7 yudirdresma yurfa(魔術師の言葉)

 正義神イシュリナスは、実は死の女神ゼムナリアの一つの側面に過ぎなかった。

 あまりにも、馬鹿げている。

 なのに、そう考えればいままで奇妙に思えたことが、すべて明快に説明できるのだ。

 なぜイシュリナスは残酷なのか。

 安易に死を求めるのか。

 死の女神がその正体なのだから、むしろ当然なのである。

 だが、ゼムナリアは人々を騙している、というのも少し違う気がする。

 なぜなら人々の願いから、神は生まれるのだから。

 極論すれば人々が「絶対の正義の神」というものを求めた結果、ゼムナリア女神の一部の力が、かつて騎士の神にすぎなかったイシュリナスという神の性質を変えてしまったのである。

 まず、正義をなすには力がいる。

 そして、正義とは、人によって定義がかわるものであり、絶対的なものなどは存在しない。

 その矛盾こそが、イシュリナスだ。

 誰かが悪だと思ったものは、すなわち悪となり、イシュリナスの討伐の対象となる。

 ヴァルサは、悪ではなかった。

 だが「人々がヴァルサを悪だと望んだ」から、彼女は「悪として見なされ、イシュリナス寺院に殺された」のである。

 そう考えれば、なにもおかしいことはない。

 おそらく、イシュリナス教団により、無実のものがいままで「悪」として無数に処刑されてきたのだろう。

 イシュリナスそのものは「善悪を判断しない」。

 というより、出来ない。

 絶対的な正義そのものが、どこにも存在しないからだ。

 正義というのは、人の心が生み出した概念にすぎず、善悪を決めるのはあくまでそのときの人々の判断なのである。

 ひどい話だ。

 ヴァルサは、イシュリナス寺院に殺されたのではない。

 あのとき、ネスの人々が「ヴァルサが悪であると判断した」から、あるいは「悪であって欲しいと願ったから」、あの都の人々の意志に殺されたのである。

 イシュリナス寺院を滅ぼしたところで、なんの意味もない。

 復讐にはならない。

 では、ネスの都の人間を皆殺しにすればいいのだろうか。

 それとも、イシュリナシアの人々を皆殺しにすればいいのだろうか。

 あるいは、セルナーダの人々を皆殺しにすればいいのだろうか。

 気がつくと、笑いが漏れていた。

 ナルハインの言葉は、まったくもって正しかった。

 これが真実だというのか。

 ゼムナリアを滅ぼすこともできない。

 彼女はこの世界の「仕組みの一つ」に過ぎないのだから。

(哀れなものじゃ)

 女神は「本気でモルグズのことを哀れんでいた」。

(汝は、一人で道化芝居を演じていた。あれだけの苦しみを味わいながらも、そのすべては無意味であった。だが、人にとって生とはたいがい、そのようなものではある。人はみな哀れじゃ)

 怒る気にもなれなかった。

 自己憐憫にも浸れなかった。

 なにもかもが、ただただ虚しい。

 これが、自分の旅の終着点かと思うと、やはり笑うしか無い。

 気がつくと、涙が溢れていた。

 一人で道化芝居を演じていたというゼムナリアの言葉も、また正しいと理解していたからだ。

 さまざまなものたちに利用され、憎まれ、殺されかけ……そして最後は、このざまだ。

 だが、それでも、ヴァルサを愛したことだけは、本当だった。

 それだけが、掛け値のない真実だ。

(さて、それなのだが、実のところ、いろいろと問題がある)

 いまのは誰だ?

 直接、こちらに話しかけてきたということは、新たな神だというのだろうか。

 少なくとも、イシュリナス、あるいはゼムナリアではない。

(私は神ではない。ただ、君の拙いセルナーダ語で会話をするのは、いささか疲れるのでこういう形で意思疎通を図っているだけだ)

 いつのまにか、一人の男が、イシュリナス神の隣に立っていた。

 そこそこ整った顔立ちの若者だ。

 その顔を、忘れるはずもなかった。

 ネスファーディスだ。

 だが、なぜここにネスファーディスがいるのだ。

(混乱するのも無理はない。ただ、私は君が出会ったネスファーディスとは別人だ。ネスファーディスは、いまは国王のそばにいる。ただ、彼は私と似た遺伝子を持っているので、そこそこ優秀ではある。とはいえ遺伝子の一部を弄って、魔術の才能はなくしてあるが。それと、セルナーダ人風の外見的要素も加えている。私はもともとネルサティア人だったからね)

 遺伝子。

 おかしい。

 それはこのセルナーダの人々にとっては、未知の知識のはずなのである。

(そうだ。セルナーダの魔術師でも、私以外にはほとんどの魔術師は知らない。ただ、シャラーンだとウル・ゾンキムの六賢者はだいたい、知っているはずだ)

 ウル・ゾンキムがシャラーンにあるこの世界最大の人口百万を超える大都市の名だとは知っていた。

(シャラーン魔術はネルサティア魔術と違って、十二の星の魔力を利用するのだが……おっと、話が脱線した。いわゆる科学的な知識も、この世界のごく一部の魔術師はある程度は知っている)

 だが、どのようにその知識を習得したのだろう。

 以前、ゼムナリアはこの世界に異世界からやってきたのは自分が最初、と言っていたはずだ。

(なるほど。君はあくまでかつて暮らしていた科学技術の進んだ世界のほうを中心にして物事を考える、という癖から脱していないようだ。そのあたりは、多少、傲慢ではある。ただ、私から言わせれば魔術のない、君がかつて住んでいた世界の技術のほうが劣っている、という考え方もできるのだよ。そもそも君たちの世界では、多元宇宙について宇宙物理学者たちはその存在を想定していても、実際に精神を移動させることはまだ不可能だろう? というより、別の宇宙を観測できてすらいない。違うかな?)

 その通りだ。

 異世界、などというのはあくまで現代日本ではファンタジーの産物である。

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