8 isxurinasiares(イシュリナシア人)

 morguz.


 一気に目が醒めたのか、とても寝起きとは思えない表情でヴァルサは言った。


 cosum yuju:r ned za:ce zerosima marnazo.(悪い神々の名前をcosum言うな)


 顔が真顔だ。

 cosumの意味はよくわからないが、とにかく悪しき神の名前をうかつに口にしてはならないようだ。

 ゼムナリア、という女神はよほどおそれられているらしい。


 isxurinasiares mogos had zerosazo.


 恐ろしく長い単語が出てきた。

 いままでで一番かもしれない。


  wob ers isxurinasiares cu?


 すると、彼女はまず自らを指差した。

 続いて寝台を降りて窓辺に向かうと、人々を見て言った。


 aln reysi ers isxurinasiares.(すべての人たちがisxurinasiares)


 resが語尾につく場合、「なにかをする者」、あるいは「人」ということが多い。

 isxurinasiaという長ったらしいものがなにを意味するか、なんとなくわかってきた。

 この地域の名前ではないだろうか。

 selna:daとはまた違うが、語尾が-iaであることがひっかかった。

 以前から疑問には感じていたのだ。

 この言語は、ラテン語と語彙が若干、似ているのである。

 たとえば数詞などは、初めは共通する要素が多くて驚いた。

 一はun.

 二はdew.

 三はtur.

 四はcurとなる。

 ラテン語だと、u:nus.duo.tre:s.quattuorだ。

 ただ、それから後はだいぶ違うが、十になるとセルナーダ語ではdec,ラテン語ではdecemが出てくる。

 さらにラテン語では男性形、女性形があるが、セルナーダ語にも火炎形、大地形という似たようなものがある。

 そして男性の名前は、ラテン語では-usが語尾につくことがあり、女性はほぼ-aだ。

 セルナーダ語の名前でも、a:garosは-sで終わり、varsaはaで終わる。

 太陽のことはラテン語ではsol,セルナーダ語ではsolsである。

 さすがにただの偶然にしてはできすぎてはいないだろうか。

 そこで、他に知っているラテン語の名詞を並べたこともあるのだが、明らかにヴァルサはわけがわからないという顔をしていた。

 水、aqua。火、ignis。海、ma:re.星、stellaなどを訊いたのだが、セルナーダ語では水はsuy、火はasro、海はsuyn、星はso:roである。

 月にいたっては、lunaではなくikaだ。

 水のsuyは日本語に近い。

 もっとも、これももとをたどれば漢語、すなわち古代の中国語の音なのだが。

 それはともかく、-iaが気になる。

 -iaはラテン語の地名接尾辞、つまりある土地や国の名前の後ろにつくものなのだ。

 アジア、アフリカ、アメリカなどいまの地球の土地や国名にアが終わることが多いのは、これに由来する。

 偶然かどうかはともかく、-iaも地名接尾辞だとしたら、isxurinasiaは土地、もしくは国の名だろう。


 wob ers isxurinasia cu?


 すると、ヴァルサが苦笑した。


 col era.cod ya era.(ここ。このyaである)


 yaと聞いて、眉をひそめた。

 動詞のyer「ある、いる」の三人称大地形の活用形が、yaではなかっただろうか。

 だとしたら、「このある、である」という意味不明なことになる。


 wob ya cu?


 なにかに気づいたようにヴァルサがあわてて言った。


 ya ers ned.ya: ers se+gxon(yaではない。ya:が正しい)。


 そこで自分が記憶違いをしていたことに気づいた。

 「ある、いる」のほうはya:だったのだ。

 母音と長母音の区別を曖昧に覚えていたのがまずかった。

 日本語でも「多い」は実質的にはo:iと発音される。

 だがこれが短母音になるとoi、つまりは「おい」となり人に向かう呼びかけになってしまう。

 もっとも「おーい」という言葉でも、状況により呼びかけとして意味が通じてしまうのが日本語の非常に厄介な点である。

 同じ発音でありながら、異なる意味を持つ単語を「同音異義語」と呼んだりもする。

 実は、日本語はおそらく地球上でもっとも同音異義語の多い言語と言われているのだ。

 たとえば「こうしょう」という日本語の単語を発音を聞いただけでは、この語の意味はわからない。

 哄笑、交渉、口承、鉱床、工廠、考証、高尚、工商など、大量のまったく別の意味を持つ言葉が「こうしょう」という同じ音を使っている。

 だから日本語は前後の文脈で言葉の正確な意味を把握する必要がある。

 「かれはこうしょうした」なら「哄笑」か「交渉」だろうと自然と推測できるし、「こうしょうなしゅみだ」なら、普通は「高尚」だと考えるだろう。

 そうした意味では、セルナーダ語では同音異義語は少ない、というかまだ聞いたことがない。

 もっともこれは、単にナルグズの知っている語彙が少な過ぎることも関係しているかもしれないが。

 とにかくこれからは気をつけようとしたとき、改めてさきほどのヴァルサの言葉を思い出した。


 isxurinasiares mogos had zerosazo.(イシュリナシア人はあの女神をmogosしている)


 wob mogos ers cu?


 するとすさまじい形相でヴァルサがこちらを睨みつけてきた。

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