5 ti:mxa.savu:r colnxe.(ティーミャ。ここで待っていろ)

 ついにここまできたが、あまり現実感が感じられなかった。

 ひょっとすると、自分は長い悪夢を彷徨っていたのではないか、とさえ思う。

 それでも、辿り着いた。

 おそらくここが、いままでの狂気じみた旅の終着点だ。

 自らが作り上げた屍の山を乗り越えて、ようやくやってきたのに、なぜこんなに心が冷え切っているのだろう。

 しばらくすると、門を守っていた最後の騎士が死んだ。

 暴徒たちが、寺院のなかへと乱入していく。

 すべてが他人事のようにすら思える。

 改めてイシュリナス寺院を見た。

 城壁に囲まれた門の奥に、その荘厳な佇まいが見える。

 寺院の前にはそれなりの規模の庭があった。

 城壁に囲まれた都市のなかでこうした空間を獲得できるほど、力があるということだ。

 だが、いまのイシュリナス寺院はもう、貧民街出身の暴徒を中心にした連中すら防げないでいる。

 一体、どれほどの富が、この寺院を建設するのに注ぎ込まれたのだろうか。

 寺院そのものは三階建てほどだが、あちこちが大理石で作られているように見える。

 あとは花崗岩あたりかもしれないが、とにかく白い。

 群衆が寺院の扉に殺到しているが、堅牢な金属製の両開きの扉のようだ。

 おそらく、イシュリナスは軍神でもあるので、いざというときは、この寺院そのものが城塞になるのだろう。

 たとえば、今のように。

 そして相変わらず、白銀騎士団も、王国軍も、魔術師たちもやってこない。

 一瞬、面倒なのでこの愚かな民衆も巻き込んで殺したほうが早いかもしれない、と思った。

 死の魔術印をノーヴァルデアの力で増幅すれば、イシュリナス寺院のなかの人間も皆殺しにできそうな気がする。

 ただ、それをやると体力の消耗が怖い。

 もう笑い事でなく、あまり体力を削れば死ぬかもしれないのだ。

 群衆が殺到し、ようやくイシュリナス寺院の扉を開けた、と思った瞬間だった。

 彼らが一斉に、倒れた。

 なんらかの魔術的な警戒、あるいは罠にひっかかった可能性がある。

 なにか魔力的なものをわずかに感じたが、それはさほどのものではなかった。


 wob fikuto wobfigzo cu?(なにかを感じるか?)


 ティーミャに訊ねると、彼女はうなずいた。


 ya:ya.gow ers mxuln fi+ku.(ええ。でも奇妙な感覚です)


 やはり、そうか。

 実をいえば、モルグズも似たような感じを抱いていたのだ。

 とはいえ、モルグズとしては、たとえ罠だとしても、このさきに進むしかない。


 ti:mxa.savu:r colnxe.(ティーミャ。ここで待っていろ)


 なにかを言おうとしたティーミャを、モルグズは睨みつけた。

 彼女も、その意味を多少は察したようだ。

 モルグズは、魔剣ノーヴァルデアを構えたまま、ゆっくりとイシュリナス寺院の外壁の門をくぐった。

 なにも起きない。

 魔術的防護などは、少なくともいまはないようだ。

 ただ、ノーヴァルデアが震え始めていた。

 「彼女」の反応としては、いささか過剰な気もする。

 怯えているのだ、とわかった。

 死の女神に仕える僧侶すらもが、怯えるとはなんなのだ。

 それは、イシュリナスという神の根源に、近づいているということだろう。

 寺院の両開きの扉は、開いている。

 だがそのまわりには、無数の死者の姿があった。

 暴徒たちは、やはり進入できなかったのだ。

(もう、戻れないよ)

 突如、頭のなかで声が鳴り響いた。

 ナルハインだ。

(戻れ、と言っても無駄だろうね。これから君は、おぞましい真実と対面することになる)

 知るか、と思った。

 もうこの愚者の神に振り回されるのはうんざりだ。

 それでも、なぜかまた身震いがした。

 気のせいだ、と思いながらよく樹木の整備された庭をつっきり、入り口付近で死んでいる暴徒の死体を踏みつけ、寺院のなかに足を踏み入れた。

 雰囲気としては、中世ヨーロッパの教会に近い、のかもしれない。

 バラ窓めいた色彩豊かな硝子窓がある。

 だが、イシュリナス寺院のなかもまた、死体だらけだった。

 見ると、誰もが首からイシュリナスの聖印らしいものを下げている。

 一体、なにが起きたのかわからなかった。

 ただ一つだけ、確かなのは、この僧侶たちは暴徒に襲われたわけではない、ということだ。

 ふいに、声が聞こえた。

(ようやく来たか)

 それが、神に独特の、人間と言語の壁を無視する直接的なものであるとは理解していた。

 北からのステンドグラスめいたものの光ををうけて、一人の騎士のような姿が見えた。

 その独特の存在感は、あの忌々しいナルハインのものと酷似している。

 自分が何者と対峙しているかを、モルグスは改めて理解した。

 相手は、神の顕現だ。

 正義神イシュリナスといま、自分はついに直接、対面しているのである。

(我は汝を待っていた)

 ふざけるな、と思う。

 ヴァルサを見殺しにした神が、いまさら、なにを言うのだ。

 俺は貴様を滅ぼしにきたのだ。

(汝の気持ちは理解する。しかし、我を汝は滅ぼせない)

 それもとうに理解している。

 一体、この感情をどう伝えればいいのだろうか。

 この憎しみを、怒りを。

 その伝え方が、わからない。

(その必要はない。汝の気持ちとやらを、我はすでに充分に理解している)

 ならばなぜ、と言いたくなる。

 貴様の教団は、イシュリナシアの民からすら見放されつつあるのに。

(それはない)

 イシュリナスが淡々と告げた。

(なるほど、我を信じるものは、このところ、いささか傲慢に過ぎた。しかし、この王国は我なくしてはありえぬ。それは、汝も理解しているはずだ)

 かもしれない。

 だがそれでも、と思う。

 やはり、イシュリナス寺院はやりすぎたのではないか、と。

(では、汝はやりすぎではないのか?)

 ぎょっとした。

 まさか、神にそんなことを言われるとは思わなかったからだ。

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