9 dewdalg(???)

 わかってみればただの笑い話だが、あのときは本当に驚いた。

 mogosという言葉は、なにか口に出すのもはばかられるようなものでヴァルサが怒ったのだと勘違いしたのだ。

 しかし、実際にはmogosは「憎む、憎悪する」というような意味らしい。

 そのために、わざとヴァルサはあんな顔をしてみせたのである。

 とはいえ、ヴァルサはいまはいない。

 丘の下の村に、買い物に行っている。

 なんでもパンや食料を買わなくてはいけないのだそうだった。

 異端視されているとはいえ、村人たちは魔術師の弟子にも食料を売ってくれるらしい。

 ただ、外には絶対に出るなと何度も釘をさされた。

 モルグズの存在はあくまで秘密のようだ。

 ヴァルサがいない間に、塔のあちこちを見て回ったが、鏡はどこにもなかった。

 ふと自分の「今の肉体」がどんなものなのか、気になったのである。

 手足などは長く、かなり筋肉も発達していることはわかるが、顔だけはどうしても見られない。

 あるいは鏡は、この世界にはないのかもしれなかった。

 あったとしても銅を磨いたひどく古風なものだろう。

 近代的な、はっきりと姿の映る鏡が出現するのはたしかルネサンス期になってからだったはずだ。

 仕方ないので厨房の水瓶の水面に映る自分の顔を見てみたが細部はよくわからなかった。

 ただ、唇からわずかにのぞく犬歯はかなり目立つ。

 実際、これだけでアーガロスの頸動脈をやすやすと噛み切ったのだから、やはり牙と呼ぶほうがふさわしい。

 

 dewdalg!


 あの魔術師がいまわの際に発した罵声が脳裏に蘇ってきた。

 そのあとには、algとも言っていなかっただろうか。

 dewdalgとalgは、明らかに似ている。

 広間のほうから蝶番がきしむような音が聞こえてきた。

 どうやら、ヴァルサが帰ってきたらしい。

 彼女は大きな麻らしき袋を抱えていた。


 silbugav li ma:senxe.(家に帰っていた)


 あるいは日本語でいう「ただいま」のような挨拶かもしれない。


 何気なく彼女に訊ねた。


 dewdalg wob ers cu?(dewdalgはなんだ?)


 途端にヴァルサの顔が蒼白になり、袋が腕から滑り落ちた。

 なかに入っていた固い黒パンや、玉ねぎ、人参に似た野菜が転がり出る。


 a.....


 しばし呆然としていたが、やがてヴァルサはぎこちない笑みを浮かべた。


 dewdalg ers narha.kap erav narhan.(dewdalg はnarhaだ。私もnarhanだ)


 それから彼女は早口でまくしたてた。


 vomova mavi:r vaz.teminum erav narha cedc.ne+do.erav tic narhan! sitiga fu+silzo era narhan teg! gow,mende era ned! socum rxewova fo+sel ma:suzo dog!


 なんとか単語の聞き取りはできたが、いままでのヴァルサの話し方とは明らかになにかが違う。

 ヴァルサはモルグズと話すときは、いつも一言一言を、こちらにわかるようにはっきりと発音していた。

 いまは、たぶん彼女はほとんど素の状態で話している。

 床に落とした食材を拾い集めると、ヴァルサは袋を抱えたまま厨房へと早足で歩いていった。

 あまりにも、不自然すぎる態度である。

 dewdalgはnarhaだ、と彼女は言っていた。

 そして自分もnarhanだと。

 全体の文脈からすれば、narhaは名詞、narhanは形容詞でその意味は、ドジ、おっちょこちょい、あるいは馬鹿、まあとにかくそんな感じだろう。

 少なくとも褒め言葉ではないようだ。

 だが、モルグズは確信していた。

 明らかにヴァルサは嘘をついている。

 突然の意外な質問に、相当に慌てていたのだろう。

 それでもとっさにnarhaという、おそらく悪い意味の言葉を出すあたりはさすがだと思った。

 彼女もアーガロスの死のときにそばにいたのだ。

 まるで呪うように、モルグズのことをdewdalgと言ったことを覚えていたに違いない。

 だから、悪い意味の、罵倒語でも通用すると思われるnarhaを代わりの意味として用いたのだ。

 しかしモルグズにとって一番、衝撃的だったのはあそこまであからさまにヴァルサが嘘をついた、ということだった。

 今までの彼女は、いつも真摯に、真面目にモルグズと話していた。

 とはいえ、裏切られたような気持ちにはならない。

 むしろ、余計なことを聞いたと後悔した。

 dewdalgというのは、おそらく洒落にならないほど、危険な言葉なのだ。

 ヴァルサがあそこまで取り乱すほどの、ある意味では禁忌に触れるかもしれない単語としか思えなかった。

 では、algとはなにか。

 dewdalgよりもさらに、口にしてはならない言葉かもしれない。

 たとえば死の女神の名を言うな、とヴァルサはさきほど言っていた。

 悪いものの名を口に出すと良くないことがおきる、という考えかたは地球でも世界的に存在する。

 dewdalgもそういうたぐいの言葉の可能性は十分に考えられる。

 もういい、これ以上、深く考えるのはやめよう。

 そう思ったが、dewdalgという言葉が頭蓋の内側にへばりついている。

 dewというのは数詞の二だから、dewdは二と関係した言葉かもしれない。

 dewdとalgという言葉がくっついて、dewdalgという単語になった可能性はある。

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