。


「道中、何もなかったんだな」

「ああ。けれど、あんちゃんの仕事はこれからだぜ?よろしくな」


 フィンはそう言って、俺に干し肉を突き出した。俺はそれを受け取ると、彼に倣って焚火の近くに腰かけた。


 奥歯に干し肉を挟み込み、引き千切るようにしてそれを食べる。途端、口中に生臭い味が広がるので、俺は顔を顰める。端的に言って、美味しくない。


 そこで今度は、目前の火に近づけて、焙ってみる。すると若干の焦げがついて、少しばかり赤みをとりもどした。幾許かはマシになったかと思って、全てを口に放り込むと、口を大きく動かして、それを噛み続ける。目を瞑り、眉を顰めて飲み込む。


「10点中2点だな。不味い」

「男なら我慢しろよ、あんちゃん」

「そうはいってもなあ」


 次の干し肉を受け取りながら、俺は不満を漏らす。ライアスの作る料理は美味しかったし、元々貴族である俺の舌は肥えているのだ。こんなライアスの耳の裏側みたいな味の食事は、舌が受け付けない。

 しかし、王都には美味しい料理が多いと聞く。最近出回る、あのケーキのこともある。相当な美食がそろっているに違いないのだ。入学が叶った暁には、是非堪能させてもらおう。


 そこでふとフィンに、王都という場所について尋ねることにした。


「なあ、王都ってどんなところだ?あんた、行ったことあるんだろ?」

「勿論。俺あ行商人だからな、何度もある。客をさばくのだけが商いじゃあなくってだな――」

「俺は、王都の話が聞きたいんだけど」


 俺がそう言って話を遮ると、フィンは拗ねたように干し肉に嚙みついた。そうして黙々とそれを食べ続けるので、俺は辛抱強く待つことにした。


 ようやく全てを飲み込んだフィンは、口から息を深く吐き出して、態勢を立て直す。続いて、俺も尻の位置を変えた。すると砂利が突き刺さって痛かったので、うめき声を上げた。


「・・・そうだなあ。どんなところって言われてもなあ」

「まあ、興味本位だ。最近の流行だとか、事件だとかを教えてくれよ」


 俺は、肩を竦めながらそう言う。

すると、フィンは暫く考えたのち、思考の整理を終えたのか、腕を組んで口を開いた。


「流行と言えば、クレープなんてお菓子がはやっているな。あんちゃんやライアスが喜びそうな甘いお菓子だ」

「おお!それはいいな!」


 俺は、身を乗り出して目を輝かせた。ライアスに感化されて俺自身も随分な甘いもの好きになっているのだった。ますます王都が楽しみになる良い情報である。

 フィンは続ける。


「なんでも、異世界から召喚された勇者だとかが考案したらしいぜ」

「ゆうしゃ?」

「ああ。興味あるか?」

「・・・いいや。全く無い」

「そうか」


 俺の返事を聞いた後、フィンは立ち上がり荷物車に近づいていく。大きく丸い背中が、段々闇に沈んでいった。


 そう言えば町に下りた時、度々「いうしゃ」なんて言葉を耳にしたが、フィンが言ったのは、恐らくそれの事だろう。確か、魔族の頂点に君臨する魔王に対抗するため、召喚されたとかいないとか。絶大な力を秘めているとかいないとか。


 どちらにしろ、俺には関係のない話だろうと考える。そもそも、『チェス』というルールの中で、「勇者」なんて単独戦力が役に立つとは思えない。俺からしてみれば、魔王打倒を目指す暇があったら、新しい菓子をなるだけ多く考案しろと思うものである。


 やがてフィンは2つの赤い球体を握って、戻ってくる。彼がそのうちの片方を投げつけてくるので、慌てて掴み取る。火に近づけて見たそれは、真っ赤に熟れた林檎だった。いかにも甘くておいしそうなので、俺は頬を緩めた。


「シャクリ。もぐもぐ――そうだ。最近の事件を思い出したぜ、あんちゃん」

「シャクシャク。むぐむぐ――そうか。じゃあ、教えておくれよ」


 林檎はやはり甘美な果汁を蓄えていた。顎から垂れそうになるので、一口一口すすりながら食べた。

 2人同時に飲み込む。


「奴隷の違法取引があったって話だ」

「・・・うーん。ピンとこないな。何がいけなかったんだ?」

「そりゃ、あんちゃん。奴隷だぜ?売買そのものが違法だろうが」

「そうなのか!?」


 驚いた。

 俺が貴族だったころには、つまり3年前には奴隷制は当たり前だった。あのクラデリー家の屋敷にも、奴隷の男が2人程いた覚えがある。

 だのにどうしたことか。


「国王陛下が退位して、殿下がその後を受け継いだだろう?その後すぐに、奴隷制は廃止されたんだよ」

「へえ。・・・何年前?」

「2年前だ。・・・本当に何にも知らねえのな。まあ、ライアスも全くそういうことに疎いからなあ」


 なるほどな。2年前と言えば、俺がライアスに引き取られた後のことだ。それならば記憶の食い違いにも納得がいく。

 そして、確かにライアスは全く世情を教えてはくれなかったが、俺自身にも興味はなかった。あの時はただ、剣を振って魔素を研究することに夢中だったからだ。


「しっかし、国王様も無茶を言いなさるなあ。俺にも奴隷商の知り合いがいたんだが、その後すぐに路頭に迷っちまったよ。気の毒だったな」

「・・・ははあ、なるほど。それで未だに商売をやめられずにいる奴が、捕まってしまったと」

「そういうわけだ」


 俺の質問に、フィンは深く頷いた。

 その捕まったという奴隷商人には、同情する。もし仮に今日から騎士が不要になったとしたら、俺は怒り狂い、王都中の甘味をやけ食いして、この世から甘いものを根絶してしまうに違いない。

 無茶苦茶なのは俺の方だった。


「なあ、情報提供はこんなもんでいいだろ?俺あ寝るぞああ・・・ほう」

「ああ」


 フィンが、俺を吸い込まんとするほどの大きな欠伸をするので、俺は礼を言って、会話を終了させた。

 冬のように寒いわけではないので、これ以上の焚火は不要だ。下手に魔物を寄せ付けてもいけないので、俺はそれを何度か踏みつけることで、消火した。そうして襲い来る闇が目に沁みた。


 隣では中年の男が身をよじって、寝心地を改善しようと躍起になっている。

 俺が顔を上げて空を仰ぐと、大樹の木の葉が月明りを遮っていた。急に吹いた冷たい風は葉を揺らし、細かい光を俺に届かせる。青白い光は俺の目に点滅して映った。

 首を回して周囲を確認すると、夕刻とはまた違った風景が広がっていた。日中を動と表現するなら、今は静と言える。紺色の草原の海を、黒く大きな雲の影が泳いでいく。それは随分と高い位置を流れているようで、時間をかけてゆっくりと過ぎ去っていくのだった。

 風に身を任せる植物は、清涼感溢れる音を空中に漂わせている。更に耳を澄ませば、様々な虫が剽軽な声を上げて宴を楽しんでいた。


 そこで俺は、ふと違和感を覚えた。鼻から息を吐き出すと、首を傾げてもう一度意識を周囲に向けてみる。

 そして、いびきの煩いフィンを揺さぶって起こした。


「起きてくれ」

「ん・・・なんだよお、あんちゃん。折角微睡み始めたところだったのに、邪魔をするなよ」

「邪魔をしたのは、俺じゃあないよ。・・・どうやら小型の魔物が何匹か来たよ」

「なんっだって!?」


 今の事態を認識したフィンは、物凄い勢いで、体を起こした。そんな彼の頭に、危うく顎をぶつけそうになる。

 耳を澄ませて、相手の数を予想した。森で鍛えた索敵能力は伊達ではないのだ。


「ええっと。大体、6匹かな」

「どっどっどうすればいい!?」

「落ち着けよ。先ずは、その樹に背中を付けろ」

「は、背後を守るためか。分かった」


 魔物との邂逅に完全に動揺したフィンは、俺の指示に従順だった。大きなはずの背中を小さく丸めて、這うように樹木へと向かう。


「俺の武器はこのナイフ一本だけだ。だから、念のためな」

「冗談だろおい!?」

「この状況で冗談は言わないよ・・・」


 俺はそう言って、フィンに背を向ける。

続いてナイフを抜くと、それを右手で逆手に持った。この方が、順手で持つよりも獲物を固定しやすく、刺突や斬撃に十分な力を入れやすくなるのだ。ナイフの刃渡り、つまりリーチを隠すこともできる。


 勿論手首の可動域が狭い分、順手の時のように刃先を遠くに届かせることは難しい。しかし、これから俺が行うのは殴る蹴るの格闘でもある。よって、やはり至近距離の相手を確実に刺殺できるこの持ち方が順当だった。


 息を吐き出すと、足幅を広げて腰を落とした。腕の力を抜いて、胸の前に両手を構える。


「あ」

「げっ」


 そうして姿を現したのは、緑色の肌をする1匹の『ゴブリン』だった。彼等の全長は、地面から俺の胸のあたりまでだ。足は短く、しかし手は長い。多くの個体がやせ細っていて、腹部だけが異様に突き出ている。

目前の魔物は、黄色く濁った眼で俺を睨みつけている。手には石製のナイフを持っていた。


 急に背後の闇から別の『ゴブリン』が飛び掛かってくる。

 素早くそれに反応した俺は、先に首だけをそちらに向けて、相手を視認した。次いで、ここぞというタイミングで、右手を振る。


「っふ!」


 ――ゾキャ。

 見事刃先は『ゴブリン』の頭部に突き刺さった。

 呆けたような顔で絶命した『ゴブリン』は、その傷口から血を溢し始める。迅速にナイフを引き抜くと、血しぶきが上がった。


「ひえっ!」


 残虐な殺害に、フィンが悲鳴を上げた。

 構わずに、前に向き直る。


 最初に現れて囮を担っていた『ゴブリン』は、既に目前に迫って来ていた。どこからともなく他の3匹も、それに加勢して、俺を四方から攻める。

 逃げ場がない。


 そこで俺は、先に俺に到達した最初の一匹を足で蹴とばすことにした。膝を曲げて腿を胸に寄せると、一気に脚を伸ばして相手を蹴り飛ばした。

 足の長さ、体重ともに俺の方が上回っているので、小型の魔物は文字通り吹き飛んでいった。


 背後を狙った3匹の同時攻撃を、俺は今しがた開いたばかりの退路を進んで回避する。要するに、前方に走って逃げるようにしたのである。


 蹴り飛ばした相手が立ち上がろうとしているので、駆け寄った俺は容赦なく頭部にナイフを叩き入れる。素早く引き抜くと、返り血を浴びない内に、その場を離れた。


「お前らが相手だと腰が痛くなるな。・・・さっさと、終わらせよう」


 そう呟くと、後ずさりを始める『ゴブリン』に、今度は俺の方から飛び込んでいく。姿勢を今まで以上に低くして、早足に近づいて行った。


 先頭の1匹が槍のような武器をこちらに突き出すので、俺はそれに腕を絡ませる。そうして手首を切りつけると、魔物は叫びながら武器を手放した。


 しかし、その個体に止めは刺せない。

 援護を考えたもう1匹が、鉄製のナイフを俺の右脇目がけて刺突したのだ。


 俺は、それが届く寸前に肘鉄を相手に食らわせた。鼻を抑えて怯んだその相手にナイフを振り下ろすと、それは首の付け根に突き刺さる。

 『ゴブリン』は苦し気な声を上げて、倒れこんだ。


 飛び散る鮮血は、近くの草を赤く染め上げる。俺の頬を伝う生温い汗は、冷たい風に冷やされて、心地がいい。


 残った2匹の『ゴブリン』は、武器を持つ一方が、武器を失ったもう一匹をかばうようにしていた。そうして、何やら相談をしている。


 彼らが武器を下していたので、俺は手を出さないで成り行きを見守った。

これ以上は、無益な殺生になるだろう。俺の優位はもう十分に示したつもりだった。


 やがて、相談が済んだのか、彼らはその場を去っていく。その去り際は正しかったように思う。

 俺は、深呼吸を繰り返して、手元のナイフを腰にしまい込んだ。


 すなわち、戦闘は終了したのだった。


 急に、辺りの音が大きくなったように感じる。今まで聞けていなかった音に、意識が配れるようになったという訳である。

 髪をかき上げると、フィンの元に向かった。


「お、終わったのか」

「ああ、一応な。ううう・・・」


 俺がそうして伸びをすると、フィンが俺を褒める。


「いやあ、流石だなあ。・・・あのライアスが教えただけのことはある。ナイフの扱いも一流だな」

「いや。こんなのは三流もいいところだよ。本物はもっと――待て」


 やっと落ち着いたところに、またも敵の反応を察知する。今度は、先ほどの数倍の魔物が俺たちを囲んでいた。


「ははあ。どうやらお客さんがまた来たぜ。それも大勢。11、13・・・20くらいかな?」

「はあああ!?」


 フィンは、まるで俺に憤るようにそんな声を上げた。八つ当たりはやめてほしい。


 恐らく先ほどの『ゴブリン』2匹の相談は、仲間を集めるかどうかのものだったのだろう。そうして大勢を動員することを決定したのだった。

 隣の男が、強張った表情で俺に命令をする。


「なっ、なんとかなるんだよな!?早く倒しちゃってくれ!」


 その口調がなんだか偉そうなものだったので、俺は意地悪を言いたくなる。


「おいおい。・・・客をさばくのが商人の仕事なんだろ?」

「おい、あんちゃん!今そういうのはやめろよおおお!冗談は言わないんじゃなかったのかよ!?」

「・・・やれやれ」


 フィンが叫びだしたので、俺は溜息を吐くと首を横に振って、再びナイフを構えた。


 やがて、やはり20匹ほどの『ゴブリン』が姿を現した。今度は小細工を考えていないようなので、単純に数で押し勝つ算段だろうと考える。

 彼らの多くの顔に、緊張が見て取れた。


 俺は今冗談を言ったが、正直うかうかしてもいられない状況だ。流石に、俺一人でこの数をさばききるのは容易ではなかった。


 なので、ここで使うことにする。3つある内の1つを使ってみようと思い立つ。

 思えばこれを殺傷目的に使ったことはないので、いい機会でもある。予行演習としてとらえることにする。


「ん」


 俺はより一層腰を落として、強い土台を形作る。

 地面を靴裏で強く擦って右足を後ろに引いた。

 背中を丸め、頭は起こして目前を睨みつけた。


「第一『剣技』だ。――『強化する』」

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