9 erv colnxe.(俺はここだ)

 あるいは、すべては幻だったのだろうか。

 ヴァルサのことを愛していたつもりだった。

 しかし、それすらももし半アルグのフェロモンの仕業だとしたら、一体、なにを信じればいいのだろう。

 だが、と思う。

 人が誰かを愛するきっかけなど、わからないものだ。

 確かに性フェロモンの存在は大きいだろう。

 それでも、ヴァルサとのあの時間は、嘘ではなかった。

 涙を流しながら、モルグズはそう思った。

 お互い、確かに愛し合っていたのだ。

(君は私を憎むだろうか?)

 謎の魔術師が言った。

 憎まない。

 彼にとっては一種の実験であり、モルモット扱いされたのだろうとは、理解できる。

 おそらく彼とゼムナリアが結託し、アーガロスを使い興味深い実験、あるいは戯れとして自分を地球から召喚させたのだろう。

 そしていままで、秘密裏に「観察と研究」を続けていたのだ。

 それでも、憎めない。

 なぜなら、彼がいなければヴァルサと出会うこともまた、なかったのだから。

(真実を告げて、良かったようだ。だが、私はもっと酷いことをしている。それを聞いても、君は私を許せるだろうか?)

 一体、他になにをしたというのだ。

(たとえば……ノーヴァルデアと、父親の関係だ)

 その裏にもこの謎の魔術師が関わっている、らしい。

(魔術的なクローンは、完璧というわけではない。ときおり、事故も起きる。ノーヴァルデアの父親は……厳密にいえばこの表現も正確ではないが……その事故により誕生してしまった)

 ネス伯爵家。

 このネスファーディスに似た遺伝子を持つ男は、その秘密に深く関わっているようだ。

(そうだ。そもそも、ネス伯爵家そのものが、普通の貴族の家系ではない。あれはいわば、私の実験のためのものだ)

 すでにこの魔術師からは、人間性も倫理感も失われているのだろう。

(厳密にいえば、アルデアとノーヴァルデアは、双子ではない)

 一卵性の双子とはいわば、天然のクローンである。

(さまざまな遺伝子を、私は保存している。そしてそのときに応じて、ネス家の当主にふさわしい者を、製造し、当主としてきた。アルデアとノーヴァルデアもそうした存在であり、彼女たちは本来であれば、ともに女性でありながら優れた戦士となるはずだった。伯爵家に有益な存在として)

 少なくとも、アルデアに関してはそれはうまくいったはずだ。

 だが、ノーヴァルデアは?

(ノーヴァルデアが父だと思っていたのは、確かネスの一族の遺伝子を持っているが、事故による失敗作としかいいようがなかった男だ。加虐的な形でしか愛情表現が出来なかったのだから)

 背筋が冷たくなってきた。

(処理することも考えた。だが、私は興味を抱いた。そうした者に育てられた子供は、どのように成長するのだろう、と)

 そして、ノーヴァルデアが犠牲者に選ばれた、ということのようだ。

 ある意味では、この魔術師がネス伯爵家の悲劇の元凶といってもいい。

 それなのに、怒りがあまりわかないのはなぜなのだろう。

 相手は人倫を無視し、生命を弄ぶ下劣な存在のはずなのに。

(その通りだ。まったく否定は出来ない。私は好奇心のままに、知的欲求のままに動いている)

 だからだ。

 不思議なことだと自分でも思う。

 それでも、この古から「ずる」をし続けている魔術師を、憎むことができない。

 お前もまた、哀れだな。

 それが、率直な感情だった。

 知識を求め、貪欲に欲し、挙げ句に人間性すら喪失した怪物だ。

(そうだな。その通りもしれない)

 ある意味では、自分たちは似ているのかもしれない。

 かたや平然と殺戮を繰り返し、意味のない復讐を行おうとして、真実に打ちのめされた怪物。

 一方、この魔術師は人間であったことも忘れ、ひたすらに空虚な実験を続けているだけの存在だ。

 むろん、ノーヴァルデアのような犠牲者のことを考えれば、怒るべきはずなのに、なぜかそれが出来ない。

 お前は生きていて楽しいか?

(わからない。楽しい、ということの意味すらも、私は忘れてしまった)

 だろうな、と納得がいった。

 この哀れな魔術師は、別に人の運命を弄んで愉悦に浸っているわけではないのだ。

 ただ、魂をもたぬうつろな機械のように知識を、情報を、収集し、蓄積し続けるだけの亡者のようなものだ。

 ふと、アーガロスのことを思い出した。

 ひたすらに、異界の知識を求めていたあの男は憎むべき存在だが、まだましだ。

 相手を憎むということは、それ相応の力や価値を相手に認めてこそ、初めて出来る行為なのだ。

 だから、アーガロスは憎める。

 しかし、この名前すらわからない魔術師は、憎むことができない。

 アーガロスなどより遥かに力がある魔術師なのに、すでに人としての限界を超えた、異質なおぞましい「なにか」に成り果てているのだ。

 ただ、ひたすらに悲しい。

 先代のネス伯爵は、おそらくはノーヴァルデアを虐待していた男とは、別人なのだろう。

 「別の自分」の存在すら、知らなかった可能性がある。

 では、ノーヴァルデアが殺した男と同時にネス伯爵が消えたのは、なぜだろうか。

(私の仕業ではない、とだけは言っておこう)

 ここで謎の魔術師が嘘をつくとも思えない。

 であるならば、犯人の目星はつく。

 先代の伯爵は、たぶんとても善良な男だったのだろう。

 しかし、善良なだけでは、領主としてのつとめを果たせないこともある。

 そう、ネスファーディスが考えたとしても、おかしくはなかった。

 あの男が、やりそうなことだ。

(魔術師さんよ。あんたは、現代の地球の知識を、もしこのセルナーダの地に広めたらどうなると思う?)

(答えは明白だ)

 頭のなかに、声が鳴り響く。

(想像もつかない大惨事が起きるだろう。我々の世界と、君がかつて暮らしていた世界では、魔術などの有無で、まったく別の進歩をとげている。私でもなにか起きるかは予想できないが、最悪、この世界の人類は絶滅する)

 想像通りの答えだった。

 それを理解しているからこそ、この魔術師は地球の知識を、決して人々には教えなかったのだ。

 そのとき、寺院の戸口のほうから、金色の髪と緑の瞳を持つ少女の姿が見えた。

 どうやら、ノーヴァルデアの力を使いすぎたせいか、目がすでに霞んでいる。

 だから、頭ではそれがティーミャだとはわかっていても、ヴァルサにしか見えなかった。


 morguz?(モルグズ?)


 erv colnxe.(俺はここだ)

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