133 君眠る墓廟に咲く


「バスクス二世を殺して、奴とサディアナの因果を断ち切れ」

「ですが、バスクス二世は」

 帝都が落ちて死んだはず――という言葉を飲みこみ、コンツェはギルウォールから視線を移す。

 強い海の陽射しを受けて、赤く焼けたギルウォールの手。その指し示す先には、壁をぐるりと巡る壁画があった。

 遠目に見たなら、うっすらと描かれた石の模様でしかない。近づいてようやくわかる細密な画を、コンツェは驚きのまま見つめる。


「これも……タントルアスと竜、なのですか」

 本の挿絵とはわずかに違う。とかげのような胴体に、へびに似た長い尾の生き物。帯状に尾をなびかせて、白い山脈にそって飛ぶ〝竜〟の姿がえがかれている。

「……そうだ」

 その絵のとなりには、王冠をのせたタントルアスと思しき人物もあった。竜は君主にかしずいて、宝石のようなかがやくものを手に差しだしている。


 そして最後に描かれていたのは、大軍の指揮をとる双瞳の、、、王と、その上空を守るように飛ぶ竜……。


 壁画を丁寧に見てまわり、コンツェは気づく。

「……目が」

 描かれる〝王〟らしき人物の目が、ある絵を区切りに双瞳として塗られている。右眼が銀に近いみどり、そして左眼は輝かしいほどに透きとおる黄金色。竜が差しだした、宝石の色と同じだ。


「おそらくはひとみの交換か、えつけ。それこそが、、、、、竜との、、、契約方法、、、、だろう」


「は……?」

 大げさに声を詰まらせて、コンツェはギルウォールを見やる。

「竜との契約? ……なにを言って」

「フェイリットは人間じゃない。おまえが最初に言いだしたはずだぜ」

 突拍子なく告げられた言葉を、噛みくだくことができない。うわすべりする〝人間じゃない〟という言葉に、コンツェは壁画を凝視する。

「人間じゃない……竜……フェイリットが?」

 コンツェの問いに、ギルウォールは何も言わなかった。するどい眼差しをいっそう強く細めて、彼もまた壁画を見つめている。真実を告げることへの、自責ともとれる表情だった。


「……信じられないだろうけど本当だよ。サディアナと僕の母親は、竜の姿で亡くなったから」

 ギルウォールの代わりに言葉をつないで、アシュケナシシムは深い息を吐く。

「母はもともと妊娠なかばから、あまり状態がよくなかったらしい。僕らを産んだあとも、重度の産褥さんじょく病をわずらってね」

 そっと、アシュケナシシムが壁画の竜に触れる。まるで母を見るような遠い眼差しで、彼は続けた。


「母は穏やかな気性で、寵愛を勝ちとるために動くような人物ではなかった。生家は権力なんて皆無の下級貴族だしね。だからこそノルティス王も、たった一度で目が向かなくなったんだろう。……容態の悪かった母は、城をはなれ王都の生家で僕らを産んだのさ。庶子として王の認知を得たら、あとは手元でひっそりと育てるつもりでね」


 空を飛ぶ竜は、ただ美しく描かれていた。そこにあるはずの、恐怖や畏怖の表現がどこにも感じられない。手に入れることができたなら、この大陸を、世界を制圧し得るはずの存在なのに。

 竜のむこうに広がる朱色の空は、明けなのか宵なのか。それさえも美しく、ひとつの芸術として描かれている。


「母の衰弱は日を追ってひどくなっていった。僕らが生まれてひと月後、誕生の報告をしにいったのは、僕らの祖父だったんだ。ノルティス王と居合わせた側近たちはサディアナの容貌に驚き、タントルアスとの符合に気づいた。その場で祖父から、サディアナを一人だけ取りあげたのさ」


 壁画に額をおしつけて、アシュケナシシムは目を閉じた。

「謁見なんかしなきゃよかったのにね。……そうして僕だけを連れ帰った祖父は、娘がいるはずの部屋でさらに驚愕することになった。干からびてとぐろを巻いた竜が、娘の寝台で亡骸なきがらになってたから」


 それからはもう、大騒ぎさ。

 最後にそう結んで、アシュケナシシムは押し黙った。

 王の子として生まれた双子が、たもとを分かって育てられた。人知れず隠されたフェイリットと、城に幽閉されたアシュケナシシム。彼らの歩んだ道のりを思えば、自分はなんと恵まれていただろう。母を同じく産褥で亡くしたが、親の代わりなら兄がしてくれた。孤独を感じたことなど、コンツェには一度もなかった。


「偶然か、何かの啓示か、はたまた呪いでもかかってるのか……俺には分からねえ。だが、何百年も消息がなかった〝竜の血筋〟が突然あらわれた。それも、王家の中にタントルアスの姿でな」

 ギルウォールは苦々しく言いやって、コンツェの目をじっと見つめた。先ほど感じたような、逡巡や悔恨はすでになくなっていた。

「母親に見るように、本来〝竜〟というのは恐ろしく短命なもんらしい。早くて十五年、遅くて二十年ほどで寿命は尽きる。――たったひとつ、生き残る道をのこしてな」

「……契約」

 コンツェが口にした言葉に、ギルウォールは頷いた。


「契約でサディアナを死境から救い、バスクス二世を殺せ。そうすりゃおまえは、墓守り人生におさらばできる。サディアナも手に入る。……一石二鳥だろ」

「ですがギルウォール殿下、そもそもバスクス二世は死んだと聞いています」

 帝都が陥落して、あとは亡骸を捜すのみだと。逃亡した宰相ウズルダンを見つけ、帝位の移譲を認めさせればこの戦争は終わる。

 切れ者のウズルダンのこと、やすやすと出てきてはくれないだろう。それでもディフアストンの追随は、彼らを大いに苦しめるはず。


「いいや。ディフアストンにゃ、あのくせ者はきっと殺れねぇ。一度戦場に出ちまったら、我が長兄どのは猪みたいなもんだ。自分しか見えなくなっちまうからなぁ。どのみち、俺は一度メルトロー王国に戻るぜ。海からまわってイリアス公国沿岸に戦艦を並べる」

 イリアスはイクパル本土の東端で、海岸に沿って広がりを見せる公国だ。テナンから陸地を横断した先に位置し、決戦の地には格好の場所ともいえる。

 つまり、横断で消耗し、補給の確保もままならないテナン・メルトロー両軍には、避けたい地ということ。


「イリアス沿岸に俺の軍を動かせば、やつらはもう退路が無い。かたを付けさせてやる」

 にやり、と頰を歪めたギルウォールの向こうに、階段を踏む足音が響き渡る。

「――ああ、見つけてしまいましたな」

 はっとして見た先に現れたのは、テナン公国の老いた宰相だった。

「シバスラフ?!」

「玉座の間を人払いなどなさって、なにをしておいでかと思えば」


 破壊された玉座と、あばかれた石棺。そして目前に巡る壁画の連なり。それらを見てきたはずのシバスラフに、驚いた様子は感じられない。

「……知っていたのか」

 確信を得て、コンツェは老宰相を見つめた。

「停滞は好かぬ、過去は過去のもの。前王バインツ陛下……お父上はそう仰っておいででした。当然、ご子息様どなたにも、この墓廟の存在はつたえられておりませぬ」

 渋い顔を三人に向けて、シバスラフは返す。


 ――新しき時代…か。剣を掲げたフェイリットを見て、父が呟いた言葉の真意。

 メルトロー王国にも、イクパル帝国にもらず、侵されることのない時代。人と人との絆を糧に、国が成りたつ時代。

 そんな未来の展望を……前王が垣間見ていたとしたら。

 ――生涯をかけて誓います。親しき貴方と我が国とを繋ぐ、使命を。

 思いだされる彼女、、の宣誓に、コンツェはそっと拳を握る。


「エトワルト陛下。サディアナ殿下がお目を覚まされたと伺って、お知らせに参ったのですが」

「え……、フェイリットが?」

「ええ、夢うつつを依然さまよっておいでのようですが。話しかけには反応を示すと、御典医が申しております。行かれますか」

 弾かれたように身体が動き、コンツェは階段を駆け上がった。しかし半ばで立ち停まって、その目をギルウォールに向ける。

「ギルウォール殿下、」

「ああ」

 短い返答と、上げられる強い視線。ギルウォールの眼差しを受けて、コンツェもまた確固たる口調で繋ぐ。


「俺は契約はしません。……歴史が本当なら、俺はフェイリットに選ばれる必要がある」


「おいおい、今までの話聞いてたのか? それじゃあサディアナが死んじまうんだぜ」

「……はい。彼女がそれを望むなら」

「エトワルト」

 呆れたように、ギルウォールは短い髪に手をやった。ぼさぼさに搔く仕草は、忘れかけていた彼の癖だ。面倒くせえなあ、と呟きながら、間の抜けた空気が戻ってくる。

 ようやく戻った次兄の姿に、アシュケナシシムが次いで肩を竦めた。

「僕はあとから行くよ。君はもう、大丈夫そうだしね」

「ああ、大丈夫」

 自分と、アシュケナシシム。両方に言い聞かせるように、コンツェはしっかりと頷いて見せた。



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