120 友と
テナン城に到着すると、フェイリットは予定通り軟禁となった。
しかしテナン王は〝
二人をともに行動させて、恋愛関係にでもするつもりなのだ。王女に〝自由〟の恩を売り、あわよくば婚姻関係を結べたなら。その考えはテナンにとって、得にしかならない措置だ。
「よかったね、ディフアストン殿下が行っちゃったあとでさ」
思考の片鱗を読みとるように、隣を歩くアシュケナシシムが言った。
「ああ」
「
ふと立ち止まり、アシュケナシシムが海の
テナン王城の瑪瑙宮へとつながる空廊は、心地よい海風にさらされていた。ここから見える海と、彼方にあるだろうイクパル本土。メルトロー王国の第一王子ディフアストンは、妹の顔を見ること無くイクパルへと渡っていったらしい。
「人間扱い……」
非情、と名高いメルトローの次期君主。彼と対峙せずに済んだのは、コンツェにとっても有難いことだった。
外交の手腕など自分にはない。フェイリットを閉じ込めるよう命じるディフアストンに、正面をきって楯突かない自信がなかった。
コンツェは小さく息をついて、立ち止まるアシュケナシシムの横顔を眺める。
「前から疑問だったんだが、フェイリットは亡命の罪にでも問われているのか?」
彼女を連れ戻すためにと、手錠や鎖が用意され、軟禁や監禁が当然のごとく言い渡される。加えて〝人間扱いしない〟とまできては、一国の王女に対する待遇とはお世辞にも言えない。
メルトロー王国を脱出してイクパル帝国に潜んでいた。彼女に向けられる懲罰の理由が、そのひとつしか思い浮かばない。
「人間じゃないからだよ」
「……は、」
「……なんてね。こっちにも色々と、複雑な事情があるのさ」
アシュケナシシムは、いつになく張りのない声で答えた。言葉をにごすような響きさえ感じて、コンツェは口を開く。
「それにしても……」
「うん、わかってるよ」
尚も続けようとしたコンツェを遮って、アシュケナシシムは強い声で続けた。
「わかってる。メルトローの奴らはみんなおかしい。〝サディアナ王女〟に躍起になって、王子を筆頭揃えて四人もこっちに寄越した。それだけで充分おかしいだろ?」
何を考えてるんだか……そして最後の呟きは、アシュケナシシムの口の中に消えていった。この現状に一番納得していないのは自分だ、とでも言うように。
「僕たちは、
父王のことを言ったのであろう口振りは、暗い色しか持たぬものだ。
コンツェはアシュケナシシムの背に手を置いて、首を横に振った。〝駒〟というのなら、自分も同じだ。一国の
「俺たちは違う。同じ〝駒〟でも、思考や意志があるだろう」
アシュケナシシムは小さく笑って、それ以上なにも言わなかった。瑪瑙宮にあるフェイリットの部屋の前に立ち、扉を叩いて開けるまで。
そうして扉の前に立ち、彼女の名を呼んだ。同時に扉を叩くと、中から小さな声が返る。
「コンツェ」
侍従が出てくると思った扉から、張本人が顔を出した。淡い色の瞳を見つめて、コンツェはふと笑う。
「またそんな格好してるのか」
「相手してくれるっていうから、気合い入れてみたの」
言いながら、彼女は朗らかに笑った。
小さな
軍衣を纏うその姿さえ、不思議と色香がただようようだ。
「でも、ドレスが嫌だって言ったらこれが用意されたのよ。極端で笑っちゃった」
メルトロー王国の国色でもある、深い色の蒼や藍の軍衣。それが、当然のように用意されている。メルトロー側は
「似合ってる」
コンツェがつとめて優しく微笑むと、フェイリットもそっと笑った。
「それで、式典の予行はもう終わったの?」
「ああ、」
フェイリットの問いに、コンツェは曖昧な声をあげる。
コンツェが事実上〝王太子〟の位を受けて、ひと月はたっていた。簡略化されるはずだった立太子の式典が、今さら執り行われることになったのだ。
それは他ならぬ〝客人〟のためだろう。メルトロー王国からの賓客を、過去にない数で受け入れている今。テナン公国の新しい顔を知らしめるためには、恰好の機会だ。
早朝から縛られていた長時間の予行を思いやり、コンツェは首を振った。
「俺がすることはそんなにないからな。退屈だった……のか?」
そうして彼女の部屋を見やれば、恐ろしい量の地図や海図が散らばっている。暇つぶしの領域を超えて、一体なにをしていたのか。
「あっ……これはちょっと」
ぱっと頰を赤らめたフェイリットに押し出されて、コンツェは廊下の壁に背をつける。
「み、見ないで…」
頰を染めたまま伏せられた金色の睫毛を見つめ、はっとする。彼女の両手が胸板にあてられ、壁と挟まれている状態だった。
「フェ、イリット」
持ち上げた指先で衝動のまま、彼女の睫毛にそっと触れる。指をくすぐるそれは、雛の羽毛のような心地よさだ。
柔らかい感触をもっと味わいたい……。そして顔を近づけたところで、彼女の瞳がこちらに向いた。
「あっ、ごめんなさい…苦しかった?」
吐息がかかるほどの距離で視線をからめ、フェイリットは首を傾げた。
「いや、苦しくは…」
「あの……わたし、散らかしてたから…恥ずかしくて…」
ふっと息を洩らす音が聞こえて目を向けると、アシュケナシシムだ。
「――姉さん、ちゃんとあとで片付けて戻しておかないと、怒られちゃうよ」
「わかってるわ。でもしっかり許可は貰ったんだから」
「えっ誰に?」
「ギルウォールおにいた……兄上に」
話しながら先へ向かう二人の背を眺めて、コンツェはようやく自分が静止していたことに気づく。
「あれ、エトワルト? 園庭に行くんじゃなかったの。姉さんの
振り返ったアシュケナシシムに言われて、コンツェは苦笑を返した。
「行く」
にやにや笑うアシュケナシシムが戻ってきて、「手ごわいね」と耳元で付け足していった。
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