147 君に掲げる炎の花冠

「全部聞いた。ギルウォールやアシュケナシシムから、おまえが人間じゃないって」


 コンツェの静かな声を聞きながら、同時に、フェイリットは荒く打つ自分の鼓動を聞いていた。

「竜、なんだな」

 打ち明けよう、と考えていたのは彼も同じなのだ。パスケルタリの卵から、そろそろと視線を上げる。

「わたしね、コンツェが見つけてくれなかったら、きっとアルマ山で死んでた。育ててくれた人が……忠誠のために自決したの」

 大好きだったサミュン。その手に握りしめた贖罪の言葉は、愛した母娘に向けられたものだった。母娘――リエダと、フェイリットに。


「サミュエルは、自分がわたしに選ばれることのないように、ノルティス王への忠誠を自死で示した」

 ……そして、母リエダのもとへ逝くためでもあったのだろう。

 そっと覗いたコンツェの瞳は、まっすぐにフェイリットを見ている。眼差しに微笑んでから、フェイリットは言葉を続けた。


「メルトローに戻るのは、どうしても嫌だったの。サミュエルの死に様を見てしまって、わたしはどうしようもなく混乱してた。竜に変わって、空まで飛んで……そして、落ちた」

 そこからは、きっとコンツェのほうがよく知っている。彼が山中でぼろぼろのフェイリットを見つけ、軍の天幕に連れ帰った。


「みんなに背中を叩いてもらえなかったら、わたし、生きるのも諦めてたと思う。コンツェが見つけてくれて、アンが治してくれて、ウズが認めてくれた。トリノが笑ってくれて、シャルベーシャが競ってくれて……そして」

 そして、ディアスが心を癒してくれた。けれど言い切る前に、言葉を途切らせてしまう。声は震えるし、涙はあふれる。言いたいところまで辿り着けない。

 

「……わたし、皆がいるイクパル帝国が大切なの」



 生まれた国よりも、ずっと。震える声でそう言い切ると、フェイリットは布ごとパスケルタリの卵を抱きしめた。

 ディアスが好き。だから生きていてほしい。

 その一言が、喉の奥で嗚咽に変わる。


「前に、俺がテナンに帰ることを迷ってた時、言ってくれただろう。逃げるなんて言うなって。どっちを選んでも辛いことに変わりないなら、逃げることにはならないって」

 コンツェが呟くように言って、星空を見上げる。

「あの言葉が、ずっと忘れられない」

 ティカティク亭で見た満天の星空。もう同じ場所で、同じように星を見ることは叶わない。帝都が崩壊したのなら、城下の街並みも無事ではないだろうから。

「おまえも逃げたわけじゃないだろう。ただ、選んだだけだ」


 帝都の酒場で、二人並んで眺めた星空。あの時にはもう、二人の眺める方向は違っていたのだ。

「……バスクス二世は、……どんな奴だったんだ?」

 少しの沈黙のあとに、コンツェが切り出す。

 驚いたフェイリットが横を見ると、彼はあからさまに慌てて首を振った。

「あ、いや、……嫉妬とかじゃない。気になっただけなんだ。半分は血が繋がってるのに、俺は何も知らないから。でも、おまえが嫌なら答えなくていいし、」


「国のために死のうとしてた」

 フェイリットは静かな声で告げる。

「能力もささえ手も器も、ちゃんと持ってる人なのに。身に起きた不幸ごと、葬ろうとして見えた」

「……不幸?」

「たぶん、帝位争いに絡んだことだと思う」

 ああ、と渋い息をついて、コンツェは押し黙ってしまう。

 第四皇子だったディアスが、皇帝の座に座るに至った経緯。それは、上の皇子たちが次々と暗殺された事件の顛末てんまつでもあった。


「そして、コンツェに帝位を譲ろうともしてた」

 そう言葉を続けると、コンツェが目を見開く。

「俺に? ……そうか、あれは……」

 けれど、そうはならなかった。帝位を預けたかったコンツェは、生まれた国の王位を継いだ。そして宣戦を布告して、今に至る。

「たしかに、選べと言われた。帝城の玉座の間で、バスクス二世に」

 そういう意味だったのか、とこぼして、コンツェは項垂れるように視線を落とす。


「選べ……」

 選べ、と人に言うくせ、投獄されてから今まで、ディアスの持つ選択肢はあったのだろうか。哀しみに流されるまま、他者にばかり自由を与えてきたのではないのか。そんな疑問がふと浮かんで、フェイリットは両目をこする。


「わたしは人間じゃない。普通の女の子でもない。だからね、こんなの取るに足らない気持ちなのかもしれないけど……」

 パスケルタリの卵を、コンツェの手の平に戻す。彼の黒鳶くろとびの瞳を眺めて、フェイリットは奥歯を噛んだ。


「ディアスが好きなの」


「……フェイリット」

「わたしは竜だから……もしかしたらこの気持ちは、恋とか愛とか呼べないものなのかも。でも、彼には生きていて欲しいの」

 愛していると、言葉にしてもらったことはない。彼の隣に寄り添うことは、もうできないだろう。それでも、生きていて欲しい。帝都陥落の報せを受けて、ディアスが〝死んだ〟と告げられた時の空虚を、もう繰り返したくはなかった。

「……よく、わかるよ」

 本心を打ち明けたら、傷つけてしまうかもしれない。恐れていたコンツェの瞳が、そっと緩められる。


「でも、普通の女の子じゃなくても、幸せになれる」


 コンツェから告げられたのは、思ってもみない言葉だった。

「本土に渡ってディフアストン殿下を説得しよう。そしてバスクス二世に講和を持ちかけ、受け入れてもらう。……テナン公国こちらの優劣に関わらずだ」

 そうして差し出された手を、フェイリットは堅く握る。

「ありがとう、コンツェ」

「ああ、互いの使命を果たそう」


 愛する人に愛されることは、困難な願いだ。

 それでも。

 〝普通の女の子じゃなくても、幸せになれる〟――コンツェの言葉は、新しい希望となってフェイリットの心に残った。


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