10 zemno(死)

 気がつくと、声もかすれていた。

 ずいぶんと急激に衰弱が始まっている。

 いつのまにか、魔術師とゼムナリアの気配が消えていた。

 あたりには無数のイシュリナスの僧侶の死体が散らばっている。

 たぶん、ティーミャはこれは、モルグズがやったと勘違いしているだろう。

 だが、そうではないのだ。

 彼らは皮肉な話だが、自分たちが信じていた神、つまりはゼムナリアによって殺されたのである。

 理由は、一時的にイシュリナス寺院の力を削ぎ落とすため、だ。

 なぜゼムナリアは、イシュリナスの役を演じようとしたのかも、いまとなっては理解できる。

 人類がセルナーダからいなくなっては、ゼムナリアにとっても困るのだ。

 彼女はいわば人間を牧場で飼っているような感覚なのだろう。

 だから飼っている家畜が減りすぎれば、今度は逆に増やしていく。

 死の女神だし、残酷なのも当然だ。

 彼女はあくまでこの世界の「仕組みの一部」にすぎないのである。

 さらにいえば、たぶん女神は知っていたのだ。

 「自分の正義を確信した人間ほど、もっとも残酷に、大量に人を殺せる」ことを。

 イシュリナス寺院のものたちは、それを体現していた。


 varsa...(ヴァルサ……)


 自分は、これから酷いことをしようとしている。

 おそらくティーミャにとっては、たとえ半アルグの性フェロモンによるものであろうと、モルグズが初恋の相手だろう。

 その相手を「自分の手で殺す」というのは、生涯に渡る心の傷になるはずだ。

 間違いなく、これはただのわがままである。

 しかも、自分は別にティーミャに殺されたいわけではない。

 最期はせめて、ヴァルサに殺されたいのだ。

 現代の地球の知識を、ネスファーディスにわたすわけにはいかない。

 それはこの世界の破滅につながる。

 だから、ここで自分は死なねばならないのである。

 そして、自分の命は、ノーヴァルデアが受け取ることになるだろう。


 vomov zemga:r viz cod artistse.(この剣で俺を殺してくれ)


 morguz...tufa eto gawlin.(モルグズ……あんたはずるいわね)


 ヴァルサの声が聞こえた。

 ああ、そうだ。

 俺はとてもずるい男なんだ。

 残酷で、残忍で、いままで何人もの人間を巻き込み、そして殺してきた。

 一体、何人、殺しただろう。

 恨まれて当然だ。

 でもな、ヴァルサ、お前に殺されれば、本当に自分勝手ですまないけど、いろいろ帳尻があう気がするんだよ。

 いつのまにか「ヴァルサ」はすぐそばにまで近づいていた。

 上から、熱い液体がこぼれ落ちてくる。

 泣いているようだ。


 tufa eto mig gawlin!(あんたは本当にずるいっ)


 知ってるよ。

 だからもう、泣かないでくれ。

 お前は泣き顔よりも、笑顔のほうがよっぽど可愛いんだから。


 gow lakava tuz!(でも愛してるっ)


 ひどく重たげに、ティーミャが剣を持ち上げた。

 ノーヴァルデアも震えているのがわかる。

 ごめんな、ノーヴァルデア。

 でも人間は、いつか必ず、死ぬものなんだ。

 死の女神の尼僧なんだから、お前にも、それくらいの理屈はわかるだろう。

 いや、俺は半アルグだからそれも違うか。

 そして、いきなり激痛が首のあたりを走った。

 視界が真っ赤に染まっていく。

 網膜にまで血が入り込んだのかもしれないが、「出血が急激に収まっていく」のがわかった。

 そういえば、スファーナの肉を食ったのだから「再生能力」が働いたのだ。

 いや、これは罰だな、とモルグズは思った。

 死ぬまで徹底的に苦しめと、いままで自分が殺してきた人間、巻き込んできた人間たちの怨念が、こうして罰となったに違いない。

 何度も何度も何度も何度もノーヴァルデアの刀身で肋骨を砕かれ、頭蓋が破砕され、顎が砕け、腹部が貫かれ、睾丸が破裂した。

 それでも驚異的な再生力が働き、死を拒絶している。

 ぶざまに泣き叫び、失禁し、吠え、絶叫し、普通の人間が死の際に味わう何百、何千倍もの苦痛を、数えきれないほどにモルグズは経験していた。

 まだ死ねない。

 罪は甘受せねばならない。

 ごめんな。

 一番辛いのは俺じゃなくて、ヴァルサ……いや、ティーミャ、お前か。

 レクゼリアと俺の子を守ってくれ、エィヘゥグ。

 そのために俄仕立てとはいえお前を戦士として鍛えたんだ。

 頑張って子供を産んでくれ、レクゼリア。

 お前ならきっと、良い母親になれるはずだ。

 スファーナ、お前はまだまだ、死ねない運命らしいな。

 一足先に、あっちで待っている。

 ラクレイス。

 アースラ。

 レーミス。

 なんだ、お前ら、いつからそばにいたんだ。

 見てくれよ、この俺の情けない姿を。

 死にたくてもなかなか死ねないっていうのは本当に辛いな。

 俺たちはみんな酷いことばかりしてきた。

 でも、一番の極悪人は俺だ。

 お前たちは、俺という災厄に巻き込まれたようなものだ。

 だから、いくらでも恨んでくれ。

 光が、見えた。

 その先で、誰かが微笑んでいた。

 なんだ、ヴァルサか。

 聞いてくれ、俺は本当に酷い、地獄みたいな夢を見たんだ……。


 そしてモルグズの、生という長い悪夢は、終わった。

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