20 迷都アデプ

 「…やれやれ」

 目前に広がる迷路のような黄砂の町並みを見やって、カランヌは息をついた。


 帝都アデプ。領地が増えるたびに拡大と増築を繰り返してできたという町。町並みができあがったのは偶然とはいえ、結果外敵から城を守るための〝門〟の役割を担うことになった。

 地理に疎い者が入ろうものなら、あっという間に迷い人となる。そもそも、案内者なしにアデプを訪れようとは誰も思わない。

 しかしカランヌには、そうは言っていられない理由があった。なるべく誰の印象にも残らぬよう、サディアナ王女の行方を捜さなければならないのだ。


 カランヌは目立たぬよう、この国のしきたりに倣いターバンなどというもいうもので頭をすっぽり覆った。同じようにしきたりに習いヴェールと外套を纏うスリサファンを横目で見やって、

「貴女を連れて来てよかったと思いますよ」

 そう呟く。少なくとも彼女と一緒に居さえすれば、自分のメルトロー色の強い容姿も幾分カムフラージュできるというもの。


「…早く終わらせて帰りましょう」

 虫唾が走って仕方ない。いまにもそう吐き出しそうな口ぶりで、スリサファンが答える。吹いてくる砂混じりの暖かい風が、彼女の黒い外套をばさばさと叩いていった。


 嫌がっていたのを無理やり連れてきたのだから仕方ないにしろ、そんなに自分の生まれた国を嫌悪しなくてもいいだろうに。そんなことを考えながら、カランヌは黄土色の道を歩き出した。

 その後ろを、イクパルの女性らしくスリサファンが着いて来る。


 平衡感覚を失いそうになるほどの坂道や下り道が、家と家の間の狭い空間を縫うようにして続いている。大きな道があっても、道の両脇で路商が並んでいるために馬車が通れるような広さはない。

 見た限り舗装もされておらず、家の壁と同色の黄砂の硬い地面が延々と続いていた。お世辞にも近代的とは言えない街並み。


 人種の交じる国、イクパル。その多くは色の濃い肌と暗系の髪色の人々で占められている。人種の混合する民族でも、海を越えた南方諸国のような色濃さは見られない。南方の民は深い大地の色の肌をもつが、この国に溢れる人々はそれよりもわずかに薄い蜂蜜色か麦穂色。もっと薄い者だっている。


 今では金銀の髪色と寒色系の瞳に代表されるメルトロー人の特徴にも、人種の混合がなかったわけではない。

 しかしサディアナのような色系が出るのは、非常に珍しいことだった。

 淡い月光のような金の髪と、湖水の色の瞳、白くなめらかな象牙色の肌。父親であるノルティスとは全く似ていないし、二十人いる彼女の兄弟姉妹とも全くといって違う色。それでも六代も遡れば、彼女の色系がまぎれもなく王族の血であることが証明された。


 薄い色を保持していた最後の王――竜を得て五六〇年の治世をいたと言われる――タントルアス王の容姿。まさにサディアナは瓜二つであった。


 そもメルトロー王族の色系の混合は、そうして大陸を統一したタントルアスが大陸中から妃を集めたことに由来する。

 サディアナ王女生誕の折、出生が傍出にもかかわらず盛大に国をあげ祝われたのは、彼女の「先祖還り」の容姿に忌憚する。その先祖というのがタントルアスだったものだから、よりいっそう喜ばれた。メルトロー国民はタントルアスにつながる英雄談が大好物なのだ。


「…カランヌ殿、確かお居場所を特定なさっていたはずでは」

 ふらふらと、道を上ったり下ったり。見たことのある風景を何度か目にして、いい加減この焼くような暑さにもうんざりとしてきた頃、背後のスリサファンの硬い声色が耳に届く。

「そんなこと、言いましたっけ」

 言った、のは自分だって忘れているわけではない。


「下山なされてすぐ、仰っていたはずでしたが」

「ああ…そんなこともあったような気がします」

「この暑さにとうとう頭まで溶け出したようでございますね」

「溶けているとすれば私の〝鼻〟でしょう」

 うんざりと返して、カランヌは目を閉じる。


 ずっと追ってきたサディアナの気配―――己を隠すことを知らぬ、未熟な竜の気。それが何だか、アデプに近づくにつれみるみるうちに掻き消されてしまった。

 サディアナがこの都にいるのは間違いない。その「気」が都中、どこに居ても同じ強さで感じてしまうのだ。言わばそれを察知し判別する、体内の方位磁石が使い物にならない状態だ。

 狂ったように回る磁石の針を想像して、カランヌは首を横に振った。


「鼻? サディアナ殿下をお感じになれないのですか」

「…ええ」

 背後で、スリサファンが短い溜息をつくのがわかる。

 仕方がないのだ。血の薄い自分には、せいぜいサディアナの尻尾を追いかけるか、彼女の逆鱗を撫で付け竜への覚醒を促すことしか出来ない。


「この辺りに診療所か何か、病人を収容できる場所はないでしょうか」

「診療所?」

 つかつかと歩を進めたスリサファンが、ふいに大通りの路商の旦那に道を尋ねる。

 関わらぬと決めたではないか――という批難は、役に立たぬカランヌが言える台詞では最早なかった。


 スリサファンに尋ねられた初老の旦那は、深い紅色の絨毯を目前で織りながら肩を竦める。

「城に近いほうに何軒かあるが、口で言っても辿り着けないだろうよ。誰か病気なのかい」

「ええ、バッソスからここへ出稼ぎしている末の息子なのですが」

 流暢なイクパル語が、すらすらとスリサファンの口から流れ出る。カランヌはイクパル語が話せない。聞き取りは何とかできるが、自らの口に乗せて発音するのは苦手だ。

 やはり、スリサファンを引っ張ってきたのは正解だった。カランヌはひとり満足して、会話を続けるふたりへと意識を戻す。


「かわいそうになぁ」

 絨毯を織るその節くれだった大きな手を止めて、路商の旦那はしばらく何かを考えている。

「俺が案内できたら一番いいんだが…この町が他域のやつらに歩きにくいのはよくわかる。早く息子さんのとこ行ってやりてぇだろう」

「ええ。…どこの診療所にいるのかもわからないのです。出来ればそのうちの何件かでも、案内をお願いできればいいのですが」


 サディアナが診療所にいるという確信はない。それでも当ても無く町中を徘徊するより、彼女が負傷していることを考えれば診療所を目指すのが得策。スリサファンの考えは、そういったものだろう。


「地の理に詳しい方なら誰でも構いません。お願いします」

「そうだな、うちに遣いでよくくる小姓がいるんだが…、」

「小姓?」

「城の表側に遣えてる男の子だ。主人の遣いや用事を足しに城下によく下りてくるのがたまに居るんだ。あの子達ならこのあたりに一番詳しい」

 今日は来るかどうか知れないが、と呟く旦那に「お願いします」と返してスリサファンは頭を下げる。その背中に倣って、カランヌも頭を下げた。

 小姓はその仕事うえに情報に長け、道にも詳しい。これは思ってもみない幸運だ。


「いつもなら今頃来てておかしくないんだが」

 そう言って視線をめぐらす旦那の目先を追い掛けて、ターバンを巻き丈の短い衣装を着た少年の姿を見つける。


 あれが小姓か、とカランヌは納得した。整った目鼻立ちとそれゆえの中性的な雰囲気。武力を重んじるこの国においてきっと重要な役割を担っているのだろう。戦場での軍人への奉仕。側人としての認識が強いが、小姓とは本来そういう、、、、ものだ。


「ウトゥム、悪いが道案内を頼まれてくれんか」

 ウトゥムと呼ばれたその小姓が、小さく頷き「わかりました」と答える。

「旦那にはいつもおまけしてもらっているし、喜んで引き受けます。まだ一年くらいしかここに居ないので、お役に立つかはわかりませんけど」

 絨毯を二枚、旦那から受け取るとウトゥムはこちらを見やってそう告げた。




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