4 tanjuto ci ned vapo,magboga.(お前は私から逃げられないのよ、怪物)
さきほどから、青い目でじっとレクゼリアがこちらを見つめている。
たぶん、彼女は気づいている。
己の兄の、この体の本来の持ち主であるリューンヴァスの魂が覚醒を始めていることに。
一体、俺は誰なんだ。
モルグズか。
リューンヴァスか。
藁にシーツを敷いた寝台で横になったが、まだ頭が痛い。
急激に、窓の外が暗くなる。
これでは、まずい。
この発作のようなものが、もしこのままひどくなっていったら、と想像するだけで寒気がする。
肝心な死の魔術印をノーヴァナスめがけて放つときに、もしリューンヴァスの意識が蘇ったならば。
だが、彼が怒るのも無理はない。
そもそもこの体は、モルグズのものではないのである。
剣の腕、戦闘技術、そういったものもいわばモルグズが「盗んだ」ようなものだ。
俺は死ぬのか。
というより「消滅する」のではないだろうか。
もし完全にリューンヴァスが「復活」するとしたら「一時的に彼に取り憑いた悪霊のようなものにすぎない自分はどこへ行くのだろう」。
そのとき、ついとスファーナが歩み寄ってくると、こちらの体をきつく抱きしめた。
tanjuto ci ned vapo,magboga.(お前は私から逃げられないのよ、怪物)
レクゼリアの刺すような視線を無視して、スファーナが言った。
これは、あまり良くない兆候のような気もする。
確か現代日本では「死亡フラグ」という言葉があったはずだ。
物語のなかでいままであまり目立たなかった人物がやけに活発に動きだしたりするのは、その人間が死ぬ予兆である、と。
つまりは作劇上の演出なのだが、妙にまた不安になってくる。
鬱陶しく、わがままで、情緒不安定な女。
見た目は高慢そうなのに、その実、恐ろしいほどに情が深い。
典型的なツンデレ、ヤンデレだと笑っていられたが、いつのまにか自分は彼女に精神的に依存している。
死亡フラグを立てるな、と言いたかったが、旗はそもそもセルナーダ語でなんというのだろう。
だが、この世界には死亡フラグなどというものは、たぶんない。
ラクレィスもアースラも、あまりにも唐突に死んだ。
いや、ラクレィスとはその前になにか話した気がする。
だがなにを話したか、覚えていない。
ラクレィスはいい奴だった。
同性愛者だったのはどうでもいい。
とはいえ、彼はゼムナリア信者だった。
それでもいい奴だったのだ。
友、と呼んでも良かった。
自分は本当にひどい人間だ。
とっくに死んでいる男のことを、今更、友呼ばわりしている。
そこで、笑った。
「友」という言葉をセルナーダ語でなんというのかも、知らないのだ。
ずいぶん記憶した語彙は増えたつもりだったが、人として肝心な部分が抜けている。
なあ、ラクレィス、あれから俺の人生はもっと無茶苦茶なことになっているぞ。
なにしろ、今度は元の体の持ち主が、体を返せと要求しているんだが、一体、どうすればいい?
そしてこれから、俺はイオマンテの魔術王を殺すことになっているんだが、信じられるか?
また頭痛がしてきた。
なにか別のことを考えなければ、本当に頭がおかしくなりそうだ。
そういえばこの部屋は本来、六人部屋なので人数的にはちょうどいい。
ただ、ノーヴァルデアを「一人」と考えているのはたぶん自分くらいだろうが。
あとイオマンテの名産料理が食べられるかもしれない。
いや、ウォーザの民の集落で鯨肉や牡蠣を堪能したのだ。
そこでレクゼリアと出会い……。
意識が、だんだんばらばらになってくる。
この世界の牡蠣も冬が旬なのだろうか。
体を渡すわけにはいかない。
たぶん反ノーヴァナス派の魔術師たちはこの部屋を監視している。
だが彼らはこちらを守ってくれているのだ。
鯨肉はこの宿でも食べられるのだろうか。
gasfo:r vim tavzo...(俺の体を返せ……)
誰か、助けてくれ。
これは、毒の効果がまだ残っているのか。
いや、ひょっとしたらこの毒はさらに肉体に負荷をかけてくるかもしれない。
gasfo:r vim tavzo...(俺の体を返せ……)
レクゼリアが見ている。
愛したい。
誰が?
誰を?
混乱しているのに、それをどこかで冷静に眺めている自分がいる。
まるで酒に酔ったときのようだ。
冷静に見ていると思っているのは自分だけで、実はなに一つ、冷静ではないのだ。
スファーナの乳房の感触が心地よい。
また女に逃げるのか?
santu:r!(黙れ!)
自分を嗤っている。
誰が?
ゼムナリアか?
死ぬのが怖い。
死にたい。
このまま消えれば楽になる。
消えるのが怖い。
どっちなんだ?
なにが正しくて、なにが間違っているかも、もうわからない。
狂気に逃げるな。
せめて、魔術王ノーヴァナスを殺すまでは。
そんな魔術師たちの声が聞こえたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます