148 鉄扉のむこう


 「人員の輸送は、ここより北のボン・ハリ港から開始させてる。ドルキア公国領土への最短経路だ」

 きびきびと歩くコンツェの足取りを追いながら、フェイリットは頷いた。


 欠伸ひとつ見せない隣人の顔を眺めていると、感心すら覚えてしまう。庭園から自室に戻ったのは、明け方に近い時間だった。寝不足なのは互いに変わらないはず。なのに、欠伸を嚙みこぼしているのは自分だけだ。


 すっきりしない顔を床に向け、フェイリットは額の横に手をあてた。強く押せば、鈍い痛みが頭に響く。それでも、眠気を覚ますのには効きそうだった。


「ボン・ハリ港まで行けたらよかったが、陸路を行くよりはここから海に出てしまったほうが手っ取り早い。で、ドルキアの港に到着後、ディフアストン殿下に謁見する予定を申し入れてる」

 艶やかな化粧床を目で送りつつ、無言のままコンツェの説明に耳を傾ける。

「……返答はまだ無いらしいが」


 船に乗り、いよいよ本土へ向かう。テナン国土からドルキア国土へ。一個師団の輸送は、軍議で決定された後すぐに開始されたらしい。

 テナンじゅうの船を掻き集め、公王コンツェの到着に無理やり間に合わせる。敵軍のおおよそが本土の東側に集まっている今、西端の隠密性はさして重要ではなくなった。だからこそ可能な大胆な動きだ。


 コンツェの足は、城外の港には向かっていない。王宮の端からいくつもの階段を降り、地下深くを目指している。床の艶はなくなり、廊下の装飾もなくなっていく。折れ曲がる廊下を進むにつれて、照明の数もまばらになった。

「……にしても、具合悪そうだな。大丈夫か」

 コンツェの足音が鳴り止む。顔を上げて、フェイリットは額にあてたままの手を浮かせた。

「ごめんなさい。大事な時なのに、眠れなくて」

 向けられる心配げな眼差しが、笑みの形に緩められる。コンツェは頷いて、その両手を胸の前に広げて見せた。


「それなら、抱いてってやろうか?」

 突然の言葉。フェイリットは思わず仰け反って、コンツェの笑顔を凝視する。

「……ええ?!」

「冗談。でも目は覚めただろ」

 声をたてて笑いながら、コンツェが通り過ぎていく。その背をしばらく目で追いながら、フェイリットは動作を止める。

 からかわれたのだ、と気づくまでの時差が、そのまま距離となって開いていった。


「コ……コンツェのばか」

 辛辣な言葉を吐きつつも、フェイリットは苦笑する。友人として、きっと以前の関係には戻れない。分かっているからこそ、コンツェもきっと模索してくれている。気遣いが斜め上に走っているのは、たぶん考えてはいけない。


「海の匂いがする」

 折れ曲がる廊下の先に、番兵が二人立っていた。彼らの後ろに守られているのは、小さな鉄の扉だ。

鉄扉てっぴで閉めきっているから、空気の漏れは少ないはずが……そうか、おまえ鼻が効くんだっけ」


 番兵が敬礼をして、コンツェが微かに頷いている。その様子を尻目に、フェイリットは鉄扉に手を伸ばした。小さな扉を見ると、後宮ハレムの記憶がよぎってしまう。小姓から愛妾ジャーリヤに変わった時。トリノと供にくぐり抜けた、皇帝宮のハレムの〝死の扉〟――目の前の扉は、それとよく似ていた。


「お先にどうぞ」

 コンツェの楽しげな声で、我にかえる。いくつもの錠が並んでいるものの、すべて開けられているようだった。番兵のひとりが重そうな扉を押しやって、ぽっかりと空間をあけていく。

「……あ、」

 濃厚な潮の香り。留められた空気が、一気に身体を通り過ぎていく。覚えのある風を吸い込んで、フェイリットはコンツェを見やる。

「ここ?」

 うす暗い空間に、炎の灯りがいくつも見えた。湿った潮の香りと、石炭のはぜる炎の匂い。

「そう、船着き場だ。築城当時からある古い搬入水路だが、まだまだ現役。入ろう、みんな待ってるはずだ」




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