149 いばらの首飾り


 巨大な人工の洞穴が、地底深くまで続いていた。

 岩盤が縦に掘り抜かれ、いたるところに石材の補強あとが見える。築城当時からある、と言ったコンツェの言葉通り。剥き出しの自然に、人の手が丹念に加えられた場所だった。


「……ここは、」

 暗闇を照らす篝火かがりびが、かごの中ではぜる。フェイリットは火に向けて歩きながら、湾状に削られた天井を見上げた。

「……まるで古代のお城みたい」

 感じたことを口に出せば、コンツェが背後でそっと笑う。番兵が鉄扉を閉めるのを待って、彼は用意された松明を篝火にかざした。

「あながち間違いじゃないよ」

 そう言って、松明に火が灯るのを確かめると、コンツェが歩き出す。足場は広めの露台となっていて、地底の水路までは、幅の狭い階段を辿る必要があった。


「また階段だけど、大丈夫か?」

 松明で視界を照らしながら、コンツェが問う。たしかに考えてみれば、城内から歩き詰めで、そのほとんどが階段だった。

「数えてたらいい夢がみれそう。本当に抱え上げてもらおうかな」

 答えつつ、フェイリットはコンツェが足を止めて振り返るのを待つ。

 ――抱いていってやろうか。そう彼に茶化されたことへの仕返しのつもりだった。悪戯げに笑って見せれば、コンツェの指が頰を摘みにくる。

「それは、冗談で返すだけの気力はあるってことだよな」


 楽しげに笑う彼に向けて、今にも眠りそうな仕草をして見せる。いびきの真似をはじめたところで、コンツェはフェイリットの頰から指を離した。

「いびきなんて、かかないだろ」

「……えっ、かくかも」

「隣で寝たから知ってる」

 再び階段を降り始める頃には、気まずい雰囲気が漂っていた。コンツェについて歩きながら、フェイリットは思い出して言葉をつなげる。

「そ、そういえば〝間違いじゃない〟って?」

 会話の方向が外れて問う間もなかったが、コンツェの言葉が気にかかる。古代の城みたい、と呟いた感想を、彼は〝間違いじゃない〟と評したのだ。


「ああ、王の避難路としても使われてたって意味だ。テナン公国の歴史が、常に支配とともにあったのは知ってるだろう? 飼い主はメルトロー王国だったり、イクパル帝国だったり。つまりいざという時、身を守るための場所を確保したかったわけだな」

 地底には水路とは別に、横穴もいくつかあるらしい。短期間であればそこで生活することも可能で、数百人収容することができる。そして今は、軍の訓練用に残されているのだ、とコンツェは結んだ。説明を聞き、奥へ進んでいくほど、ただの洞穴ではないことがわかる。この長く続く狭い階段も、敵を阻むものに成り得るわけだ。

 石壁に手を触れると、想像よりずっと滑らかだ。松明の明かりに光り、手のひらがしずくで濡れた。


 そうして、ようやく地底まで辿り着く。階下の篝籠かがりかごに、コンツェが松明を挿し込んだ。その顔がふと、驚いたように別の方角へ向けられる。

 フェイリットはコンツェの視線を追って、その頰を綻ばせた。

「エトワルト王陛下、サディアナ殿下」

 お待ちしておりました、と膝を折ったのはフィティエンティだ。エレシンスの血を受けて、生死の境を彷徨った女性。わずかに微笑むその顔には、元の血色が戻っている。元気そうなフィティエンティの様子に、フェイリットは思わず彼女の手をとっていた。

「フィティエンティ! よかった! もう平気?」

「ええ、もうすっかり。サディアナ殿下、また御同行させて頂けますでしょうか」


 もちろん、と言いさして、フェイリットはコンツェを見やる。フィティエンティは、世話係の前にコンツェの臣下。許可を与えるのは、王である彼の役割だ。けれど窺ったコンツェの表情は、予想よりずっと渋いものだった。

「……駄目だ」

 表情通りの答えを返し、コンツェがフィティエンティの横を足早に過ぎていく。

「何故ですか?」

 その後ろを追いながら、フィティエンティが強張った声を上げた。

「わたくしが首輪、、だったから?」


 目を開けて、コンツェが振り返る。その視線がちら、と自分に向けられ、フェイリットは瞬いた。

 首輪というのは、何らかの隠語なのだろう。分からないことを彼に伝える前に、その視線は行ってしまう。

「……フィティエンティ。これから向かうのは戦地で、危険が伴う。軍人だらけの場所なんだ」

「ええ、危険は承知しておりますわ。死も怖くはありませんし」


「……そうか、でも駄目だ」

 抑えた声には、憤りさえ滲み出ていた。王であるコンツェが顔色を変えている。にもかかわらず、フィティエンティは微笑んでいた。臆する様子もなく、その手をコンツェの片腕にのせてささやく。

「ご理解頂けるはずですわ。もうここには、わたくしの居場所がございませんから」

 そうして、フェイリットに苦笑を見せる。

「八年前に夫を亡くしたのです。爵位も領地も、夫の弟が継ぎました。わたくしには、他に身寄りがございません。ですから王家の首輪はうってつけ、、、、、だったのですわ。……生きるためには」


「首輪……?」

 再び出た知らない言葉。フェイリットが視線を向けると、コンツェは左右に首を振った。聞くな、とでも言うような仕草だ。

「わかった。危険だということを理解できているならいい。何も言わない」

「……ご配慮に感謝いたしますわ」

 フィティエンティが膝を折ってこうべを垂れるのを、渋い顔でコンツェが見ていた。


「あの、首輪って?」

 ついに我慢できなくなり、フィティエンティに問うてみる。けれど彼女はそっと微笑むだけで、もう何も明かそうとは思わないようだった。

「なんでもありません。お荷物の準備は整っておりますから、あとはお別れを充分なさってくださいませ。ギルウォール殿下、ファンサロッサ殿下、アシュケナシシム殿下がお揃いですわ」


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