嵐の訪問者
青山 忠義
嵐の訪問者
尾崎琴が学校から帰ると、いつもは夜中近くにしか帰ってこない父の正志が帰ってきていて、母の和子と一緒にスーツケースに荷物を詰めていた。
「どうしたの? 旅行でも行くの?」
琴は忙しそうに動いている和子に声をかけた。
「あら、お帰り。そうじゃないわ。ほら、北海道のおばさん覚えてる?」
「うん。覚えてるよ」
正志の母の亡くなった兄の嫁で、北海道に住んでいて、中学生の時に二、三度会ったことがある。
「あのおばさんが亡くなったから、ママたちはお葬式に行ってくるわ」
そういえば、和子も正志も喪服を着ている。
「私も行く」
明日は土曜日で、学校は休み。日曜日の夜に帰って来れば、学校も休まなくて行ける。
「ダメよ。琴は塾があるでしょう。もう半年もすれば入試よ。勉強しないと西北大学なんて無理よ。今、C判定でしょう」
それを言われると、琴は言い返すことができない。正志と和子の母校である西北大学が第一志望だが、和子の言うとおり今のままでは合格は覚束ない。
「ママとパパだけでウニとかカニとか食べてくるんでしょう?」
琴は抗議の声を上げる。
「バカね。お葬式に行くのよ。旅行に行くわけじゃないのよ」
和子が呆れたような顔をする。
「そうだぞ。パパやママが可愛い琴をほっといてそんなことをするわけないだろう」
正志も腕組みをし、首を横に振る。
「じゃー、その荷物はなによ」
琴は和子が詰めているスーツケースを指差す。どう見ても1泊で帰ってくるような荷物には見えない。和子と正志が顔を見合わせた。
「……いいじゃない。たまには。お葬式終わった後に札幌でホテルに一泊するだけよ。琴も高校生なんだから留守番ぐらいできるでしょう」
和子は全く悪びれた様子もなく平然と言う。
「ええっ。台風が近づいているって言ってたわよ。可愛い娘を一人っきりにして心配じゃないの」
天気予報では、台風が近づいていて、夜中からは嵐になると言っていた。そんな時に自分をほっといて二人だけで行くなんて琴には信じられない。琴は二人を睨んだ。正志は少しばつの悪そうな顔をしている。
「ひょっとして1人じゃ怖いの?」
和子がからかうような薄笑いを浮かべた。
「別に怖くなんかないわよ」
琴は言い返した。一人で留守番しても怖いことはない。ちょっぴり寂しいかなとは思うけど……。
「いいの。無理しなくて。ちゃんと琴のことも考えてるわ」
琴は和子のニヤニヤ顔を見て何か良からぬことを企んでいるのではないかと不安になる。
「ほら、もう塾に行かないと間に合わないんじゃないの? ママたちももう少ししたら出て行くから、早く行って来なさい」
時計を見ると、5時になっている。もう家を出ないと塾に間に合わない。
「もう。絶対お土産買って来てよ」
琴は口を尖らせた。
「はいはい。早く行きなさい。遅刻するわよ」
和子は軽い返事をして琴をせかせる。 琴は慌てて、塾の用意をして家を出た。
ピンポーン、ピンポーン。
(もう何よ)
鳴り響く玄関のチャイムの音に起こされた琴はベッドの中で文句を言った。
ピンポーン、ピンポーン。
(もう眠いのに。どうしてパパもママもでないの……。そうか。いなかったんだ)
琴はベッドのそばにあるサイドテーブルに手を伸ばしてスマホを取ると、電源を入れて時間を見た。
(まだ1時じゃない。まったく、誰よ)
ピンポーン、ピンポーン。
「ああ、もう、うるさいな。はい。はい」
いっこうに鳴り止まないチャイムに文句を言いながら、階下へ降りていき、インターホンのあるリビングに入っていった。
インターホンのモニターの光の中にボーッと人影が浮かび上がっている。
「キャーッ」
琴が悲鳴をあげると、人影が飛び上がった。
「び、びっくりするだろう」
木村隼人が細い目を精一杯大きく開けて、青い顔をして立っている。
(そうだ。こいつがいたんだ。忘れてた)
隼人は和子の祖母の従姉の孫という遠い親戚で、琴の家と隼人の家は歩いて5分と近い。家も近く同じ歳ということもあって小さい頃はよく遊んだ幼馴染でもあるが、中学生になるとなんとなく遊ばなくなった。
今はクラスは違うが、同じ高校で顔を合わせることもある。だが、学校では挨拶を交わす程度で、ほとんど話をすることがなかった。
昨日の夕方、琴が塾から家に帰るとドアの鍵が開いていたので、てっきり両親がまだいるんだと思って、「ママまだいるの?」と、声をかけると、リビングから隼人が顔を出した。びっくりしてどうして家にいるのかと聞いたところ和子から電話があり、琴が一人で留守番は嫌だと言っているから一緒に留守番をして欲しいと言われたと言う。
琴は頭にきて、和子に電話をかけた。隼人と二人にして心配にならないのか。襲われたらどうすると猛然と抗議すると、笑い声が聞こえた。
「あははは。琴が寂しいて言うから頼んであげたんじゃない。それに小さいときは一緒の部屋に寝てたでしょ」
たしかに小学生の頃はお互いのうちに泊まりに行ったりして、一緒の部屋に寝てはいたが……。
「そんなこと言ってない。それに一緒に寝てたのは子供の頃の話でしょう。隼人も高校生なんだから、私の魅力に参ってついっていうこともあるでしょう」
琴は腰まである自慢の艶のある黒髪を無意識に指で梳く。
「ない。ない。でも、それならそれでいいんじゃない? 隼人君が息子になってくれるなら大歓迎だわ。隼人君のご両親も琴なら嫁に来て欲しいって言ってくれてるし……ねえ、パパ。なんなら襲ってもらいなさい。もう飛行機に乗らないといけないから切るわね」
和子は物騒なことを言って一方的に電話を切った。
「ちょっと……それでも親か!!」
親とは思えない言い方に腹が立った。琴は腹立ち紛れに台所で夕食を作ってくれている隼人の背中を睨みつける。家事能力のほとんどない琴と違って隼人は両親が共働きだったので料理が作れる。
隼人はカレーの美味しそうな匂いをした鍋に何かを入れたり、火加減を調節したりしている。カレーは琴の大好物だ。
隼人が琴の視線を感じたのか、突然後ろを振り返りギョッとした顔をする。
「なんでそんな怖い顔しているの?」
隼人が恐る恐るという感じで、琴に聞いてくる。
「変なことしたら殺すからね」
琴は本当に殺しかねない目で隼人を睨んだ。
「そんなことはしないよ。絶対しない。頼まれてもしない」
隼人が首を横にブンブン振る。
「誰が頼むか!! それより頼まれてもしないってどういうことよ。私に魅力がないっていうこと?」
目が大きく、鼻筋が通っていて、口も小さめで一流アイドルには負けるが、そこそこ可愛いと自分では思っている。1年生の時には上級生から告白されたこともあった。胸だってDカップだし、顔だけでなく、スタイルもそこそこ自信がある。それなのにあんなに強く否定されると、まるで自分に魅力がないと言われているようで気分が悪い。別に襲われたいわけではないが……。
「いや、べつにそういうわけじゃ……」
琴の剣幕に隼人がしどろもどろになっていた。
ピンポーン、ピンポーン。
鳴り響くチャイムを前に隼人はボーッと立ったままインターホンに応答しようとしない。
「何しているのよ。出なさいよ」
琴はボーと立っている隼人にイライラしてしまう。
「いやあ、だって琴ちゃんの家のインターホンに僕が出たらおかしいだろう? 」
隼人が困ったような顔をした。
「もう、だったらのきなさいよ」
全く役に立たないんだからと、口の中でブツブツ文句を言いながら、隼人を突き飛ばすようにして琴はインターホンに出た。
「はい」
琴が返事すると、眼鏡をかけた丸顔の30ぐらいの男が映った。顔に見覚えがない。男はずぶ濡れだ。髪が額に張り付き、目を細めた顔はかなり怪しく見える。
「尾崎さんのお宅ですよね?」
「そうですけど……どちら様ですか?」
琴は緊張する。隼人は男だ。もし、琴が危ない目に合えば、きっと助けてくるはずだ。期待を込めて隼人に目を向けると、小刻みに震えている。
(はあ〜)
琴はため息をつく。
「その声はひょっとして、琴ちゃん? 覚えてないかなあ。5年ぐらい経ってるからな。田中晃、覚えてない?」
男が懐かしそうな声を出す。
「田中晃……さん、田中、田中」
どこかで聞いたことがあるような気がする。5年前といえば中学生だった頃だ。琴は眉間に皺を寄せ記憶をたどる。
「知らない人? け、警察に電話しようか?」
隼人が声を震わせ、スマホを取りに行こうとする。
「ちょっと待って。なんか思い出しそうなの……うーん、晃、田中晃……あっ、思い出した」
亡くなったおばさんの家に遊びに行った時に、おばさんの5人姉妹の一番下の妹の子どもという人が来ていたが、その人の名前が確か晃と言ったはずだ。
「ひょっとして、北海道のおばさんの……」
「そうそう、妹の子どもの晃。覚えていてくれてうれしいよ」
「すぐ開けます」
琴は慌てて玄関に向かう。
「大丈夫? 知っている人?」
心配そうに隼人がついてくる。
「親戚よ」
隼人は和子の方の親戚なので晃のことは知らないはずだ。 琴が玄関を開けると、滝のような雨で、風がゴウゴウと音を立てて吹いている。
「ねえ、この雨の中を女の子に行かせる気?」
後ろに立っている隼人を琴は睨んだ。
「ああ、もちろん僕が行くよ」
隼人は慌てて傘もささずに門まで走って行く。隼人は小さい時から琴の我儘を文句も言わずに聞いてくれる。琴はいつしかそれが当たり前のように思っていた。
雨の中を走って行く隼人の後姿を見送ってから、琴は浴室にバスタオルを取りに行った。玄関に戻ると、ちょうど隼人たちも玄関に入って来て、ほんの2、3分ぐらいしか外に出ていないのにずぶ濡れになっている。隼人の後ろからついてきていた大きな旅行カバンを持った晃も雨水を身体中から滴り落している。
「いやあ、凄いね」
晃は丸い顔をクシャクシャにして笑う。琴は隼人と晃にバスタオルを渡した。
「どうぞ」
「ごめんね。今、仕事でアメリカにいるんだけど、おばさんが亡くなったて聞いたから、慌てて帰ってきたんだ。成田に着いたのはいいけど、台風で飛行機は飛ばないし、ホテルも満員で泊まるところもなくって。困ったなあと思ってたら、正志おじさんのこと思い出して、泊めてもらえるかなと思って、タクシーに乗ってきたんだ」
ずぶ濡れになった髪や体をを拭きながら、人の良さそうな笑顔を見せる。
「そうですか。父も母ももう北海道に行ってて。私しかいないんです」
「そうだよね。僕も急いで帰って来たんだけど……」
晃の体からは拭いきれないほどの水が滴り落ちている。 琴はバスタオルぐらいではとてもダメだと思い、シャワーを浴びてもらおうと思った。
「まずは、シャワー浴びてください。隼人は後でいいでしょう?」
「うん」
隼人が頷く。琴は晃をバスルームに案内した。
「どうするの?」
琴が玄関に戻ると、隼人がずぶ濡れのまま思案顔で立っている。
「どうするって……泊まってもらうしかないでしょう。隼人、晃さんと同じ部屋でいい?」
琴の家は1階にはダイニングリビングやトイレ、浴室などの他には正志と和子の夫婦の部屋しかない。2階は琴と客間用の部屋があるだけなので、晃に使ってもらえるのは、隼人が使っている客間しかなかった。
客である晃に客間に寝てもらうことは当然として、両親の部屋に隼人を寝かすわけにはいかないし、まさか琴の部屋に恋人でもない隼人を寝かせられるはずがない。必然的に隼人と晃という組み合わせになる。
「別に僕はいいけど……」
「そう。だったら、晃さんにも言ってみるわ」
琴がそう言うと、隼人が一瞬残念そうな顔したように見えた。
(まさか隼人、私と同じ部屋で寝ようと思っていたなんてことはないでしょうね)
琴は隼人の顔を見たが、普段と変わりない表情をしている。
(もうママが変なこと言うから、意識するじゃない)
琴は和子のことを恨みがましく思った。
晃がシャワーを浴びて、浴室から出て来ると、隼人がシャワーを浴びに行った。琴は晃にリビングに移動してもらった。
「お腹減ってません? 隼人が作ったカレーがありますけど、食べます? 美味しいですよ」
琴は隼人の作ったカレーを勧めた。
「いや、いいよ。もう寝る場所さえあればいいんだ。悪いね」
晃が頭を下げる。夜中に来るっていうのはどうかとは思うが、困った時は琴も親戚が近くにいれば頼ったと思う。
「いいえ、気にしないでください。でも、部屋がなくって。隼人と一緒でもいいですか?」
琴が聞くと、少し晃が戸惑ったような顔をした。
「それはいいんだけど、隼人君って、彼氏?」
晃はどうやら琴が親がいない間に彼氏を家に連れ込んだとでも思っているようだ。
「まさか。隼人は親戚で、私1人だと心配だからと言って、母が頼んで来てもらったんです」
琴は否定した。隼人のことは好きだが、それはあくまでも親戚としてであって、彼氏とかそういう目で隼人を見たことはない。
「ああ、そうなの。それならいいんだけど……」
晃が歯切れの悪い返事をする。そんな話をしているところに頭を拭きながら、隼人がリビングに入って来た。
「隼人、お布団のある場所わかるわよね」
「うん。知ってる」
隼人は何度も泊まりに来ているので、家の中のことはよく知っているはずである。
「悪いけど、隼人の布団の横に晃さんの布団を敷いてくれる?」
「OK」
隼人が客間に布団を敷きに行った。
「明日は台風が過ぎていると思うから、朝早く出るよ。多分、朝一番の飛行機なら、お葬式に間に合うだろうから」
晃が本当に申し訳なさそうに言う。
「そうですね。父か母に電話しておきましょうか? 晃さんが遅れて行くかもしれないって」
電話しておけばひょっとしたら誰かが空港まで晃を迎えに行ってくれるのではないかと思った。
「いや。いいよ。もう夜中だし。それに明日の準備で忙しいだろうから」
たしかに晃の言うとおり今は午前1時すぎだ。もう寝てるかもしれない。
「わかりました。明日の朝にでも電話しておきます」
「うん。ありがとう」
琴は晃がお礼を言ってくれたが、なぜか少し困ったような顔をしたような気がした。
「あっ、そうそう。早川沙織っていう人知ってるかな? 僕の父方の従姉妹なんだけど。確か琴ちゃんのお父さんは知っていると思うんだけど……」
晃が突然思い出したように言った。
「その人なら結婚したっていうハガキが来てました」
琴自身はよく知らないが、早川沙織という人から来たハガキを見て、正志が「結婚したのか」と感慨深げに言っていたのでよく覚えていた。
「そう。彼女とは親戚というよりも小さい頃によく遊んでいた幼馴染っていう感じなんだけどね。そう。それは良かった」
晃はホッとしたような寂しいような表情をした。
「布団敷いたけど」
そんな話をしていると、隼人が戻ってきた。
「ありがとう。もう寝てください」
琴が言うと、晃は申し訳なさそうな顔をする。
「うん。明日は勝手に出かけるから寝ててね。本当にありがとう。おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみ。琴」
隼人が晃と一緒にリビングを出て行く。琴は大きく伸びをした。
(すっかり遅くなったわ。私も早く寝よう)
自分の部屋に戻るとベッドに潜り込んだ。窓の外はまだゴウゴウと風が鳴り、雨が窓を叩いている。
(眩しい)
琴はベッドに差し込んでくる陽の光で目が覚めた。台風は通り過ぎたようで夜中とはうって変わって、太陽が高い位置で燦々と輝いている。ベッドから起き上がって、階下に降りた。リビングに入ると入り口に背を向けて、隼人が座っていた。
「晃さんは?」
隼人の背中に話しかけたが、返事が返ってこない。
考え事をしているのか隼人には琴の声が聞こえてないようだ。琴は隼人の後ろに立つと肩を叩いた。
「隼人」
「ぎゃあ」
隼人が悲鳴のような声をあげた。
「さっきから呼んでるのに返事しないんだから」
「ごめん。考え事してた」
隼人が首を竦める。
「晃さんは?」
晃の姿がどこにも見えない。
「それが朝起きたらもういなかったんだ」
「じゃあ、出発したのね」
「それが変なんだ」
隼人が首を捻る。
「何が?」
「玄関の鍵が締まってたんだ」
「鍵が締まってた?」
それの何が変なのか琴にはわからない。
「だって晃さんは鍵を持ってないんだよ」
「あっ、そうか」
鍵がないと玄関のドアの鍵を外から締めることはできない。鍵を持っていない晃が外に出ていったなら鍵が開いていないとおかしい。
「変だろう?」
「晃さんが出掛けたあと、隼人が寝ぼけて締めたんじゃないの?」
晃が出かけるというので、見送りに行って、寝ぼけた隼人が無意識に鍵をかけたと琴は思った。
「そんなことしてないよ」
「言い切れる? 絶対にそんなことしなかったって言い切れる?」
「それは……」
琴に強く言われて、隼人が言いよどむ。
「晃さんに確かめたらわかることよ。ママに電話して晃さんが着いたかどうか聞いてみるわ。今、何時?」
「12時回ったところ」
「えっ。ウソっ!! 友達と2時に映画を観に行く約束してるんだ。間に合わない」
琴は洗面所に飛び込んで歯を磨く。
「じゃあ、僕はもう帰るよ。台風も過ぎ去ったみたいだし、今日は一人でも大丈夫だよね」
隼人がドタバタしている琴に声をかけてくる。
「うん。ありがとう」
「ご飯は炊飯器にあるし、味噌汁も作って鍋に入っているから食べて行って」
「わーい。食べて行く」
隼人は本当に気がきく。
「じゃあ、帰るよ」
「バイバイ」
琴は歯を磨きながら手を振った。隼人は苦笑いを浮かべて帰っていった。
琴は作ってもらったご飯を食べると、慌てて家を出た。出て行く前に和子に電話したが、もうお葬式が始まっているのか出ない。
(後から、電話しよう)
その日は友達と映画を見て、両親がいないということで羽目を外してしまい、ショッピングをしたあと、友達と夕ご飯を食べ、喫茶店でお喋りをして、家に帰り着くと、午後10時を回っていた。
琴は遊び疲れて何もする気が起こらず、シャワーを浴びると寝てしまった。
翌日、目覚ましをセットし忘れて遅刻し、さらにせっかくした宿題を家に忘れて先生に怒られるという琴にとっては最悪の1日だった。
(もうママたちのせいよ)
琴は心の中で全て和子たちのせいにした。
放課後になって、スマホの電源を入れると、お土産を買ってきているので、隼人と一緒に帰ってくるようにと和子からメールが来ていた。だが、隼人と一緒に帰っているところをクラスメートに見られて、冷やかされるのも嫌なので、帰りに家に寄るよう隼人にメールをすることにした。
友達ちと喋りながら家に帰りつくと、隼人がもう家に来ていて、和子や正志と楽しそうに話をしている。
「ママ、お土産は?」
和子の顔を見るなり、琴はお土産の催促をした。
「なに?親の顔を見るなり、お土産の催促?」
「あら、可愛い娘を放っといて二人で楽しんで来たんだから当然でしょう」
琴は頬を膨らます。
「こんな可愛いげのない娘のお守りをさせてごめんね。ところで、二人はHしたの?」
和子が真顔で言った。
「えっ!!」
隼人が絶句する。
「してないの? せっかく二人っきりにしてあげたのに」
和子の言葉に隼人が唖然としている。琴は真っ赤になった。
「ママ、バカなこと言わないでよ。それより晃さんが来たわよ。お葬式間に合った?」
このまま和子に喋らせたら、何を言い出すかわからない。
「晃さんって誰のこと?」
和子がキョトンとした顔をする。
「亡くなったおばさんの甥がいたじゃない。田中晃さん。お葬式行ってなかった? 間に合わなかったのかな?」
「その人なら来るわけないじゃない。3年ぐらい前に亡くなったんだから。ねえ、パパ」
和子が正志の方を向く。
「ああ、アメリカで亡くなったと聞いたよ。葬儀も身内だけで済ませたって」
正志の言葉に琴は背筋に寒気が走った。
「だって……隼人も会ったわよね」
青い顔をして隼人が無言で頷いた。
「じゃあ、あれは……幽霊?」
琴は全身に鳥肌が立った。
「まさか……本当? どんな話をしたの?」
和子が君悪そうに部屋の周りを見回している。
「早川沙織さんがどうしているかと聞かれたから、結婚したというハガキがきてたことを話したら、なんか寂しそうな顔をしてたわ」
「それなら、晃くんに間違いないよ。晃くんと沙織さんは子供の頃から仲が良くてね。親戚の間では将来結婚するんじゃないかって言ってたんだよ。二人は付き合ってたんじゃないかな?」
正志がそうかそうかと呟きながら何度も頷く。
「で、でも、どうして家に化けてでるのよ?」
ほとんど付き合いがないのに自分のところになぜ幽霊となってきたのか琴は納得がいかない。
「多分、最後にあった親戚がパパだったからじゃないかな。晃くんが成田からアメリカに行くっていうから空港まで送ってあげたんだよ。その1ヶ月後に交通事故にあってね。パパは沙織さんと晃くんのことは昔から知っていたからね。突然、沙織さんのところに現れたらびっくりするから家にきたんじゃないかな。晃くんは優しかったから」
正志が悲しげな顔をする。
「晃さんと沙織さんとは付き合っていなかったと思います」
今まで黙っていた隼人が断言するように言った。
「どうしてそんなこと隼人にわかるのよ?」
琴は不思議に思った。
「寝る前に晃さんと話をしたんだ。子供の頃からずっと好きな人がいて、告白できずにアメリカに行ったのが、心残りだったけど、結婚したと聞いて、諦めがついたと言ってました」
「晃くんが死んだと聞いて、沙織さんが半狂乱になったって義姉さんから聞いたから、てっきり付き合っていたと思ってたよ。でも、やっぱり、沙織さんのことが心配だったんじゃないかな。そうだ。義姉さんの葬儀ですっかり忘れていたが、昨日は晃くんの命日だったんじゃなかったかな。沙織さんが結婚して幸せになっていると聞いて、晃くんも安心しただろう。成仏できたんじゃないかな」
琴はそういえば晃がホッとしたような顔をしていたことを思い出した。正志の言う通り晃は成仏できたんじゃないかなと思った。
「じゃあ、僕、帰ります」
和子からお土産をもらい、隼人が椅子から立ち上がる。
「晃君、無理言ってごめんね。お母さんにもよろしく言っといて。琴、ほら、お世話になったんだから隼人君を送って行って。なんなら隼人君の家に泊まってきてもいいわよ」
和子はどうしても琴と隼人をくっつけたいらしい。
「何馬鹿なことばっかり言ってるのよ。隼人、独りで帰れるでしょう」
琴は隼人の顔を見た。
「ぐずぐず言ってないで、行きなさい」
隼人が答える前に和子に怒られて、琴は渋々隼人と一緒に外に出た。
琴は隼人の横に並んで歩く。こうやって二人で歩くのは久しぶりだ。
「ここでいいよ。独りで帰れるし」
隼人が言うが、このまま帰ったら、和子にまた怒られそうだ。
「いいわよ。もう少し一緒に行くわ。でも、沙織さんいいな。幽霊になってでも思ってくれる人がいるなんて。幸せだよね」
死んでからもなお自分のことを思ってくれる人がいる。琴は沙織が羨ましく思った。
「晃さんと他にどんな話をしたの?」
隼人が晃と何の話をしたのか琴は気になった。
「好きだ」
隼人が呟いた。
「晃さんが隼人にそう言ったの?」
琴はビックリした。
「ち、違うよ。僕は琴ちゃんのことが好きだ。付き合って欲しい」
「えっ。何よ。急に」
突然の隼人の告白に琴はびっくりした。
「晃さんに言われたんだ。好きな人がいるんだったら、結果を畏れずに気持ちを伝えたほうがいいって。言わなければ必ず後悔するって。僕は子どもの頃から琴ちゃんのことが好きだった。だから、付き合ってほしい。返事は今すぐでなくていいんだ。卒業式の日でいいから僕のこと考えてみて。どんな答えでも恨んだりしないから」
隼人が真っ赤になりながらも真剣な表情をしていた。
「わかったわ。考えとく」
琴は一度も恋愛の対象として隼人のことを考えたことがない。
「ここでもういいよ。じゃー」
隼人は後ろを振り向かず、琴を置いて家の方に走っていく。
琴は隼人の後ろ姿を見ながら子どもの頃のことを思い出す。琴が泣いていると慰めてくれたり、一緒に泣いてくれたり、良いことがあれば一緒に喜んでくれる。今はあまり会わなくなったが、小さい頃は、隼人はいつも琴の近くにいてくれる存在だった。目が線のように細く鼻も低く、決してイケメンではないが、笑った顔には愛嬌がある。
晃さんは優しかったそうだが、隼人も優しい。晃さんと沙織さんも私と光男とのような関係だったのではないだろうか。
卒業式までにはまだ時間がある。ゆっくり時間をかけて考えよう。ただ、琴の中では答えが出ているような気がする。
(これから、どうなるかわからないけど、たぶん……)
嵐の訪問者 青山 忠義 @josef
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