巻き添え【なずみのホラー便 第12弾】
なずみ智子
巻き添え
今からお伝えする話は、20×8年10月31日の朝、平凡な女子高生アカリの身に実際に起こった出来事である。
※※※
高校1年生のアカリは通学に電車を利用していた。
その日の朝も、アカリはいつもと同じく電車に乗った。
だが車両に一歩足を踏み入れるなり、苦すぎる珈琲を無理やり飲まされたかのような不快感がアカリの胃のあたりに広がっていった。
なぜかといえば――
「あ、アカリィ! おっはよぉん♪♪」
同じ車両にアカリのクラスメイトであるミオナが乗っていたからであった。
「ねえねえ、アカリ!! 1時間目の英語の単語とか調べてきたあ?!! 私、調べようと思ったけど寝ちゃってさあ!! 学校着いたら見せてくれない?!!」
ミオナの”声量&マシンガントーク”に、周りの乗客の幾人もがこちらを見て眉を顰めた。
ミオナの声量は、ここが電車内でなくとも普通に会話をするには大きすぎるボリュームである。さらに、彼女の笑い声ともなればこの比ではない。彼女が笑い声をあげたとしたら、間違いなくこの車両の乗客全員がビックリして、振り返るであろうほどのけたたましさなのだ。
アカリがミオナを苦手としている第一の理由は、”声がでかい”――地声そのものが大きいのだろうが、何より周りの状況に応じた声量の加減が分からないことである。そして、第二の理由は、こうして周りの状況が分からない(そもそも見ようとしていない)ということは、ミオナの周りの者への気遣い等はもちろん皆無であり、ミオナの行動や立ち振る舞いもガサツで気配りに欠けてていることであった。
現に今も、ミオナは学校指定のカバン(肩ひもの長いボストンバッグのような形で本来なら片方の肩にかけて使用するカバン)の2本の肩ひもを両肩に回し、リュックのごとく背負っていた。本来リュックでないものをリュックのように使用しているため、ミオナはまるで長方形の立体を背負っているようであった。
しかも、その”長方形の立体”で周りの乗客たちをギュウギュウと押しまくっていることにもミオナ自身は全く気付いていない。
現在の乗車率は90%程度であるも、電車に乗ると必ずカバンを体の前で持ち周りの人たちの迷惑にならないようにしているアカリからすれば、ミオナの公共の場でのこの立ち振る舞いは本当にあり得なかった。
正直、ミオナと同類には見られたくない。
だが、同じ制服を着ているうえ、ミオナがアカリの名を呼び、親し気に話しかけていることからすれば、周りの乗客からすると友達=同類としか見れないであろう。
アカリの憂鬱な表情になど、ミオナはもちろん気づくことはなかった。
「朝、トースト食べてたらね! バターがスカートにボトッと落っこちちゃって! ホント、朝っぱらからマジヤバって思った!!!」という具合に、明確なオチもないであろう話を大音量で連発していたのだから。
そのオチのない自分発信にて、一体何が面白いのかミオナが”短い笑い声”を時折あげるたび、”自分たち”に周りからの冷たい視線がなお一層冷たく突き刺さってくることをアカリは感じずにはいられなかった。
アカリの生来の気の弱さなのか、ミオナに「ちょっと声のボリューム落としたら」とは言えない。彼女の話に苦笑いで相槌を打ち続け、一刻も早く最寄り駅に着くことを祈るのみであった。
最寄り駅の2駅前。
ドアが開く。
もちろんアカリは電車を降りる人のために道をあけ、電車に乗る人のために道をあけた。しかし、ミオナは邪魔な長方形を背負ったまま突っ立っていたため、いろんな人にぶつかられ、またぶつかっていた。
再び電車が動き出した時、アカリとミオナの近くには新たな乗客の姿があった。
30代ぐらいの女性。
髪型、服装、顔つきからして、会社勤めをしていることは間違いないと思われた。この女性の背丈は、アカリやミオナより頭一つ分は高く、女性にしてはかなりの長身の部類に入るであろう。
電車が動き始めると同時に、女性は右手のスマホに目を落とし始める。
電車が再び動き出すのを待っていたかのように、ミオナのトークも再開された。
”耐えろ、あと少しよ……!”とアカリは苦笑いでミオナのトークに答えていた。
しかし、周りの乗客たち――もちろん”新乗客の女性”もミオナの話し声と時折挟まれる笑い声に、眉を顰め、頬をピクピクと動かしていた。
表立って注意してくる乗客は誰一人としていない。
このご時世、電車内で”少しの時間耐えれば済む”のに、わざわざ余計なトラブルを起こしたくない&巻き込まれたくないのであろう。
あと1駅で最寄り駅へと着く。
そこで電車を降りれば、数多の冷たい目線が突き刺さってくるこの空間からも恥ずかしさからも脱出できる。
アカリはそう考えていたし、そのはずであった。
けれども――
「でねぇ! その時ねぇ!」
もはや騒音としか思えない声を出したミオナは、何やら自分の話に自分自身が興奮してきたのか、乗車率90%の車両内にて大きく身をよじった。大きく身をよじったということは、もちろん彼女が背負っているカバン――”長方形の立体という攻撃物”も加速をつけてミオナの動きに付き従った。
そう、最悪なことに、ミオナのカバンの底部分の”コーナー口金”の1つが、先ほど乗り込んできた長身の会社員風女性の右手の甲をザッとかすめたのだ。
「――痛っ!!!」
女性の痛苦を訴える短き叫びに、周囲は静まり返った。
スマホを手にしたままの彼女の右手の甲には、”白いひっかき傷”ができていた。そのうえ、そのひっかき傷からは血がわずかに滲んでいた。
「!!!」
それを見たアカリは女性の怪我の原因を一目で察した。アカリは怪我をさせた張本人ではないにしろ、自身の全身より妙な汗が早くも吹き出始めているのを感じた。
しかし、女性に怪我をさせた”張本人”であるミオナは、彼女から見れば突然声をあげたとしか思えない女性を「???」と不思議そうに見ていた。
この時、アカリはもちろん、女性を取り巻いているミオナ以外の乗客たちは、ビシッと青筋を立てワナワナと震え始めている女性の”今にも突沸せんばかりの怒りのオーラ”を、鮮烈なまでに感じ取っていたにもかかわらず――
「ちょっと! あんた!」
車両内の空気がビリッと震える。
「え? あ? 何か?」
「何かじゃないでしょ!! ”これ”見なさいよ、”これ”!!!」
後ずさるミオナに、女性が自分の手の甲に”ミオナによってつけられた傷”をズイッと突き付けた。
「……え? えっ?」
なおも後ずさりながら首をかしげるミオナに、アカリが慌てて小声で伝える。
「そのカバンの”コーナー口金”だよ。それがかすって、この人に怪我させちゃたんだよ」
アカリに言われて、ミオナはやっと気づいたらしかった。
「あ……そうでしたか。それはすいません」
ミオナは”一応”謝罪の言葉は口にし、女性に向かってペコッと頭を下げた。
だが、当たり前であるが、ミオナのこんな謝罪が女性の心に伝わるわけがない。
「すいませんじゃないでしょ! 単にうるさいだけかと思っていたけど、人に怪我までさせといてその謝り方はないでしょ!! 常識がないにも程があるわ!!! いったい”あんたら”どこの高校よ!!!!」
みるみるうちにヒートアップしていく女性の怒り。それだけじゃない。女性はミオナとアカリの2人を指して”あんたら”と言ったのだ。アカリとミオナを同類として見ているのだ。
しかし――
確かに相手は未成年とはいえ、怪我をさせられたうえ碌な謝罪もないことは悔しいであろう。けれども、普通の社会人にしか見えなかったこの女性が、今や鬼の形相に変化し髪を振り乱して怒り狂い始めたという二面性に、周りにいた乗客たちも若干引いてしまい、遠巻きにしているようであった。
「ほんと……許せないわ。何なのよ”あんたら”……!!!」
体だけでなく声までも怒りで震わせた女性は、まずミオナに掴みかかろうとしてきた!
電車内での暴力好行為。
それも女性の女性に対しての暴力行為。
「きゃあっ!!」
ミオナが悲鳴を上げ、女性の腕から逃れるようと身をよじった。
そして、なんとアカリの背後に逃げ込もうとしたミオナは、単に自分の巻き添えを食っただけのアカリを女性に向かってドンッと突き飛ばしたのだ!
突き飛ばされたアカリは女性に真正面からぶつかった。
アカリは女性を見上げる。
女性もアカリを見下ろしている。
光のない瞳からの怒りと軽蔑の視線が降り注いでくる。
でも、アカリは思う。
――この女性だって、私が怪我をさせたわけじゃないことはちゃんと分かっているはず。だから……
しかし、アカリのその内なる懇願は見事に外れた。
女性は黙ったまま、傷ついた右手でアカリの髪の毛をムンズと掴んだ。
そして、そのまま右腕一本でアカリを”持ち上げた”のだ!
さらに女性は空いている左手で、アカリの腰に”横一直線に”バキイイイッッ!と猛烈な一撃を加え、アカリの胴体を見事”真っ二つ”に――!!
女性に髪を掴み上げられたまま口から血を吹き出し痙攣し続けるアカリの鼓膜は、同じ車両内の乗客たちの悲鳴と絶叫によって、”死の直前にあるはずの”今もなお振動し続けていた。
しかし、聞こえていた悲鳴と絶叫は”目覚まし時計の音”へと変化していく。
強烈な悪夢になおもうなされ続けていたアカリであったも、次第に大きくなる目覚まし時計の音によって、自分が実際にいる場所は電車の中ではないことを認識し始めた。
悪夢は不気味な余韻を生々しく残していたが、アカリはなんとかそれから這い出て、現実世界へと戻ってくることができたのだ……
※※※
駅のホームで電車を待つアカリは、”今朝の悪夢”について考えていた。
本当にやけに生々しくて気持ち悪い悪夢だった。
まだ胴体を真っ二つにされた余韻なるものが、アカリの肉体にいまだに残っている気がした。
けれども普通の女性が――いや、男性であっても素手で人間の胴体を横から真っ二つにする芸当など人間にできやしないであろう。
あり得ないことを見せ、体験させてくれるのが夢というものである。
しかし、あの夢の中においての”前半部”は――空気の読めないミオナが大音量でマシンガントークを繰り返して顰蹙を買い、乗客の女性にカバンのコーナー口金で怪我をさせてしまうところまでは、現実にあり得る気がした。
アカリは思い出す。
あの夢の中で、自分は確か”ここ”に立っていて、この位置に来た電車の車両に乗った。そして、その車両にミオナが乗っていて、巻き添えを食って胴体を真っ二つにされることとなった。
ゴクンと唾を飲み込んだアカリ。
――乗る車両を変えよう。リアルで気持ち悪い夢だったけど、所詮たかが夢を私は気にし過ぎかもしれない。考えすぎかもしれない。そもそも私には予知能力なんてものもないわよ。でも、これから乗る車両を変えることぐらいどうってことないし、労力だってかからない。それに……確か都市伝説に『夢と違うじゃないか』って話があったはずよね。私が夢と違う行動(違う車両に乗ってミオナに会わないようにする)をとることで災難を逃れることになるかもしれない。どのみち、ミオナの大音量のマシンガントークを朝っぱらから聞きたくなんてないし……「夢と同じじゃないか」より、「夢と違うじゃないか」ってなった方がいいよね。
夢とは違う車両に乗り込んだアカリ。
90%程度の乗車率の空間であることには変わりはなかったが、ミオナの姿は見当たらなかった。もちろん、あの長身女性の姿もだ。そもそも、あの女性が本当に実在する人物であるすら定かではないのだ。
胸を撫で下ろし、電車を降りるアカリ。
電車内では何も起こらなかった。
今日も昨日と変わることのない一日だ。いつもと同じ日常の延長線にある一日だ。
アカリが通う高校の最寄り駅であるためか、同じ制服に身を包んだ少女たちの姿は、アカリの前にも後ろにも見える。アカリはこのまま流れに乗って、高校の正門をくぐるだけであった。
しかし――
何やら駅のホームの進行方向の前方が騒がしい。
何やら揉めているようであった。
「すいませんじゃないでしょ! 人に怪我させといてその謝り方はないでしょ!! 常識がないにも程があるわ!!! いったい”あんた”どこの高校よ!!!!」
この声は――!!!
思わずビクッと身を震わせたアカリの目に映ったのは、実在するかも定かでなかった夢の中のあの女性であった。
そして、夢と同じく怪我をさせられた女性の怒りの”当然の標的”となっている”あんた”とは、やはりミオナであった。
女性はミオナに今にも掴みかからんばかりに怒鳴っていた。女性のあまりの剣幕にミオナは怯えていた。
なんと現実において、彼女たちは電車内ではなく、駅のホームにて揉めていたのだ。
ここは夢と違う。でも……
なんと間の悪いことに、アカリとミオナの目がバッチリと合ってしまった。
クラスメイトであるアカリの姿を認めたミオナの目がパッと輝いた。
このままではミオナの巻き添えを喰らってしまう。夢と同じだ。
アカリは本能的に後ずさった。
けれども、半泣きのミオナは満面の笑みでこちらに駆けてくる。自分に助けを求めてくる。
「助けてぇ!! アカリ!!」
「ちょっ……どこ行くのよ! 待ちなさいよ!!」
自分へと向かって猛ダッシュしてくるミオナ。そして、怒り狂ったままミオナを追いかける女性。
巻き添えを食ってたまるものかと、”車掌の「白線の内側に~」といったアナウンスも耳に受け付けなくなっているほどのパニック”を起こし始めたアカリは走った。
逃げた。
だが、逃げた先が大問題であった。
今まさに電車が到着しようとしている反対側のホームへと、アカリは身を躍らせてしまったのだから。
同じホーム内にいる者たちの悲鳴と絶叫が奏でる震えによって、”本当の死の直前”のアカリの鼓膜は埋め尽くされていった……
※※※
どのみち巻き添えを食ってしまうこととなった、女子高生アカリの身が”夢と同じ結末”を迎えてしまったことは、皆様お察しの通りである。
―――fin―――
巻き添え【なずみのホラー便 第12弾】 なずみ智子 @nazumi_tomoko
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