ゆめうつつ
他人の夢の話ほどつまらないものは無いと言うが、夢か現実か分からない話ならどうだろうか。
小学生の頃の話である。
何歳の何月だったか全く覚えてないが、時刻ははっきりと覚えている。十三時を回ったところだ。昼食を取り、さあ、掃除だと廊下へ出た瞬間に奇妙な感覚に襲われた。
「これは夢ではないか?」
疑問というより確信に近かった。その時の意識を言い表すのは難しい。体が宙を舞っているかのような、という陳腐な表現に逃げる他ない。
すぐに友人の一人を捕まえて、これは夢なのかと尋ねたが軽く一笑に付されてしまった。
急いで別の友人に声を掛けようとするが、先ほどの友人の馬鹿にしきった目! その目が思い出されて辞めてしまった。しかし、その時にもっと恐ろしいことに気が付いたのである。これが夢であっても、現実であっても、恐らく誰も私を真剣に取り合わないだろう、ということだ。夢であるなら先ほどの二人も私の妄想だ。そんな奴等と話していては戻れないところまで行ってしまうかもしれない。
結局、その日は素知らぬふりをして過ごしたのだが、自分でない何かが必死に自分を演じているかのような空々しい感じが拭えなかった。
覚えているのはそれぐらいである。当時、宿題で日記をつけていたのだが、当然残ってはいない。また、その時の恐怖を日記に残したとも思えない。
あれから結構な年月が経ち、今では自発的に日記をつけている。上の話を電話口で友人にしたという文章も残っていた。馬鹿にされたとあるから、恐らく友人は電話の向こうであの目をしていたことだろう。
日記とは面白いものである。自分が体験し、自分が認めたものである筈なのだが、読み返してみると吹き出してしまったりもする。中には、はて、こんなことが有ったかな? と思うようなものもある。単に忘れているということではない。こんな行動を私が取るだろうか? というものが、確かに私の字で記されているのである。
思うに、小学生のあの事件は妖怪変化か、或いは悪魔憑きだかに悪戯された結果なのではないだろうか。その妖怪だか悪魔だかは、まだ私の中に居て、私の代わりに一日を過ごし、ご丁寧に日記を付けて去っていくのだ。
何を馬鹿な、と思うだろう。無論、私も本気で自分の中の悪魔を主張しているわけではない。悪魔が居ようが、居まいが、そんなことは誰にも証明できないことである。
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