6 isxurinasma caf(イシュリナスの顔)
(人の子は、異なる世界からきても本質はかわらぬようだ)
ひどく疲れたように、イシュリナスが嘆息した。
(我は人の子らの求める正義を体現しようと試みた。だが、その正義とやらは、あまりにも、いい加減で、ずさんで、適当すぎる)
いつのまにか、神の愚痴を聞かされている。
こんなはずではなかった、はずだ。
俺は、貴様の偽善を叩き潰したかっただけだというのに。
(偽善か。なるほど。『それはとても楽なことではある』)
なぜか寒気がした。
(なにが善か。なにが悪か。そんなものは、人ですら容易には決められぬ。では、その人の求める善と悪の狭間で、我になにを求めるというのだ?)
なにも言えなかった。
イシュリナスの言っていることは、まったくの正論だったからだ。
神ですら、明確には答えられない善悪は存在する。
それでも、と思った。
ならば、なぜ、ヴァルサを貴様は悪と断じたのだ。
あの状況では、彼女を悪にしなければならないので、お前はヴァルサを邪悪と勝手に決めつけたのか。
(否)
イシュリナスは答えた。
(あのときのヴァルサの行動が、善か悪か、それは関係ない)
さすがに、モルグズも怒りを覚えた。
(ならばなぜだ)
(人は自分に都合の良い悪を求めるからである。まだわからぬのか)
そんなことはわかっている。
だが、それではお前は「人が悪だと思っていることを悪だと勝手に認定するのか?」
(然り)
やはり、こいつは邪神だ。
正義でもなんでもない。
むしろこの神の言う正義は、害あるものである。
(ようやく気づいたか)
イシュリナス神の口調が変わったように思えた。
(正義とは、つまりは人によってまったく異なるものである。環境により、状況により、価値観により、善悪などというものは、実にたやすくひっくり返るものだと、汝はこの地で理解したのではないのか?)
悔しいが、イシュリナスの言い分は間違ってはいない。
(よく理解できたようだ)
相手は、たぶん言語的な手段ではなく、こちらの精神に直接、語りかけている。
なまじ言語学を齧った身としてはそんなことはあるのかとも思うが、現実に相手の意志は伝わってるのだ。
そして、このコミュニケーション形態には、奇妙なことではあるが、やはり特徴のようなものがある。
いわゆる口調、と言語でいえば表現するべきことかもしれないが、「どこかでこの口調を聞いたことがある気がする」のだ。
だが、いままでイシュリナス神と語り合ったことなどないはずなのに。
(然り。我、イシュリナスと汝が心を交わすのは初めてではある。しかし……汝は、我の一側面と、否、我こそが一側面であろうが、語り合ったことがあるはずだ)
いままで直接、このような形で「この世界の現実」で語り合ったのは、ナルハイン神ぐらいのものだ。
だが、ナルハインとイシュリナスとでは、まるで神としての性質、本質が違う。
(然り)
イシュリナスは、それを否定しなかった。
では、あと残る神は……。
なじみの女神と夢では会話をしたはずだが、それは、あてはまらない。
死の女神ゼムナリアと、イシュリナスはある意味、正反対の存在だからだ。
正義の神が死を求めるなど、自己矛盾もいいところ……なのだろうか。
また背筋に寒気が走った。
本当に、そうなのか?
イシュリナス神は、自分の正義を信じないものを殺してもいい、と考えている。
一方、ゼムナリア女神は、ただひたすらに死を求めている。
(さてはて)
明らかに女性的な声が聞こえた気がした。
だがいままでの神々とのやり取りでは、相手の声など意識している余裕もなく、圧倒されていた。
(そろそろ、気づいてもよかろうに)
そこで、モルグズは「気づいてしまった」。
あまりにもありえない、いままで夢想だにしなかった可能性に。
いや、どこかで何度か、奇妙だとは思っていたのだ。
なぜイシュリナスは、正義の神でありながら、あそこまで苛烈なのか。
「まるで意図的に死を求めているようにすら思える」のは、なぜか。
いままで、無意識ではおそらく考えていた疑問が、一つの解答へと収束していく。
だが、そんなことはありえない。
あってはならない。
(だから人の子は愚かなのだ)
ゼムナリアは、死の女神は、苦笑しているようにも思えた。
(異界からの客である汝であれば、さすがに気づくと思っていたが、意外であった)
いつのまにか、イシュリナス神とゼムナリアの声は、まったく同一のものとして聞こえていた。
もしこれを認めたら、たぶん、もう自分は精神的に、破綻する。
それはあってはならないことなのだから。
(だがこれは現実である。汝は直視せよ)
気がつくと意識はイシュリナス寺院に戻っていた。
少し距離をとっていた騎士が、ゆっくりと、面頬を上へと上げていく。
見たくないのに、認めたくないのに、その結果はわかっている。
(然り。今のイシュリナス神とは……すなわちこのわらわ、死の女神ゼムナリアの、一つの現れにすぎぬのだ)
口元だけあらわにしただけでも、それが真実だとモルグスには理解できた。
こんな忌まわしい嘲笑は、どんな人間にも浮かべられるはずもないものだったからだ。
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