132 恋い慕う、


 「タントルアス……」

 その言葉の響きに、コンツェは記憶をかすめる〝何か〟があることに気づく。

「王の名ですか、何百年も昔の」

 タントルアス――メルトロー王国にかつて存在した、大陸を統一してしまうほどの力を持った王。アルケデア大陸に住まう者ならば、一度は耳にする伝説の名前だ。


「まあ、正解だな」

 正解だが、完答ではない。ギルウォールの返答に滲む意味合いに気づいて、コンツェは考え込む。

 タントルアス、その名を口にしたことがあった。英雄譚をなぞり、タントルアス王の真似事をして遊ぶ――そんな幼い情景ではなく。どこかで、それも最近になってタントルアスの名前を目にし、言葉にした記憶がある。


「来い、入るぞ」

 ギルウォールに続いて階段を降りると、その材質は色硝子いろがらすだった。

 白みをおびたもの、透明なもの、うっすら緑の混じるもの。小さな硝子のかけらを組みつないで、光に透かせる仕掛けのようだ。美しい趣向が、足を乗せる面すべてに施されている。


「へえ、綺麗だねえ」

 後ろに続いたアシュケナシシムが、驚いた声をあげる。

 硝子の踏面ふみづらをとんとん、と足でつく音を背中に聞いて、コンツェはようやく頰を緩ませた。

「メルトローにはよくある細工だろう」

「そうだけど、僕は窓しか見たことがないね。階段そのものを細工してしまうなんて、きっと珍しくて難しいはずだよ」


 螺旋の階段を降りきった先に、真っ白な空間が広がった。床や壁、天井に至るまで、すべてが白くつややかな石でできている。

 コンツェは呆然として、厳かな気が張りつめる空間の中央へ入っていく。

「神殿……?」

 ほのかに明るい空間は、床下にあることさえ感じさせない。ふと気づいて見渡すと、壁沿いに細く長い切れこみがある。採光のための窓なのだろう。装飾の施された金網が隙間なく張られ、階段と同様の色硝子が納められている。

 外部から観ても、ここに空間があるとは分からない。何よりこの城を長く見てきたコンツェでさえ、違和感のひとつも感じることがなかったのだ。


「そんじゃあ、もう一つ質問だ。エトワルト」

 コンツェを呼ぶと、ギルウォールは懐から何かを引きだしてほうった。

「タントルアスを見たことは?」

 宙を舞った〝それ〟を受けとって、コンツェは瞳を大きくする。

「メルトロー古代記……」

 手中に納まったのは、一冊の古い本だった。表題を口にして、そっと唾を飲む。

 同じ本を見たことがあった。帝都でバスクス二世に目通りした日……シアゼリタの首を、帝城の玉座の間で目にしたあの日――亡父の居室である、帝城の〝公爵の間〟で。

 コンツェは手にした本に向け、眉をひそめる。


 あの日。皇帝との謁見を終えて戻ると、長椅子に眠るアシュケナシシムの姿があった。

 ――体調もすぐれぬ日が続き、とうとう疲れ果てたに違いない。しばしの間でも、休ませてやろう。

 そうして時間を潰すため、父の所蔵から手にした本だった。

 なぜメルトローの本が、テナンの古い言葉で書かれているのか。なぜそれを父が所持していたのか。開いた本に突きつけられた疑問は、ひとつだけではなかったが、


「タントルアスと、竜……」


 頁をめくると、記憶のままの挿絵があらわれる。当時と同じく言葉に出して、コンツェは忘れていた疑問を確信した。

「で、何を思った?」

「この挿絵の人物……フェイリットにしか見えない」

 本をすべり落としてしまうほどの衝撃を、確かに覚えている。


 コンツェの呟きに、ギルウォールは渇いた笑いで応えた。

「そうだ、似てる。色素のうすい金の髪、湖水色の透けた瞳、象牙色の白肌。北方で混血の進んだメルトロー王族には、滅多にそろわない容貌だ。それどころか、最近はツラ構えまで似てきてる」


 本に描かれた挿絵は、いくぶん簡略化された肖像だ。うすく彩色がされ、特徴もとらえている。しかし、揺らぐ水面にうつった姿を〝フェイリットに似ている〟と感じるような、漠然としたもの。面立ちが瓜ふたつか否かまで、判別することはできない。

「サディアナは、タントルアス王そっくりだ」

 なのにギルウォールの言葉は、まるで詳細な絵でも見てきたかのような言いぶりだった。


「さっき、ここを神殿かと言ったな」

 本を凝視するコンツェのわきを通り抜けて、ギルウォールは歩いていく。中央の壁にそって据えられた、長方形の石があった。長椅子で休憩するのかと思えば、ギルウォールはそこには座らず、石を前にして片膝をつく。

 長椅子ではない、

「石棺……」

 思わず口にした言葉を、コンツェは自ら考える。それでは玉座の下に、死者の眠る廟があったことになる。いったい誰が、何のために?

 そら恐ろしささえ感じる光景に、答えを追う思考が続かない。



「テナン王城は〝王城〟なんかじゃねえ、〝墓廟〟だ。つまりお前たちシマニ一族いちぞくは、何百年もかけて墓守りをさせられてたのさ」



 石棺の蓋に手をかけて、ギルウォールは笑った。

「だがなぁエトワルト。俺が知る伝えが正しいなら、ここに眠るのはタントルアスじゃない」

 ずずず、と石が擦れる低い音が鳴り、ギルウォールの手で石棺の蓋が外される。

「――こいつは、タントルアスの手によって国を追われ幽閉された……当時のイクパル皇帝だ」

「な、」

 驚きを隠しきれず、コンツェは石棺に身を乗りだした。

「……アルジャダール・ケルバ・バスクス」

「……バスクス?」

 干からび、骨だけになった皇帝だったもの、、、、、、、。その手に抱かれる小さな紙片を見つけて、コンツェは胃液をすべて吐きだした。


「バスクス一世。おまえらはアル・ケルバと呼んだほうが聞き覚えがあるか?」

 イクパルの始祖とも呼ばれる、三人の皇帝。タルヒル、アル・ケルバ、ジャイ・ハータ。名前の残るそのうちの一人が、まさに骨となって目の前にある。

 朽ちはてたアル・ケルバ・バスクスの手には、小さな紙片に描かれたフェイリット――いや、タントルアスの姿があった。


「……女だったのか」

 純白のドレスをまとい、はにかむように笑うタントルアス。王としての装いをとってしまえば、そこに佇むのはただの可憐な女性だ。

 白い頬はうっすら染まり、唇は桃色に色づいている。見るものにまっすぐ向けられた、愛らしい笑顔。この肖像画を手に、ふっと仕方ないような微笑を浮かべる……皇帝の影が脳裏によぎる。


「恋仲だったんだとよ」

 間の抜けた声で言いやって、ギルウォールは指骨から紙片を拾いあげた。

 タントルアスが女。女王制度の無いメルトロー王国にとって、これは最大の機密のはずだ。あげくにメルトローの女王が、イクパルの皇帝と恋仲とあっては……。


「しょせんは敵同士。叶わぬ恋だったらしいがね。タントルアスは王女時代、、、、、間接統治の仲立ちを命ぜられテナン領の総督に就いた。どこをどうして出逢ったのか、帝国本土の皇太子だったアル・ケルバと関係を持っちまった」

 タントルアスと、バスクス一世が恋仲。愛してやまぬ少女と同じ顔の女王が、忌み嫌う男と同じ名前の皇帝と。

 再び胃をつく吐き気をこらえて、コンツェは首をふる。


「あとは表の歴史にあるように、タントルアスはイクパル帝国を攻め、当代最強とうたわれた海軍を軒並み吸収しつくした。アル・ケルバ・バスクスは敗戦の責任から処刑された」

「幽閉された皇帝だと、……最初に仰っていませんでしたか」

「表の歴史っつっただろ? 結局、タントルアスはアル・ケルバを殺せなかったのさ。テナン領に塔を建てて、死ぬまで隠してやったらしい。死後もこっそり墓廟なんぞつくって。そうしてテナン領をメルトロー王国から切り離し――、おまえの知る〝テナン公国〟ができあがった」


「そんな、」

「信じられねえって顔だなぁ。わかるぜ、おまえたちシマニ一族の存在意義が、ただの墓守りだったなんてな」

 わざとらしく柔らかな声で、ギルウォールは言い結ぶ。

 信じたくない、と拒絶するのは簡単だ。

 メルトロー王国は、タントルアスと恋仲だったアル・ケルバ・バスクスの存在そのものを隠したかった。メルトロー王国の支配下にあったテナン公国は、アル・ケルバ・バスクスの墓を隠し、守りつづける口実で自治権を取り戻した。


 それぞれに思惑があったのは確かだ。しかし時がたち、テナンはいつのまにか帝国側に傾いてしまった。出戻りのようにメルトローの庇護を求め、いま独立の道をひた進んでいる。

「ギルウォール殿下。俺に見せたかったというのは、これなのですか。我々はただの墓守りの一族で、メルトロー王家のしもべにすぎないと」


 フェイリットに瓜ふたつの古代の王タントルアスが愛した、古き皇帝バスクスの墓廟。それは儚ささえ感じられる、純白の清い空間だった。施される美しさを見れば、死の時まで愛が続いたのは疑うべくもない。

 睨むような鋭いまなざしをギルウォールに向けて、コンツェは続ける。

「俺はただ、フェイリットを助けたいだけです。彼女とタントルアスは、どんなに似ていても他人でしかない。これを見せて、どうしろと?」


 ギルウォールは低い声で笑って、手に持った紙片を石棺の中に投げ入れた。

「そう急くな。墓守りのおまえには、まだやるべきことがあるんだからよ」

 ゆったりと歩きながら、彼が移動したのは壁の間際だった。石棺の安置された、ちょうど頭側にあたる場所。

 ギルウォールは白い石壁を、ぱしりと音を鳴らして叩く。



「バスクス二世を殺して、奴とサディアナの因果を断ち切れ」

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