121 愛と、


 同じ顔で色合いの違う王子ふたごは、またたく間にテナン宮廷の話題にのぼった。

 機敏でさわやかなフェイリットと、温和な優しさを持つアシュケナシシム。ただでさえ目立つ容姿なのに、揃うと恐ろしいほどの華々しさになる。

 そんな二人を両脇に引き連れて、コンツェは複雑な面持ちで庭園を眺めた。

「場所を変えるしかないな…これじゃあ見世物だ」


 いつになく人の行き交いの多い庭で、過ぎゆく人々がみなこちらに注視している。テナンの王太子が、話題の人物を連れ歩いている。それが余ほど気を引くのだろう。

「最初に来たときは、人ひとり歩いてなかったのにねえ」

 アシュケナシシムも肩を竦めて、残念そうに呟く。

 王城に詰める人の数は、日を追うごとに増えている。賓客の受け入れに加えて、国家間の情勢が安定しないせいだ。


「そうだね。王太子殿下が負けちゃったら、体面良くないものね」

 そっと囁いたフェイリットの頭越しに、コンツェは顔をしかめた。

「…それは皮肉か? 自信か?」

 運動がしたいから剣の相手をしてほしい――というフェイリットの願いを聞いて、相手をかって出た。華奢に見えるフェイリットが、剣稽古を言いだすとは。

 しかし驚きはすれど、負けて体面を気にするほど弱いつもりはなかった。相手の術式が、どこの国のものであろうと同じだ。


「どっちも」

 楽しくて仕方ない、とでも言いそうな表情でフェイリットが笑う。コンツェは苦い顔のまま、彼女の頰をつまんでやった。

「いはっ、いはいっへ、ははっはお!」

「そんなに言うなら、手加減しないで負かしてやるよ」

 ふと見ると、少しだけ離れた位置でアシュケナシシムが笑っている。その横に思わぬ人物の姿を見とめて、コンツェは息をのんだ。

「もう、痛いって……あれ」

 コンツェの視線を追ったのだろう。唐突に放された頰を抑えながら、フェイリットもその先を見つめて固まる。


「よう、お二人さん。俺も観てていいだろ?」

 淡黄色の短い髪をぼさぼさにして、ギルウォールが立っていた。

「おにっ、兄上……ディフアストン兄上と本土に渡ったのでは」

 フェイリットが慌てたように声をあげる。

「いやあ、あいつは俺がいなくても大丈夫」

 ギルウォールが纏うのは、緩やかな開襟の上衣に乗馬用の下衣。艦上では軍衣を纏っていた気がするのに、今は至って簡素な出で立ちだった。その開襟の胸のあたりに手を差し込んで、相変わらず痒そうに掻いている。

 湯浴みをしましたか。という問いを、コンツェは寸でで飲み込んだ。

「しかし艦隊が……」

 ドルキア公国側に展開させる予定の艦隊。数は多くないが、海上の総指揮官がここに居ては問題が起こる。開戦を控えた準備の段階で、本土側の緊張は高まっているはずなのに。


 そんなコンツェの懸念に、ギルウォールは手を振って応えた。

「平気平気。っつうか、もう痛めつけられたくねえんだわ。カランヌを生け贄にしといたし、当分は奴も退屈しねえだろ」

 軽やかに笑いながら、ギルウォールは恐ろしい言葉を平然と言った。

 痛めつける? 生け贄? 退屈しない? ……非情な人物だと聞きかじった印象が、コンツェの中でさらに下降していく。

「恐くなっただろ? そうだろう、そうだろう。長兄は恐い奴だからな、近づいちゃだめだぞぉ」


 最後の台詞は、フェイリットに向けたものだろう。ギルウォールは何度か頷いて、歩み寄ったフェイリットの肩に手を置く。

「な? サディアナちゃん……楽しくなって我を忘れるんじゃねえぞ」

 朗らかに笑う顔をすっと締めて、ギルウォールが低い声で言った。

「俺もアシュも止めて、、、やれねーからな」

 冗談を言うような声色なのに、フェイリットははっと顔を青くする。いったい何の意味が含まれたのか。二人のやり取りを見守りながら、コンツェは疑問に首を傾げるしかなかった。

「……はい」

 フェイリットが身を引き締めて返事をしたあとで、ギルウォールはその手を彼女の頭に移す。


「宜しい。では特別に、俺が審判やってやろうじゃねえか」

 抜けた顔に戻ったギルウォールを、コンツェは慌てて見やった。

「ま、待ってください。試合形式にするわけには」

 審判をつけてしまったら、模擬試合になってしまう。稽古の相手という約束で、勝敗をつけるつもりは元よりなかった。誰の目にも明らかな勝敗は、テナンとメルトローの緊張を刺激しかねない因子だ。

「えー勝ち負けはっきりした方が面白えだろよ。…まあ、政治的なモンを気にしてるなら安心しな。お前らには婚姻の噂もたってる。くっついちまえば、どっちが勝っても万々歳だ」


 なるほど、と納得してしまいそうになってから、コンツェは首を横に振った。

「いえ、フェイリットは〝王子〟だと思われています」

 メルトローから来た、綺麗な容姿の〝双子の王子〟。それが現状、宮廷にもちきりで流れる二人の評判なのだ。

 コンツ・エトワルト王太子とサディアナ王女の婚姻の噂は、たしかに存在する。だが、軍衣を纏い颯爽と歩くフェイリットに、〝王女〟の像は結びつかない。

「お前聞いてねえの? 立太子の儀でこいつ、つるぎ持ちするぜ。王女様の格好してな」

 ええっ!? と声をあげたのはコンツェだけではなかった。


「やめよう、コンツェ。模擬戦はしない、わたしは式典に出ない。そうしたら全部丸くおさまる……」

 フェイリットが震える声で言いながら、わなわなと頭を抱える。どうしよう…という呟きすら彼女の口中から洩れ聞こえて、コンツェは小さく笑った。

「大袈裟だな」

「だって、〝王女の剣持ち〟って言ったら〝伴侶〟なのよ。生涯を供にします、貴方の剣とともにって誓いを……」

「そ……そんな意味合いは初めて聞いた」


 メルトローの慣習なのだろうか。自らの声もまた震えていることに気がついて、コンツェは呆然とする。

「だろうなぁ。伴侶の意味合いを強めるために、王女様の格好させんだろうよ」

 意地悪く笑いながら、ギルウォールが頷く。

「メルトローは血族婚にも寛容だ。大陸の血が満遍なく流れてるからって理由でな。昨今では古い考えだが……王子と王女が婚姻を結ぶ際には必ず剣持ちが行われる」


 その古い慣習を引っ張りだすくらいには、自分たちの繋がりは望まれたものなのだろう。

 コンツェは息をついて、フェイリットを見つめた。

「俺は構わないが、」

 頭を抱えたまま、彼女は眉尻を下げた。可哀想なほど困惑しているフェイリットが、愛しく感じられてならない。

 俺はダメなやつだな……。内心でそう思いながらも、

「お前が嫌なら拒もう。〝剣持ち〟そのものが断れないなら、直前で軍衣を着ればいい」

 次にはその言葉が口を出ていた。

 会話を聞いていたギルウォールが鼻で笑って、コンツェの背中を強く叩く。


「言ったな? そんじゃ、おにいたま協力しちゃうぜ」

「おにいた…?」

「おっと気にするな。特別感の搾取だ」

 ギルウォールはそう言うと、楽しそうにフェイリットをじっと見つめた。

「えっ! おに、いっ今ですか?」

「……フッ。まあ、鬱憤晴らしに模擬試合しろよ。この辺で抜いとかねーとお前ら、そのうち沸騰しちまうぜぇ」

 黙って聞いていたアシュケナシシムが、唐突に笑いながら相槌を打つ。

「たしかに。君たちは身体動かしてたほうが、悩みなんて無くなる系統だと思うね。汗臭いのはごめんだから、僕は向こうに下がってるけどー」

 言いながらふわふわと手を振って、アシュケナシシムが去って行く。

 円舞台へと目を移せば、ぐるりと囲む噴水が一斉に吹きあがった。初夏の空気に響く、心地よい水音。身体に吹きかかる冷たい飛沫を受けて、コンツェは目を閉じた。




* * *

 


 久しぶりに握る、背の丈にちかい両刃の長剣。重さも長さも、本来ならば宛てがわれることのない代物だ。

 フェイリットはその自分には長すぎる剣を、片手で握った。くるりと回して感触を確かめれば、不思議と手の中におちて馴染む。

「驚いたな」

 素直な賛辞の言葉なのだろう。コンツェを見やると、視線が手元に注がれている。

「メルトロー王家は皆、両刃の大剣を扱うの。これでも小さいくらい」

 笑って返して、フェイリットは剣を構えた。

 庭園の中心に据えられた円舞台に、人がぞろぞろと集まってくる。見物に寄った中の一人から「あんな小柄なやつ俺でも勝てる」と声があがった。


 そっと笑って、同じく構えたコンツェの目を見つめる。彼の準備も整ったようだ。

「じゃあ」

「お願いします!」

 頷くコンツェに礼をして、フェイリットは跳ねた、、、

 一瞬で詰められた距離に、彼が目を開くのを見つける。

 小気味好い金属音が鳴り響いた。

 振りかぶった剣を寸でで止められて、フェイリットは右腕を滑らせてコンツェの脇に潜る。肘で彼の腹を突いて、間合いから飛び退いた。

「……くっ」


 突かれた腹を庇いながらコンツェが、「おいおい……」と呟くのが聞こえる。

 たぶん、勝敗はついた。

 コンツェの振りかぶりに合わせ何度か剣戟を繰り返し、フェイリットは彼の目を見つめた。

「水が上がったら合図」

 はっと気づいたように、コンツェの目線が合わされる。

 少しだけ沸き上がる血の巡りが、身体をゆっくりと支配していた。心地よくて……愉しい。けれどあまり長く続けては、ギルウォールの警告どおりになってしまう。

 〝我を忘れて楽しくなる〟――竜の血を抑えられる今のうちに。

 フェイリットは一際速く剣を合わせて、コンツェの身体を横に押し引いた。




* * *




 目を開けると、海のような色の空が広がっていた。背中に感じる硬い石畳が、身じろぎにじゃり、と音を立てる。

「フェイリット」

 ふと隣を見やれば、同じように空を仰ぐ白い頰があった。呼んでこちらに向けられる淡い色の瞳は、いつになく透明で澄んでいる。

「引き分けに見えたかな?」

 朗らかに笑って、彼女は額を流れるしずくを手で拭った。


 人の技とは思えぬ速さと、身体に合わぬ重い一太刀。見くびっていた彼女の強さに、コンツェは長い息を吐き出した。

 挙げ句、勝ちに落ち着かず引き分けを作り上げるとは。

 彼女の最後の一撃は、機を図ったように的確だった。噴水が吹き上がって円舞台を包み隠し、コンツェを引き倒して彼女も同時に石畳に転がる。外側から見守っていたなら、二人はもつれて同時に倒れ込んだように映っただろう。


「誰に指導を受けた?」

「剣豪」

 甘やかな香りがして目をやると、噴水の切れ目だ。花園から流れる遅咲きの紫の花の香りが、ふわりと強く匂い立つ。

 フェイリットの香りかと誤解しかけて、コンツェは笑った。

「剣豪?」

「うん、凄い人なの」

 想いを馳せるように遠くを見ながら、彼女は息をついた。噴水がそろそろ消えていく頃合いだ。

「フェイリット。引き分けに見せたいなら、仕上げがまだだ」

 せーの、と息を合わせて石畳から起き上がる。全てを同時にしなくては、せっかくの彼女の工作は水の泡だ。

「……そんなコンツェったら」

 声をたてて笑いはじめたフェイリットの手を握り、再び息を合わせて立ち上がった。


「判定ぇ……引き分け!」

 ギルウォールがやれやれと肩を竦めて、声を張り上げる。

 いつのまにか円舞台を囲んでいた多くの観衆が、拍手とともに二人の〝演武〟を賛辞した。



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