ヤスダは眠る
ヤスダは1985年の年末最後の休日を満喫しようとしていた。パチンコ台の納入と設置が終わった後、雇っていたアルバイト達にその場で日当と師走手当を渡し、そのまま解散とした。
時刻は午前六時頃で、柏の駅前は薄明るい陽射しを受け、アイロンを掛けたばかりのシャツのような新品の一日が始まる予感に満ちていた。間も無くパチンコ屋の前には新装開店の大盤振る舞いを求め、蜜に群がる蟻のように暇を持て余した馬鹿共が並び始める筈だ。不思議なものだな、とヤスダは思った。彼らは毎朝駅で電車に詰め込まれる為に行列しているというのに、せっかくの休日まで煙草の煙が立ち込めるパチンコ屋に自ら詰め込まれようとしている。ヤスダはギャンブルには手を染めなかった。身銭を切るには分が悪過ぎる。
ヤスダは未だ人通りが少ない商店街を眺めながらセブンスターを一本唇に挟み、デュポンライターで火を付けた。休日の暇潰しの方法を考えるのは久し振りだった。最後の休日がいつだったか、ヤスダには思い出せなかった。とりあえず酒が飲みたいが、まだ午前中の早い時間なので店はどこも開いていなかった。だがどうしてもビールを口にしたかったヤスダは、ふと思い付いてパチンコ屋が入店しているビルの四階にある小さな映画館まで階段を登って行った。二階はゲームセンター、三階はビリヤード場、四階が映画館になっていた。そこなら缶ビールくらい売っているだろう。
缶ビールを手にしたヤスダはそれを啜りながら映画館を適当に物色した。映画館に来るなんて何年振りだろう。かなり前に新宿あたりでニッカツポルノ映画三本立てを観た覚えがあるが、あれはひどい代物だった……団地妻極ハメ金融昇天地獄だったか?……そういう事を何となく思い出しながら、ヤスダは破れかけの渥美清のポスターや、ジェームス・ディーンの色褪せたポスターを眺めた。それらはポルノ映画に比べると、毒舌がウリの老いぼれた落語家が教育テレビで愛想笑いをしている様を思い出させた。外は良い天気だったが、陽の光はロビーの薄汚れ具合を際立たせるだけだった。売店の婆はミカンやスナック菓子を並べたケースの向こう側で、うつらうつらと船を漕いでいた。
掛かっている映画はミロシュ・フォアマンのアマデウスだった。ヤスダは緑地に黒い影が多くを占める、何かしら不吉な予感を感じさせるポスターを眺めながらビールをもう一口啜った。
映画鑑賞、とヤスダは思った。椅子に座って、ボケーっとスクリーン眺めて時間を潰すだけ。そのくせ、自称映画ファンの奴らはご高尚を気取って適当に御託を並べやがる。頭が良くなったつもりにでもなるんだろうか。ゴミ共め、とヤスダは軽蔑した。何かしらやりきれない思いが人間を映画のスクリーンに向かわせるのだ。ヤスダに言わせれば、スクリーンに向かう暇があるのなら一円でも稼げ、という所だった。そして夜は商売女でいいから抱け。生活とは、営みとはつまりそういうものだ。
アルコールがヤスダの体を心地良くほぐし始めていた。だが待てよ、とヤスダは思った。映画鑑賞も、悪くないかも知れないぞ。ちょうど時間的にもこれから始まるし、観客も自分一人だ。映画が終わるのは朝十時頃で、そうしたら行きつけの安くて美味い定食を出す店も開くだろう。それまで映画館で眠るのも悪く無い。本番の夜に備えて一人でゆっくりしたい。誰にも邪魔されず少し眠りたい。それには映画館はまずうってつけの場所に思えた。
ヤスダは券を買い求め、便所で小便を済ませてからもう一本缶ビールを買い、スクリーンに対してやや前方に席を取った。ちょうど始まる時間だったので、腰を下ろすと少ししてブザーが鳴り、ホールの照明が余韻を残しながらゆっくりと落ちた。そして無遠慮なホワイトノイズと共に、大きな音でこれから封切られる新作映画の宣伝が始まった。
ヤスダは顔をしかめた。思ったよりも音が大きい。だが具合のいい事にヤスダ以外に客は一人もいなかった…ヤスダは気付かなかった。一人の女性が爆音に紛れて静かに忍び込んできたことに。その女は気配を消してヤスダの真後ろに座った。ヤスダは席に着くとすぐに目を瞑って腕を組み、浅い眠りに潜り込んでいた。
ヤスダは予告編が終わる頃には本格的な眠りに落ちていたが、本編が始まり、ドン・ジョヴァンニが一際巨大な音で流れ、文字通り叩き起こされた。アントニオ・サリエリが頸動脈を搔き切る冒頭、交響曲二十五番が流れるオープニングで完全に目が覚めた。何だこれは。映画は、音楽はこんなにも人を苛立たせ……そしてこんなにも、もっと先を先をと期待させる吸引力を呼び起こすことが出来るのか。
それからヤスダはスクリーンに文字通り釘付けになった。
ヤスダには音楽の素養が全くなかったが、サリエリと名付けられた老人がその音楽の楽しみ方を魔法のように教えてくれた。一つ一つの旋律や、隅々まで手を入れた奥行きのある音がヤスダを今まで見たことの無い風景に誘った。それは自分が持つ感情を彩り、揺さぶり、隅っこに見捨てられていた記憶を呼び起こし、増幅させていった。
ヤスダは老人がモーツァルトに相当な嫌悪感を抱くのに深く共感できた。自分が仕えている上司の前で、自分が捧げた曲を馬鹿にされ、簡単にそれを超える曲に仕立て上げられたサリエリに深く同情した。それはやってはいけない事だ、とヤスダは思った。人の良心を踏みにじるモーツァルトをヤスダは憎んだ。サリエリが心を寄せる女性も横取りされてしまい、さらにヤスダは怒った。ヤスダにとって、サリエリは音楽の良さを教えてくれた師匠のように感じられた。俺の師匠に恥かかせやがってモーツァルトこの野郎。ぶっ飛ばすぞ。
大体サリエリ大先生も馬鹿だ。女てのは、とりあえず手篭めにしちまえば良いんだよ。お互いあられもなく気をやれば、頼んでも無いのに向こうから勝手に情けをかけてきやがるんだ。ウジウジしやがって、何が神に貞操を捧げるだ馬鹿野郎。貞操を捧げられた神の身はお前の代わりに処理すんのか。キリストはマスかきも十字に手を動かすのか。性欲を否定した人間が一体何をやれるってんだ。良い人間にだけ必ず才能が満ち溢れるのなら、俺以外だいたい天才だ。馬鹿野郎。
その後ろの席で、ヤスダの妻は刃渡り30cmの包丁を抜き出した。それは余りに長過ぎるので、柄の部分がバッグの脇から飛び出していたが、茶色いバスタオルでぐるぐる巻きにしていたので、肩掛けのバッグに入れて持ち歩いてもそれほど目立たなかった。幸運な事に、小綺麗な花柄のワンピースとハナエモリのコートで着飾った女性に対して「失礼ですがレディ、もしやそれは旦那を刺し殺す為の包丁ではありませんか?」と聞いてくる者もいなかった。
ヤスダの妻は日々その包丁を研ぎ上げ、極限まで薄くしていた。恐らくヤスダを殺した後、自分はすぐに逮捕されるだろう。全然それで構わない。誰かがこの薄汚い豚野郎を殺さなければならないのだ。そしてそれは自分に残された最後の仕事である筈だ。それにしても映画館に入ってくれて好都合だった。夫が夜中パチンコ屋で筐体の納入の仕事をしている半日もの間、暗く寒い外で見張っていたのだ。恐らく今、自分はひどい顔をしているだろう。でもそれが何だって言うんだ。
映画はフィガロの結婚の場面で、夫が従者対して妻に対する素直な愛を告白するシーンだった。その従者が、実は妻が変装しているとも知らずに。ヤスダは不思議な感傷に浸っていた。それは心許せる音楽がそうさせたのかもしれない。ヤスダは映画館にいながら、魂はそこには存在していなかった。目が眩むような美しい音と、その身が
その世界では善人は喰いものにすべき羊ではなく、ヤスダの仲間である悪しき者たちは、いずれ裏切り、出し抜く対象ではなくなっていた。自分の快楽を追い求め、他人や希望を損なう悪しき者達は地獄の業火で焼き尽くされた。そこは因果が巡り、良い人間も悪い人間も等しくただ生きて死んでいく世界だった。
まるで地中深くに身を小さくして潜んでいた棺桶が地上に引き摺りだされ、四方の囲いを解体されたような清々しい気分だった。
ああ、俺は酷い男だな、とヤスダは自らを省みた。ヤスダの人生の中で、今までそんな気分になったことは、ただの一度もなかった。自分の軸がブレる感覚を生まれて初めて味わった。
酒を正体が無くなるくらいに飲んで、妻を殴って、蹴って、本当に駄目な奴だ。何が俺をこんな風にしてしまったのだろう? 幼い頃、父と母に見捨てられたのが原因だろうか。男は金を稼いでなんぼだ。稼がない男は去勢された豚と一緒だ、そんな風に刷り込まれた自分は、いつの間にか金を充分稼げば何をやっても良いという風にすり替えてはいなかったか。自分の欲望に素直になる代償として、金を追い求めたのではなかったか。
今日は帰って、妻に映画を観た話をしよう。きっと驚くだろう。当然だ。俺が映画を観るなんて、きっと百年に一回くらいなもんだ。しかもその感想を話すなんて、オカマみたいな真似をするのだ。妻は怯えた顔をするかも知れない。オドオドするかも知れない。でもそれで怒ってはいけない。妻は俺を馬鹿にしている訳ではないのだから。酒は出来るだけ控えて、もし興味を持ったら、一緒にもう一度これを観てやってもいい。中々オーケストラも良いものだ。
サリエリ先生よ、俺は生まれ変わる。ヤスダは固く誓った。俺は何と戦っていたのだろう。これから(貞操を神に捧げるには遅すぎるが)自分の内にある悪を認め、償うように生きていこう。才能がある人達の苦しみに比べたら、自分の苦悩なんてまるで糞だ。才能がない幸せを噛みしめる世界一の天才になってやる。でもそれが自分に出来るだろうか? 妻やあいつは、あんな酷い事をやった俺のことを許してくれるだろうか。
気のせいか、妻がいつもつけている香水の匂いがする。
ディオール? わからない。
完璧な透明に近い、ほのかな緑色の匂いだ。
ヤスダの妻は注意深く、夫が座る目の前の座席の左下の隙間から右上に向けて包丁を差し入れて行った。都合の良いことに、映画館は暖房が効き過ぎているせいで夫は上着を脱ぎ、シャツ一枚で夢中になって映画を鑑賞してるようだった。薄く研ぎ澄まされた包丁は温めたナイフが未だ冷たいバターに吸い込まれるように、ゆっくりと差し込まれていった。ちょうどそこには肝臓がある筈だった。
地獄に落ちろ、とヤスダの妻は強く願った。ナイフの柄を伝って、生暖かい血が自分の手を濡らすのがわかった。そしてほぼ根元まで刺し終わると、来た時と同じように気配を消してそっとその場から立ち去った。
しばらくして、ヤスダは体調が優れない事に気が付いた。焦点が字幕に上手く合わず、視界がボヤけてしまう。そして何となく吐き気がする。……ヤスダは実際に口から血が溢れていたが、あまりに映画に夢中で無意識に血を手の甲で拭いながらスクリーンに向かっていたのだ。
今日はやはり疲れ過ぎていたみたいだ、とヤスダは思った。ビールの酔いがかつてない程回っている。少しだけ目を閉じて休もう。映画の続きが気になったが(ドン・ジョヴァンニのコマンダーが復讐しにくる場面だった)、後日妻とまた観にくればいいだろう。何となく喉が乾いた。震える指先で缶ビールを取ろうとしたが、血のヌメリで取り落とした。そこで初めてヤスダは自分が夥しく吐血している事に気が付いた。そしてそのまま頭の重さに任せるまま俯き、前の座席に頭をつけるようにして倒れ込んだ。その拍子に刃物が背中から引き抜かれ、血潮が勢いよく宙に吹き出した。一度立ち上った血しぶきは物憂げな六月の雨のように、ヤスダの上から優しく降り注いだ。まるで共同墓地に捨てられた遺体に掛けられる石灰のように、ヤスダの色を紅に彩った。
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