3 zadum guzato gxutle.jod nantuto.(あなたは口にひどい傷がある。そのふりをする)

 厨房の端にある床の隠し戸の存在に、モルグズはまったく気づかなかった。

 魔術による幻術が使われていたのだ。

 光を扱う火炎系魔術には、幻を生み出すものも含まれる。

 そこにさまざまなものをアーガロスは隠していたようだ。

 モルグズも入ろうとしたが、止められた。

 魔術的に危険な罠や、やはり魔術の力を封じられたものがあるというのだ。

 魔術の品は素人が迂闊に触れただけで、まずいらしい。

 ヴァルサもすべてのそうした物の持つ魔術的な力を知っているわけではないようだ。

 餅は餅屋で、魔術に関することはすべてヴァルサを信用するしかない。

 彼女が隠し倉庫に入っている間、改めてモルグズは半alg、あるいはalgについて考えていた。

 「アルグ」というのは、予想通り種族の名前だという。

 ただ、ネアンデルタール人とは比較にならないほど、凶暴きわまりない種族らしい。

 外見は小柄な人間の全身に体毛を生やしたようなもので、猿に似ているようだ。

 もっとも、猿というのはこの世界だと暑い地方に住むため、セルナーダにはいない。

 地球の猿に類似したものだとすれば、別段、おかしな話でもなかった。

 ニホンザルは世界でももっとも緯度の高い、つまりは寒冷な場所で生息している猿だ。

 つまり多くの猿はより温暖な気候の場所で暮らしているのである。

 だが、アルグはこの地にも適応し、森のなかで棲息している。

 そしてしばしば森から人里に現れては、人間を襲うという。

 アルグの腕力は人間より強力で、動きも素早い。

 素手の格闘ではまず人に勝ち目はない、という話だ。

 鋭い牙や爪を持ち、さらに恐ろしいことには人間並みの知能さえ持ち合わせている。

 それが群れとなって襲ってくるのだから、人々が恐怖するのも当然だった。

 厄介なことに、アルグは人間を餌として認識している。

 普通、野生動物は人を嫌うものだが、アルグはむしろ好んで人を食うようだ。

 おまけに、アルグは人間と交配することができる。

 そのため、アルグに人々が襲われた場合、女性にはさらにおぞましい運命が待ち受けている。

 ただ、実際に半アルグが産まれてくることは、かなり稀だ。

 なぜなら、乱暴した女性をアルグはそのまま、食べてしまうことが多い。

 さらにいえば、運良く生き延びた女性も、半アルグとして産まれてきた子供を殺すことが多いのだそうだ。

 母性本能よりも、アルグに対する憎悪のほうが強烈だと解釈すべきだろう。

 そして半アルグが産まれたときは、周囲の人々に赤子の時点で殺されることも珍しくない、というよりは当然の処置だという。

 そうした点では「半アルグかもしれない」と疑われても生き延びたヴァルサは、たぶん幸運なほうなのだろう。

 モルグズの体の前の持ち主に至っては、成人しているのだからさらに強運の持ち主だ。

 しかし、半アルグが社会に溶け込むことは難しい。

 大半は野盗や傭兵のような、犯罪と暴力の世界で生きていくようだ。

 半アルグは社会的にはかなり厳しい環境に置かれているが、長所もある。

 父親から受け継いだ高い身体能力だ。

 おそらく、この体の持ち主も危険な職業についていたらしく、よく見ると体に幾つか刀傷らしいもの残っている。

 その数が少ないのは、神に仕える僧侶のzertigaによる治癒も関係しているのだろう。

 ただ、この体の以前の所有者が何者であったかは、ヴァルサも知らないという。

 どこからか、アーガロスが調達してきたらしい。

 たぶん、死の女神の指示によりなんらかの魔術的な儀式を行い、この体にいまのモルグズの魂を地球から呼び寄せたに違いない。

 それにしても、自らもかつて半アルグと疑われたとはいえ、よくヴァルサが自分に好感を抱いてくれたものだ。

 意識を失っている間、食事や糞尿の世話などをしているうちに、なんとなく情が移った、みたいなことをヴァルサは言っていた。

 確かに、そういうこともありうる。

 だが、まったく別のことをモルグズは考えていた。

 これは決してヴァルサに言うつもりはないが、実は「彼女にも本当にアルグの血が流れている」のではないだろうか。

 本能的に、半アルグの肉体を持つモルグズに親近感を抱いた、ということは十分に考えられる。

 もっとも、ヴァルサも内心、その可能性には気づいているだろう。

 あれだけ頭の良い娘なのだから。

 ただ、無意識のうちにそれについて考えることを拒絶している、という気がする。

 水瓶にぼんやりと映る自分の顔を見た。

 ぼやけているがそれでも牙はやはり目立つ。

 いっそ牙を抜いてしまうかとも考えたが、それはひどく厭なことのように思えた。

 あるいはアルグにとって、この牙はとても大事なものなのかもしれない。

 そもそもmorguzをわざわざ自分の名前に選んだのも、アルグの本能が残っていたからというのもありうる。

 とはいえ、これからは牙を隠したほうがよいだろう。

 頭巾を深くかぶるという手もあるが、口元のあたりは見えてしまいそうな気もする。

 いきなり、視界の隅に厨房の床からそのまま顔をだすヴァルサの姿が見えた。

 ぎょっとしたが、実は床に見えるものは幻術で、あそこにはなにもないのだ。

 それでも、まるでCGによる合成画像を見せられたようで、現実感がまるでない。


 morguz.vomova kali:r codzo tom gxutle.(モルグズ、これを口に巻いて)


 そう言ってヴァルサが長い布を差し出してきた。


 zadum guzato gxutle.jod nantuto.(あなたは口にひどい傷がある。そのふりをする)


 なるほど、悪くない手だ。

 僧侶のzertigaがどの程度のものかは知らないが、治しきれない怪我というのも、当然あるだろう。

 食事や水を呑むところを見られなければ、案外、いけるかもしれない。

 半アルグは数が少ないらしいので、うまくいく可能性はある。

 ただそれでも、口を隠している時点で「あいつは半アルグでは」と疑われることは、常にありえたが。

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