第4話「食卓会議」



「操られている?」

「ああ」


 茶の間である。

 病院にお見舞いに行ったその夜、沙華を連れた颯は尽きかけた気力を振り絞って帰宅した。

 狙い澄ましたかのように炊きあがった炊飯器からの湯気に迎えられた彼らは、まずは焼き鮭を仕込みお茶を煎れ、一服。冷蔵庫に入れているお味噌汁を温め直すのはもう少し後だ。


「あの子――」


 と言いかけて、天井をじっと見てる颯。


「名前ですか? サツキっていうらしいですよ?」

「沙華、よく分かったな」

「物語で繋がった仲です。……というのは本当ですが、生徒手帳を拝借しておきました」

「マジ? 女子高生の生徒手帳? 見せて見せ――痛ェ!」

「乙女の秘密満載の手帳を見ようとするなら、次は鉄拳制裁です」

「思い切り殴っておいて!?」

「物語を生み出す脳が無事なだけありがたいと思って頂かないと」


 涙目で頭を抑える颯がそれでも呻きながら、もう一度「彼女は操られている」と呟く。


「まあ、そうでしょうけれど」


 沙華も綺麗な正座で綺麗に茶を喫して頷く。


「彼女は見たのかなあ、桜子を。恐らく彼女が桜子から鈴木くんを奪わないと、彼は桜子に取られてしまう」


 魂を。

 彼の魂がインクとして歪んだ物語の完結に用いられるのだ。

 もちろん、魂という可能性の塊が尽き消え去ったあとの命は、尽きる。つまり、死亡する。


「病室で『春のあなたに』に、なぐるふぁるで新しい物語を書き加えた。……つまり、明日の夜に告白対決が行われるまでは彼の魂は吸われることもなく、無事だ」

「なぐるふぁるを使う作家の魂は、被害者のそれを上回る。あとは、『春のあなたに』の作家と、颯さんの作家魂との戦いになりますわねえ」


 じっとりと、笑む。

 そんな沙華の笑顔に、挑戦するような色がある。


「颯さんの魂の強さはともかく、書く物語が面白いかどうかとはもちろん全く別のハナシなんですけれど」

「ああああ、ほんと一言二言三言ほんと多いよなほんとお前ほんとッ!」


 茶をあおる。


「ふふ。でも、すごく私好みの味ですから、自信もって下さいね」

「お前に喰わすために書いてるんじゃねえよッ。ともあれ未来の読者を見殺しにはできないだろう。作家としてな」

「本音は?」


 颯はふふんと得意気に指を立てる。


「裏虫さんの伝手でこんど『月刊文華』の編集部を紹介してもらえそうなんだ」

「それだけ?」

「あの鈴木くんの家、けっこう資産家らしいんだよね」

「うわぁ」


 取り憑いている男の素敵な下心に心底嬉しそうな笑顔を浮かべる鬼娘。さすがにどこかズレている。


「ともあれだ」


 颯は空の湯飲みを差し出し、大きく息をついて気合いを入れる。


「小説ってヤツは面白くなきゃいけない」

「はいはい」


 新しいお茶を注ぎながら、沙華もにっこりと微笑んだ。




 ――真くん。


「鈴木くん」


 心の中では、名前で。

 口に出すときは、名字で。

 皐月は自室で机に向かい、真と二人で写っている写真――部活の大会に一緒に出場したときのもので、彼女の宝物だ。

 大きいトラックを背に、ユニフォーム姿の二人が笑顔で写っている。このときはお互い上位には食い込めなかったが、自己記録は更新している。どこか寂しく、どこか嬉しい切ない輝きはそのあたりの思い出を刺激する。

 ああ、明日こそ病院にお見舞いに行って告白しなければ。

 愛しいあの人を取られてしまうから。


「ほんとうに好きな人に告白しないままでいると、夢に桜子さんが出てきて、好きな人を取られちゃうんだって」


 口に出す。

 そうだ。

 好きな人には告白しなければならない。

 彼女は、そこでひとつ、安心したように写真に目を落とす。

 幸せそうな、ワタシとマコトくん。

 写真の彼を撫でる指。

 口をついて出る、愛しい言葉。


「好き」


 その一言を、彼の前で言わなければならない。

 奪われる前に。

 奪われる、その前に。

 告白しなければならない。

 写真を撫でる指。

 その指先から、薄暗い靄。


「好き」


 彼の輪郭、胸板、腕。

 写る総てに靄を塗りつけるように、愛撫していく。

 言わなければならない。

 そう確信した。

 そう、確信していた。





「ということで、僕らの決戦は明日の夜。あの病室だ」


 同じ時刻、お互いに温め直した味噌汁と焼きたての鮭を食べながら、颯は沙華にそう言い含め、冷たい麦茶をひとくち。

 腹ごしらえの作戦会議。

 沙華も卓袱台で向かい合うように食事を勧めながら、傍らに置いた生徒手帳に視線を向ける。


「その前に、彼女に接触すると?」

「ああ。キャラクターはよく見ておきたい」

「すけべ心ではなく?」

「当たり前だろう」

「どうだか」


 もぐもぐ。

 スっと差し出される茶碗を受け取りおかわりをよそう沙華。彼女からたんと盛られた茶碗を手に、颯はもう一度麦茶で喉を潤す。


「覗き、できる?」

「できますよ」


 彼の提案に、沙華はこともなげに頷いた。


「できるのか」

「できますって」

「お前と一緒になって半年、物語を食べるうえにしっかりメシも喰う不思議な鬼ってことは知ってたけど、そんなこともできるのか」


 かるく責めるような毒が含まれた言葉だが、沙華は聞く風もない。


「大学在学中にひたすら小説の新人賞に応募、編集部に持ち込みを敢行するも、ことごとく梨の礫。作家として身を立てて立派に生活をする夢も卒業で潰え、就職も出来ず、祖父の古本屋と家業をこうして受け継がなければ生活もままならなくなっていた作家志望の斫颯さんが言うことには、物語もご飯も食べるけど『未完の物語』と対抗しうる力となぐるふぁるを与えた私が覗きをするための術が使えてしまうことがとても意外であると仰る」

「う」

「今現在の斫家の収入を支える仕事を支える私に?」

「い、いや、僕だってなぐるふぁるで――」

「もちろん、担い手である颯さんが居るからこそのお仕事です。ああこの『古書店』の行く末を担うべき二十五代目がまさか女子高生の学校生活を覗くために鬼の力を使うなんて」

「すごくごめん。ほんとごめん」


 いつのまにか卓袱台に突っ伏す颯。

 チクっとする程度の毒気を含ませたら猛毒で噛み付き返された。


「ま、辞めたくなったらいつでもどうぞ? ふつーに就職して生きていけばよろしいですわ」

「だったら僕の『作品』を返してくれよ」

「あら。いちど食べたらそれなりの対価がなければお戻しできませんわ。なにせ、鬼ですから」


 深い深い溜息が漏れる。

 お互い食事を終えたのを見計らい、沙華は手を合わせ「ごちそうさまでした」と一息をつく。

 颯も倣うと、むっくりと顔を上げる。


「もう一度聞くけど、なぐるふぁるである程度の物語を完結させれば、約束通り、を返してくれるんだな?」

「ええ。もちろん。ふふ」


 対価。

 総ては、彼女と彼との間の対価。

 彼女と彼に結ばれた、共存のカンケイが。


「ともあれ明日は月岡高校に潜入ですわね。ふふ、制服でも着ますか?」

「え、あるの!?」


 ――あった。

 彼はびっくりした。

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