第8話 全部投げ捨てた後で。
しん、と静まり返った部屋の中、スタンドの灯りに身を寄せて、2人ともうつぶせの姿勢で本を読んでいる。
読むのは私、聞くのは弟。
夜になると、天井の木目が怒っている人の顔やお化けに見えてくるので、眠りにつくまではなるだけ上を見ないようにして過ごす。
時折、カタリ、と音を立てる窓のほか外は静かだった。
私たちは沢山本を読んだ。生き物が出てくる本を繰り返し読んでいた。
その中でも好きだったのが「シートン動物記」で、その中にある「狼王ロボ」のお話が大好きだった。
強く賢く勇敢で、気高いその姿に子供ながら胸が高鳴った。
「次は灰色熊だよ」
つっかえつっかえしながら読んでいる時、もう理由は忘れてしまったけれど、ささいな事で弟と喧嘩になった。腕を振り回す弟に枕を投げつける。
「空のバカ!」
弟は、怒ると私を呼び捨てにする。
私は口をきゅっと結び返事をしなかった。すると弟がいきなり立ち上がり、私の掛け布団を引きずって廊下に投げ捨てたのだ。
私も、弟の掛け布団と枕を廊下に放り投げる。弟が私の毛布をぐちゃぐちゃに踏んで投げ、敷布団も蹴飛ばして廊下へ押し出した。
私は私で、弟の毛布と掛け布団を丸めてなるだけ遠くへ投げ捨てる。
小さな灯りだけが頼りの部屋で、無言で見詰め合う。不意に、弟の瞳に涙が浮かんでくるのが見えた。
私は泣かなかった。
黙って、今、自分が投げ捨てたばかりの布団たちを引き摺って運び、1枚1枚元通りにして扉を閉めた。
弟は、布団と布団の間に、下げた両手をぎゅっと握りしめたまま立ち尽くしている。私は無言で、青いパジャマの裾を引っ張り布団に入るように促すけど、弟は動かない。
私は1人で布団に入り、灰色熊の続きを声に出して読み始める。3ページ、4ページ、灰色熊は、幼い頃、家族を人間に銃で撃たれ、ひとりぼっちになってしまいました……
いつの間にか弟が、そっと隣に戻り頭を寄せ、本に見入っていた。
頭上に置いた置時計の針が時を打つ。
弟の寝息を聞きながら、私は秒針の音を追っていた。
チッチッチッチ。
まどろむ私の胸の中を、ギザ耳のウサギやコリー犬、灰色熊に狼が駆けてゆく。
明日、弟に「ごめんね」って言おう。
……と思ったのに、どうしても喉が詰まってしまい言えなかったことを覚えている。
翌日顔を合わせた弟がケロッとしていて、いつ言っていいのかわからなかった。
こんなこといっぱいあった気がする。
ささいなことでも、本人たちには大問題で。
でも、今その理由を思い出せないと言うことは、本当はたいしたことではなかったのかもしれないな、とも思う。
それにしても、お互いの布団を投げ捨てるなんてどんな喧嘩なんだよ、と、大人になった今思うと、ちょっと笑ってしまった。あの頃は真剣だったのだけれども。
小さな灯りと弟の寝息。
狼の背中と灰色熊の手。
静かに流れゆく深い夜。
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