二匹のペンギン
あの頭がおかしいオヤジが予言した通り、僕の夢は叶わなかった。相当ロクでもない大人になった。本当の事を言うと、夢すら持てなかった。周囲から見れば、中学・高校・大学・就職・結婚。順調な人生に映ったかも知れない。だがその実、何にも夢中になれなかった。何人かの親しい友人や、恋人も出来た。彼等との交流は一時僕を暖めてくれさえしたが、心にポッカリと空いた銃口のような深い黒い穴がしっかりと僕を捉えて離さなかった。
「だが」と穴が言う。「それは果たして、お前の人生なのか?」
テレビカメラを前にしてはしゃぐサイトウ。求められる通りに振る舞うサイトウ。大人に好かれるサイトウ。わかってるよ、お前は上手い。そしてどうしようもないクソ野郎だ。そうした訳で、僕はサイトウを殺しにいく事にした。極めてシンプルさを心掛けて文章にすると、次のようになる。
ある日、僕はサイトウを殺しに行くことにしました まる
朝、日暮里駅で電車を一本逃した時にそれを思い付いた。そうだ、サイトウを殺しに行こう。これは呪いなのだ。呪いを解かなくては、一生後悔したまま生涯を送ることになる。サイトウの視線を内から感じながらこの後の人生を送る訳にはいかない。今、生きている僕の人生は、僕だけのものなのだ。呪いを甘んじて受け、何事もなかったかのように生活を続ければ、それは僕だけの人生ではなくなってしまう。大切な部分を誰かに侵された、ただ心臓を鼓動させる為だけの人生に成り果ててしまう。断じてそれを看過する訳にはいかない。
その場で携帯電話で妻に別れを告げ(冗談だと思ったようだった)、続けた電話で会社に辞職すると申し入れた。そして重たい鞄をホームのゴミ箱に突っ込むと、改札を逆戻りに乗り越えて外に出た(偶然、駅員は気付かなかったようだった)。最寄りの銀行のATMに立ち寄り、貯金を十万円程下ろしてタクシーを拾った。運転手に行き場所を告げ、僕はネクタイを外し、財布を開けて残金を計算した。タクシーは明るい日差しを浴びて快調に飛ばし、僕は流れる景色の中に先端からもくもくと煙を吐く煙突を見た。
頭がおかしいオヤジの家に来たのは十年ぶりだった。家は相変わらずそのうらぶれた姿を晒していた。周囲の風景は大きく変わっていたが、この家は何も変わっていなかった。細かく見れば老朽化が進んでいる筈だ。だが、そこまで細かく見る人間はこの地球上に存在しない。
タクシーが去った後、静寂が周りを覆った。タクシーのガスの匂いと空き地の草の匂いが混じり、眩しい太陽の光に目を細めた。僕は家の玄関をこじ開けると(引き戸だったので簡単だった)、すぐ右の下駄箱を漁った。
後日調べてみると、1985年の空き地で頭がおかしいオヤジがサイトウを撃った銃はコルトガバメントだった。だがここで僕に向けられた銃は回転式拳銃(リボルバー)だった筈だ。器用にシリンダーを回転させた頭がおかしいオヤジを思い出した。だとしたら、それは未だここにあるに違いない。確信に近いものを持って下駄箱を漁っていると、果たして緑色の紙の箱が出て来た。靴箱の奥の奥、四角く切り取られた背面を外して、家の壁をくり抜いた先にそれはあった。埃を払い、慎重に開けると、黒光りするリボルバー式拳銃が出て来た。
ついにねんがんの りぼるばーを てにいれたぞ
緊張を紛らわす為に呟いてみたが、誰も笑わなかった。当たり前だ、僕以外誰もいないのだ。手に持つと、キチンと「チャッ」という音がした。冷たく、重い。そしてハっと思い立った。弾丸がないかも知れない。苦労してシリンダーをスイングアウトさせると、中に弾は入っていなかった。冷や汗を噴出させながら、落ち着いて緑色の箱を調べてみると二重底になっており、綺麗にブロンズ色を反射させる弾丸が六本納められていた。それを一本ずつ丁寧にシリンダーに納めて、本体に装填すると金属の良い音がした。僕はまるで無敵になったかのような錯覚に捕らわれた。試しにこめかみに銃口を当て、目を瞑って引鉄にそっと指を置いてみた。僕は求めればすぐそこに死がある事を確認した。それからスーツを捲り、安全装置をしてから銃をベルトに挟んだ。バッグは駅のゴミ箱に捨ててしまったのだ。意外と銃はかさばった。だが右腰の後ろに挟んだ銃の確かな存在感は心強かった。
サイトウを殺しに行くにはその所在を調べなくてはならない。
それについて、僕には心当たりがあった。
再びタクシーを拾い、最寄りの駅まで行くと、電車で都内まで出た。そして新宿線に乗り換えて瑞江駅に着くと、改札を出て煙突に向かって歩いた。目印が巨大なので、そこまで辿り着くのに時間は掛からなかった。
腹が減ったので、途中のロイヤルホストでハンバーグとサラダを食べた。
いらっしゃいませ、と足が綺麗な女性店員に声を掛けられ、案内された席に座った時に腰に違和感を覚え、ベルトで抑えている拳銃を思い出した。スーツの上着を脱ぎ、拳銃を巻いて隣の席に置いた。絶対に見つかる訳にはいかない。こんな所でハンバーグ等というしょうもないものを人生最後の食事にする訳にはいかない。
僕は一通り食べ終わると、スーツを再び着込んで注意深く銃をまたベルトに挟み、立ったまま水を飲んでからレジで会計を支払った。銃を持ち歩くと、ファミリーレストランの風景が普段と違って見えた。
店を出て炎天下の中を歩き、ようやく巨大な煙突の下に辿り着いた。三階建てのプレハブ小屋が根元にあり、そこから巨大な煙突が中央から突出していた。恐ろしくグロテスクで悪趣味な建造物だった。僕は中央にある玄関から重たいガラス製の扉を押して中に入って行った。中に人間がいないのは分かっていた。僕はここに、導かれて来たのだ。何かしらの力によって。
奥に進むと、煌々と赤く燃える焼却炉があった。そしてその前に、小さな丸い生物が二匹、スコップでその焼却炉に得体の知らない粉状のものをせっせと放り込んでいた。SLの機関車部分のように、足のペダルを踏むと左右に半円状のプレートが分かれ、真っ赤な焼却炉が露わになった。そして離すとプレートが元に戻り、暗く閉じられる。
僕は腰の銃を抜くと安全装置を外し、片手で銃を持って慎重に近付いて様子を伺った。それは二匹のペンギンだった。僕の膝下くらいの大きさのペンギンと、そのまた半分程の大きさのペンギン。無口に目を細めながら、二匹の真ん中にうず高く積まれた得体の知れない白い砂のようなものを焼却炉に放り込んでいた。
「すいません」
僕は後ろから声を掛けた。ペンギンはこちらを同時に振り返ると、目を大きく見開いて驚いた顔をした。
「お客さんは珍しいね」「珍しいね」
大きなペンギンの声は低く、小さいペンギンの高かった。目を再び線のように細め、首に掛けたタオルで汗を拭うと、二匹はスコップを置いてこちらに向かってきた。「まんまる、麦茶」大きい方のペンギンが言うと、小さい方は「あい」と答えて小さな冷蔵庫に向かって行った。
「まあ、座んなさいよ」
僕は促されるまま、会議室に置いてあるような質素な形をしたテーブルについた。椅子はパイプ椅子だった。大きいペンギンは苦労して僕の向かいにあるパイプ椅子に上がってきた。一瞬手を貸してやろうかとも思ったが、やめておいた。
「すいません」
今度は足元で甲高い声がした。下を見ると、小さなペンギンがお盆に麦茶とコップを二つ乗せて持ってきてくれていた。お盆も麦茶も何もかもが小さい。
銃をテーブルに置いて、座ったままお盆を受け取り、テーブルの上に置いた途端にお盆ごと全てが通常の大きさに戻った。魔法みたいだ。
「ここで何をやってるの?」
と僕は聞いた。
「粉を
大きい方のペンギンが舌足らずな低い声で言った。
「この地区を担当している、ノンノンと言います。小さい方はまんまる」
「初めまして」まんまるが高い声で挨拶した。
僕らが着いてるテーブルの下に一際小さいテーブルがあり、そこで床に直に座って麦茶を飲んでいた。
「この人足くさい」
「黙りなさい」
ノンノンがたしなめた。
「人生、真面目に生きるのは短すぎるし、適当に生きるには長すぎる。深い事を考えて良い事なんかなんにもあらせん。生きてる意味? 幸せ? なんなん。楽しく生きれればそれで良いでしょ。辛い事は自然とやってくる。未来に必ずやってくる辛い事を考えて不幸せになるんは、まさに人間共の悪い癖、愚の骨頂たるや、ノンノンは日々業務に邁進する次第であります」
「えらい」
まんまるの声が足元から聞こえた。まさか本当に空気の中に変なものを混ぜ込んでいたとは思わなかった。しかも喋るペンギンがたった二匹で。
「足マジでくさい」
「黙りなさい」
僕は安全装置を掛けてから銃をテーブルの上にそっと置いた。
「分かってる分かってる、そんな怖い顔しないで」
ノンノンは麦茶を飲み干すと、もう一杯自分で注いだ。懐かしい、細い花柄の瓶の麦茶だ。注ぎ口はスライドさせる。長い間麦茶を注ぐ音がした。注ぎ口が小さすぎる。
「ノンノンね、君に夢しか見せられない。それが本当かどうかは、ノンノンわからない。多分信じるか信じないかの違いでしかないから。それでよかったら力になれる。それでいいよね?」
ノンノンはまっすぐに僕を見てそう言った。僕はペンギンが何を言っているのか(夢ってどっちの夢なんだ)幾分不明瞭ではあったが、悪意は感じられなかったので大きく頷いた。
「最後に電話番号教えてあげるよ」
まんまるちゃんが下から言った。
「正真正銘、混じりっけなしの電話番号だよ」
「黙りなさい。おじさん混乱するでしょ。まんまる、お布団の準備」
「あい」
まんまるはテーブルの下から出ると、斜め掛けにしたアンパンマンのポシェットから小さいベッドと布団を取り出して、我々がついているテーブルの隣に置いた。僕とノンノンが注目する中、まんまるは全く動じることなく、うやうやしくマットレスにシーツを敷き、毛布と羽毛布団(すごく精巧に出来ていて、高そうだ)をその上に乗せた。
「はい」
僕はさっきと同じ要領である事が分かっていたので、椅子から立ってその小さなベッドに近寄ると、左手をそのベッドの上に置いた。一瞬で大きくなり、フカフカなベッドが現れた。
「お値段以上、ニトリ」
ノンノンがテレビのCMを口ずさんだ。
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