04 狩る者たち


 「おはようございます」

 コンツェはあくびをこらえて、軍用天幕テントの布をめくった。

 山脈に雪が積もっても、このあたりには天幕を張れるだけの暖かさが残っている。駱駝の毛が織りこまれた通気のよい布地をくぐれば、むっとする熱気が身体を包みこむからだ。

 

 周囲に広がるのは丈の短い草原で、なだらかな斜面からはアルマ山脈を見上げることができた。斜面はところどころに岩肌を見せ、ひたすら登っていくと雪に塗られた山肌が突然現れる。目視できるところまでは緩やかな勾配でしかないが、その先には岩肌の露出した絶壁の地帯と、鬱蒼とした森の地帯とが交互に広がっていた。


 あれほどに高い山の中腹を歩きまわっていたとはな。とは、コンツェが下山してはじめて口にした言葉だった。下山したのは夜明け近くのこと。山中で見つけた少女を医療用の天幕へ運び、大急ぎで諸々の雑務を片付け戻ってきたのだった。


「よう、早いな」

 天幕のぬしが笑顔で返す。赤髪が燃える、長身の女性だ。コンツェに向けた言葉はおそらく皮肉なのだろう。それすら感じさせない気さくさが、この軍医が親しまれる所以ゆえんでもある。

「アン少尉、お疲れ様です」

 皮肉には取り合わず、コンツェは笑顔を向けた。そうして、彼女の背後に見えるもう一枚の幕に目を移す。治療台を遮るための布で、どうにも向こう側を伺い知ることはできない。

「ちょっと様子を見に来たんですが。いいですか」

「ああ、大丈夫だよ。入って」

  

 天幕と同じせた砂色の布を避け、アンは中断していたのだろう〝患者〟への処置にとりかかる。すぐさま衣装を短刀で裂く音が響き、続いて入ったコンツェは、慌てて視線を上に逸らす羽目になった。


「駐留してもう三日か。狩り、、は失敗に終わるな。とんだ拾いものまでして」

 困ったように笑うアンの手元には、山中で見つかった少女の白い裸体がある。なるべく見ないように気を配りながら、コンツェは頷き返す。

「はい。結局、何も見つからずじまいでしたけど」


 総勢六十余名がここに配備されたのは、ちょうど三日前。そして皇帝――いや、宰相閣下、、、、の命令は、副都アンリにむけて皇帝軍の一中隊を駐在させることだった。

 副都アンリは帝都から離れた公王統治領。名目は、荒涼なアンリの地質調査だ。


 しかしアンリは、帝都とさほど変わらぬくらい大きな都で、政治でも重要な都市。民衆は農耕や牧畜よりも貿易や商売をしたほうが、はるかに身を立てられることをとうに理解している。そして帝都の連中も、わざわざ回りくどい地質調査だの、アンリの領主の訪問だのをしに来るほど暇ではない。

 本当の駐屯理由、それは狩りだ。それも、ただの狩りではない。

 近隣の諸国はおろか、国内領主たちにすら知られてはならない〝極秘〟のもの。


 ――竜狩り、、、


 名を聞くだけで、普通人々は震え上がる。なぜなら竜は〝破壊の象徴〟だからだ。

 人を喰い、国を荒らし壊滅させる、触れてはならない、伝説上の化獣。


 しかし〝真実はそうではない〟と遺したものがいた。

 竜は人にも馴れ、たやすく飼いならすことのできるおとなしい獣なのだと。いったん馴れさせることさえ叶えば、竜の忠義は他の獣たちより屈強でもある。使い方しだいで、この大きな大陸、アルケデアを制覇することも不可能ではなくなるのだ。長い寿命による豊富な経験と知力、戦場に連れ行くことのできる強靭な体躯。それらはどれをとっても人間に敵うものはいない。


 竜を手に入れた国はあっというまに勢力をつけ、強大な国へと育つ。


 ――というのが、はるか昔からの伝承。

 このイクパル帝国土は、砂漠で大半が占められている。そのため、山脈を隔てた北側の国々――緑豊かなメルトロー王国や、鉱山に恵まれたリマ王国――と比べ、口が裂けても豊かとはいえない状況にあった。竜の力を手に入れさえできれば、貧困を打破し豊かさを勝ち取ることができる。ゆえにイクパル帝国は長年、喉から手が出るほど竜を欲してきたわけだが。


「……ああ、アルマ山に初雪が降ったとなると、もう調査もしまいだね」

 ふと、アンが苦い表情で振り返った。コンツェと変わらぬほどの上背のために、目線が同じ高さでかち合う。髪を短く刈り、軍衣を着込んできびきび働くさまは、女性であることを他者に忘れさせてしまう。宮廷の流行の衣装をまとい淑やかに微笑めば、引く手も数多の美女なのに。随分前からこの女性は、それを望まないようだった。

「そうですね」

「せっかくおまえが直々に偵察に出たってのに、残念だね」


 本来ならば燃えるように赤いアンの髪が、天幕の暗がりの中で赤銅色にけぶっている。

 冗談じみた笑みを浮かべつつも、アンは鍛えられささやかに引き締まった身体を動かし、少女を手当てしていった。深かった傷の縫合を終えて傷口を消毒、包帯を巻いて、痛み止めなのか薬草を口に噛ませる。見ていて感心する手際のよさだ。


「アルマ山脈の上を竜が飛ぶ……っていうのは、きっと昔話でしかないんですよ。とくに今回の目撃例だってそうです。きっと夕陽に染まった帯状の雲でも、見かけたんでしょう」


 山肌に近いこのあたりには、未だ遊牧の民がちらほらと暮らしている。竜が飛んだという噂が入ったのがちょうど三日前。それを聞いたイクパル皇帝――いや、宰相に命ぜられ、半日で軍をかき集めてここへ乗り込んだのだった。


「コンツェ、ワルター大佐がどこか知ってる? この娘をどうするか話し合いたいのだけれど」

 ひととおり手当ても済んだのか、アンは安らかな寝息を立て続ける少女を覗き込んでいた。その手でやさしく毛布をかけてやると、少女がわずかに身じろぐ。

「大佐ならご自分の天幕にいらっしゃるはずですけど……」

「そうか、まったくあの人も出しゃばるのが好きなお方だよ。でも、おかげでこの子に優しい決断ができるかもしれない。わざわざくっついて来てくれてよかった」

 コンツェは笑って返して、アンを見つめた。

「じゃあ、もうこの子は大丈夫なんですね」


「ああ、何より発見が早かった。降りはじめの雪の中、あれ以上放置されていたら今ごろ死んでいた。おまえたちの手柄だ」

 コンツェは嬉しそうに笑んだ。その笑顔に、アンがしっかりと頷く。

「左腕の骨折と、体中の深い切り傷。血の量が多かったから一時は呼吸もまばらだった。ここじゃ手当の限界もあるし……本当にぎりぎりだよ」


 この子は運がいい、とアンは言った。

 銀に近い色の金髪と、つややかな象牙色の肌。山中見つけたときは泥と血に汚れてわからなかったが、洗い落とすと整った顔立ちをしていた。

 そして、伏せられた長い睫毛が上がれば、あの美しい瞳がのぞくのだ。散瞳を見るためこじ開けた瞼の向こう、虚をついてあらわれた水色の宝石。それはかぎりなく透明で、翡翠のような色合いでもあった。

 もう一度見たい一心で、コンツェは食い入るように少女の顔を覗き込む。


「さてと、あとはアンリで遊んでる皇帝陛下のご到着を待つだけになったな」

「……えっ、まさか、陛下までいらっしゃってるんですか」


 鼻から息を噴くコンツェを面白そうに眺めてアンが苦笑する。

「何を考えているものやら。まあ、あの方の考えてることはいつになってもわからないものだけど」

 アンは二六歳で、陛下より三つばかり年かさだ。十代の半ばから顔を付き合わせてきたというから、その関係は驚くほど長い。


「なんだか、この子を置いていくことになったら可哀想ですね。もし身寄りがなかったら、副都アンリの娼館しか行き場がない」

「たしかにな……なんだ、その娘を貰って行きたいのか?」

 言いながら、アンはふと顔を緩める。コンツェは赤くなって首を横に振った。


「アルマ山中で見つかったということは、きっと麓の村の娘でしょう。親が心配しているはずです。送り届けなくては」

 内心、連れ帰りたい気持ちはたしかにあった。もちろん、親元に帰してやりたいのも本心だが。


 それを言ってしまってはアンの性格上、面白がってワルターに報告するに違いない。そうなったら最後、この娘は有無を言わせずコンツェの妻に据えられるだろう。それでは、この子の意思がない。


 コンツェが心配げに覗き込むと、少女の顔がわずかにひきつる。安らかだった彼女の頰を、涙がつるりと伝っていった。

「夢でもみているのだろうな。さっきから、度々泣いている」

「さっきから?」

「おそらくは心因性……かな」

 アンは治療に使った器具をかちゃかちゃと片付けながら、コンツェの背中を振り仰いだ。

「おまえがこの子を運んできたあと、少し意識が戻ったんだよ。真っ青な顔して、嘔吐がひどくてね。よほど恐ろしい思いをしたんだろう」


 たしかにアンの言うとおり、狭い天幕の中は、消毒液と血、それと吐瀉物のせいか、えもいわれぬ汚臭となっている。

 一体、この少女の身に何が起きたのか。


「大佐んとこの小姓に香煙を持ってきてくれるように頼んでおいた。この子が起きたとき、いくぶん気分もよくなるようにね」

「そうですね」

 顔を歪めたコンツェを見て、アンはまた笑った。

「心配するなよ。とにかく、ワルターを呼んでこなければね。頼める? 連れ帰るにも、それからだ」


 アンの含んだ笑顔を見やり、コンツェは顔を赤らめる。

「わかりました。でも、その子が目覚めて平気なようなら村へ送りとどけます」

「ほう、いいのかそれで? お前がいらないなら、私がつれて帰ろうかなぁ」

「少尉、くれぐれも変な気おこさないでくださいよ」


 出がけに大仰に振り返ったコンツェの渋面を、アンは大声で笑いとばした。


「だから冗談だって言ってるだろうに」



     *


 アンの天幕から出たコンツェは、その足でワルター大佐のいるであろう天幕へ向かった。遊牧の時季をすぎて草もまばらな傾斜に、天幕はずらりと連なっている。砂に似せた色の布地は一見してわかりにくいが、数えれば二十張にはなるはずだ。その最深部、中央の区画に張られた大きな天幕の前に立ち、コンツェは声を張った。


「第一中隊長、コンツ・エトワルト・シマニであります。ワルター・サプリズ大佐をお呼びしに参りました」

 入り口の幕が開き、大佐の小姓が会釈をしたのを見て中に入る。ワルターはすぐに見つかった。

「目覚めたか」

 食事の為の円卓につき、ワルターは移動食の干し肉に噛り付くところだった。コンツェと目が合うと口を開けたまま、険しい表情をそっと崩す。その姿は、どう控えめに見ても滑稽だ。どうやら飾らない性格の持ち主は、自分のまわりに事欠かないらしい。

 親しみをこめて微笑んで、コンツェは首を横に振る。


「いえ、まだですが、アン少尉が今後のことについて話したいとおっしゃってます」

「今後のこと? やつめ、俺と結婚でもする気になったか」

「山で見つけた、あの少女のことですよ」


 ワルターは複雑に顔を渋め、笑った。

「冗談の通じんやつだな、お前も。同じようなことをアンにも言ったが」

「……が、どうだったんですか」

 コンツェのあからさまに驚いた顔を見ながら、ワルターは声を立てて笑いはじめる。

「真面目な顔で丁重に断られた」


「アン少尉も、たいがい冗談ばっかりなんですけどね」

 ほっとしたような息を吐いて、コンツェはひとりごちた。

「あいつの冗談ばっかりは、長年付き合ってきた陛下からの伝染だろう。根は素直なやつなんだがな。……トリノ、こいつに茶でも出してやれ」

 ワルターは肩を竦めて、トリノと呼ばれた小姓に片手をあげて合図する。


「いいですね、ここは。自分がいるテントは一人でもきついくらいですよ」

 コンツェ自身の天蓋は、食事の為の卓よりも寝床を入れるので精一杯だ。それで補佐役と二人部屋にでもなれば、さらにきつい。


「ま、昇進することだ。中隊なんぞで留まってないで、大隊でも率いてみたらどうだ? 誘われてるんだろうが。お前は家柄も立派だし、ぽんと昇進したところで批判も少ない。階級だってくれてやろうというのに」


 戻ってきたトリノの手から茶が並々と注がれた器を受け取って、コンツェはワルターに向き直る。

「昇進っていうのも、面倒なんですよ。こっちの軍に入るのも反対した父ですからね。これ以上多忙になって家を空けるとなったら、考えただけでも恐ろしい。……ところで、あの少女のことなんですが」

「ああ、本題だな。麓の村をあたらせてみたんだが、行方不明になっている同じ年頃の娘はおらんそうだ」

「さすがお早いですね。……となると、やはり隣国でしょうか」


 アルマ山脈は、それ自体が南北を区切る国境でもあった。まるで蛇のように大陸を這い、自然の防壁をつくりだしている。高い標高と寒冷な気候も相まって、登山者、越境者はほとんどいない。しかし、ごくたまに麓の村人が迷い込むこともあるのだ。

 山脈に国境をを接するのは、メルトロー王国とリマ王国。他国の者である可能性は充分にあった。


「だろうな。だが村娘ひとりのために、わざわざ絶縁状態の隣国にまで潜り込むことはできん。連れ帰るか副都アンリに置くか、二つに一つだ。陛下も、じき街から戻られる。……まあ、話はそれからだな」

「竜狩りの失敗、きっと宰相に叱責されますね。……減俸じゃなければいいんですけど。苦しい生活に拍車がかかりそうですよ」


 陛下は遊んでいるくせに、という言葉をぎりぎりで飲み込んで、コンツェは苦笑する。家柄の立派な息子といえど、寝泊りが兵舎では豊かに暮らせるわけがない。誇張ではあっても、うそではなかった。


「お前はあの娘を貰い受けたら、更に苦しくなろうしな」

 ワルターの言葉に、コンツェは茶を噴き出す。

「大佐までそんなこと……」

「ちょうど、そろそろいい娘でも見つけてやろうと思っていたところだ。出世のできる男には、美人な女が必要なものだ」

「なら、ワルター大佐だってそうじゃないですか」

「俺は、女は一人じゃないと思ってるからな。ばか正直なお前には、何人も相手できんだろが」

「それは……」

 コンツェは頭を掻いて、顔を伏せる。

 ここへ来る途中、物資の補給に寄った副都アンリでも、同僚は娼館に通いづめて楽しんでいた。だがコンツェだけは、気が乗らぬまま気立ての良さそうな大人しい女を見つけ、夜が明けるまで世間話をしていたのだ。


「娼館はおしゃべりする場所じゃないぞ。せっかく日ごろの鬱憤を晴らさせてやろうと大枚をはたいてやったというのに、お前は」

「ああいう場所が苦手なだけですよ」

 コンツェはうんざりだ、とでもいうように顔をしかめた。


「お前は堅すぎるんだ。もう少し物事を柔らかく見てみろ。陛下もなかなか女をお決めにならないが、あれでお前ほど堅くはないぞ。なんせ根っからの女好きだ。お忍びで娼館にいかれたときも、顔を見せた女たち全員相手してやったというからな。それを見習って少しは」

「いいです、もう」


 ワルターの話を遮って、コンツェはからになった茶器を卓上に置く。

「ごちそうさまです。アン少尉には会われないんですか」

「ああ、残っている仕事を片付けなければならん。言い訳も考えんとな。申し訳ないが娘の処遇は後回しだと、アンにも伝えておいてくれ」


「わかりました。陛下の日ごろの武勇伝もしっかりご報告しておきます」

 そう言って返されたワルターの渋い表情に満足しつつ、コンツェは天幕を後にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る